「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

守備意識が戻ってきた日本代表

2015年01月20日 21時32分17秒 | サッカー日本代表
今日はアジアカップ・ヨルダン戦、2-0で勝利した。いろいろ話題になる要素があったが、私が一番印象に残ったのは、試合後の長谷部キャプテンへのインタビューだった。

長谷部キャプテンは「無失点3連勝の一番の要因はどのあたりでしょう?」と問われて「監督からしつこいぐらい後ろはゼロでと言われてますし、全体的に守備の意識も高くなっていると思います・・・」と応じていた部分だ。

意識していないと聞き逃すコメントだが、ここにアギーレ監督になってからの違いが凝縮されていると思う。

ザッケローニ監督は「ゼロで押さえろ」と指示したことはあっても、しつこいぐらい指示することはなかっただろう。私は、そこがブラジルワールドカップで惨敗した要因だと確信している。

しつこいぐらい指示するということは、局面局面の守り方、前の選手のプレスと後ろの選手の連携など、ディテールにこだわって指示されているということを意味する。

選手にしてみれば、別に初めて聞く話ではないから、しつこいぐらいと感じるぐらいなのだか、やはり繰り返し指示されれば「これまでのやり方は、少し足りなかったのかも・・」と、意識が自然と高まるものだ。

少なくとも世界の強豪チームを目指すなら、守りを整備しないことには始まらない。日本は、これまで4年間、日本人らしい攻撃サッカーを突きつめようとか、攻めの部分にばかりに目を向けてきたが「そもそも論」をおいてけぼりにしてきたのではないか?

私が言う「そもそも論」とは、そもそもサッカーとは相手があってのサッカーだということだ。日本の攻撃力のことばかり論じているけど、相手は攻めてこないの?ということ。攻めてくるでしょう。それに対してどうするの? その部分をおいてけぼりにしていませんでしたかということだ。

1998年のフランスワールドカップに初出場して以来、このかた、日本のサッカーでは、常に守備重視でいくべきか、攻撃重視でいくべきかという、二者択一の議論ばかりしてきたように見える。

岡田監督とトルシエ監督は守備を絶対おろそかにしないチーム作りを進めた。ジーコ監督とザッケローニ監督は守備を整備しようとしないチーム作りだった。そう断言していいと思う。

その結果がドイツワールドカップでの1分2敗であり、ブラジルワールドカップ3連敗、それが守備を整備できなかった2人の監督の帰結だと思う。

長谷部キャプテンのコメントで「後ろはゼロでと」という言い方があったが、決して守備陣だけの問題ではないのだ。前線の選手の不用意なパスミスやプレスの怠慢も含めてチーム全体としての守備意識のトータルが試合結果に出る。

世界の強豪チームは目立たないようで前線の選手もそのレベルが高いのだ。
アギーレ監督がアジアカップ後も指揮をとる可能性が低くなったが、問題は監督選びで、守備を整備できない監督だけは、もうゴメンだということだ。

私にしては珍しくテクニカルなことについて論じてしまった。「サッカー文化」を語ることにはこだわりのある私だが、テクニカルな分野の話題は極力控えることにしている。

でも、この程度のテクニカル論なら「わたしにも話せます」

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