月2回刊となって最初のサッカーダイジェスト誌が、8日(木)に発売される。ちなみに当サッカー文化フォーラムは、1993年以降、サッカーマガジン、サッカーダイジェスト、ストライカーの全バックナンバー収蔵をめざして収集を続けてきた。
その後、一番最初にストライカー誌が、一時期の月2回刊を経て月刊だったものを隔月刊にしたところで収集活動をストップした。
このストライカー誌は私にとって大切な雑誌だった。実は1989年、まだJリーグ以前の「日本リーグ」だった当時、川淵さんもチェアマンではなく総務主事という肩書で活動しておられた頃、ストライカー誌で「日本サッカー活性化のための論文」募集という企画があって、応募したら優秀賞という、最優秀賞の次の賞に選んでいただいた。
確か1989年9月号だったと思うが、当時マンチェスター・Uにいたブライアン・ロブソンを表紙にした号の中に、最優秀賞はじめ、私のものを含めて何作か掲載していただいた。最優秀賞の作品の選評がどなただったか覚えていないが、私の論文の選評を川淵さんにしていただいたことで、特に誇らしく思っている。
そういう愛着のあったストライカー誌が隔月刊になった時は、とても残念な思いをした。紙面づくりがサッカー情報全般を扱う方針であれば、隔月刊でも収蔵を続けたかも知れないが、いわゆる技術論に特化するという方針が示されたため、サッカー文化を極めていこうとする当方の方針と合わず収蔵をストップしたのだ。
残ったサッカーマガジン誌、サッカーダイジェスト誌も、時代が変われば、いずれは隔週刊など縮小されることは覚悟していたが、先にサッカーマガジン誌が、しかも隔週刊化を通り越して月刊化、さらに誌名も「ZONE」に変更したのには驚いた。あれから1年以上になると思うが、ZONE誌も雑誌としてのコンセプトが固まってきた感じが伝わり、いまは「これもあり」だなと思っている。
実はサッカーマガジン誌は、当方の懐事情が極端に悪くなった2009年頃、ダイジェスト誌とマガジン誌のいずれかを中断せざるを得ない状況になり、私なりの紙面づくりの評価でマガジン誌を切った経緯がある。マガジン誌が月刊化に踏み切った最大の原因が売れ行き不振だったことは明らかなので、なにがしか、読者の評価が低下していたのだろう。
そして、唯一、週刊で残っていたダイジェスト誌が、今回月2回刊にするという。週刊として最後から1つ前のバックナンバー1318号で、連載コラムを書いておられる宇都宮徹壱さんも「今回の決定には、言葉にならないぐらいの寂しさを禁じ得ない」と述べておられるが、宇都宮さんは、そのあと続けて「禁じ得ない一方、やはり時代の必然というものは認めなければなるまい。」と書いておられる。
20年前なら、私たちがサッカー情報を得るには、ほとんど雑誌・新聞などの紙媒体かテレビが衷心だったが、いま情報収集の中心はネットであろう。それだけ変化したのだ。
ただ、私は、手にとって現物を確かめられる雑誌・新聞といった媒体の価値を重視しているので、月2回刊や月刊になったからといって、さほど悲観はしていない。
もともと隔月刊で発行を続けているサッカー・アイという雑誌も収蔵を続けているが、1991年秋の創刊以来、1992年と1993年分合わせて4冊欠品しているだけで全て揃っているから、20年以上ともなれば120冊を超える量で、これらの中から表紙を選んで企画展示をしただけでも、いろいろな企画が可能だ。やはり現物があればこその可能性である。
サッカーダイジェスト誌の月2回刊化に寄せて、感じたことをご紹介した。8日に発売になったら、冒頭に表紙画像も載せたい。
その後、一番最初にストライカー誌が、一時期の月2回刊を経て月刊だったものを隔月刊にしたところで収集活動をストップした。
このストライカー誌は私にとって大切な雑誌だった。実は1989年、まだJリーグ以前の「日本リーグ」だった当時、川淵さんもチェアマンではなく総務主事という肩書で活動しておられた頃、ストライカー誌で「日本サッカー活性化のための論文」募集という企画があって、応募したら優秀賞という、最優秀賞の次の賞に選んでいただいた。
確か1989年9月号だったと思うが、当時マンチェスター・Uにいたブライアン・ロブソンを表紙にした号の中に、最優秀賞はじめ、私のものを含めて何作か掲載していただいた。最優秀賞の作品の選評がどなただったか覚えていないが、私の論文の選評を川淵さんにしていただいたことで、特に誇らしく思っている。
そういう愛着のあったストライカー誌が隔月刊になった時は、とても残念な思いをした。紙面づくりがサッカー情報全般を扱う方針であれば、隔月刊でも収蔵を続けたかも知れないが、いわゆる技術論に特化するという方針が示されたため、サッカー文化を極めていこうとする当方の方針と合わず収蔵をストップしたのだ。
残ったサッカーマガジン誌、サッカーダイジェスト誌も、時代が変われば、いずれは隔週刊など縮小されることは覚悟していたが、先にサッカーマガジン誌が、しかも隔週刊化を通り越して月刊化、さらに誌名も「ZONE」に変更したのには驚いた。あれから1年以上になると思うが、ZONE誌も雑誌としてのコンセプトが固まってきた感じが伝わり、いまは「これもあり」だなと思っている。
実はサッカーマガジン誌は、当方の懐事情が極端に悪くなった2009年頃、ダイジェスト誌とマガジン誌のいずれかを中断せざるを得ない状況になり、私なりの紙面づくりの評価でマガジン誌を切った経緯がある。マガジン誌が月刊化に踏み切った最大の原因が売れ行き不振だったことは明らかなので、なにがしか、読者の評価が低下していたのだろう。
そして、唯一、週刊で残っていたダイジェスト誌が、今回月2回刊にするという。週刊として最後から1つ前のバックナンバー1318号で、連載コラムを書いておられる宇都宮徹壱さんも「今回の決定には、言葉にならないぐらいの寂しさを禁じ得ない」と述べておられるが、宇都宮さんは、そのあと続けて「禁じ得ない一方、やはり時代の必然というものは認めなければなるまい。」と書いておられる。
20年前なら、私たちがサッカー情報を得るには、ほとんど雑誌・新聞などの紙媒体かテレビが衷心だったが、いま情報収集の中心はネットであろう。それだけ変化したのだ。
ただ、私は、手にとって現物を確かめられる雑誌・新聞といった媒体の価値を重視しているので、月2回刊や月刊になったからといって、さほど悲観はしていない。
もともと隔月刊で発行を続けているサッカー・アイという雑誌も収蔵を続けているが、1991年秋の創刊以来、1992年と1993年分合わせて4冊欠品しているだけで全て揃っているから、20年以上ともなれば120冊を超える量で、これらの中から表紙を選んで企画展示をしただけでも、いろいろな企画が可能だ。やはり現物があればこその可能性である。
サッカーダイジェスト誌の月2回刊化に寄せて、感じたことをご紹介した。8日に発売になったら、冒頭に表紙画像も載せたい。