「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

1998年6月6日「カズ無念の帰国」番組をあらためて見る

2014年12月29日 20時02分00秒 | テレビ番組
私が、長い年月、収録・収蔵を続けてきたサッカー情報のうち、試合映像・番組映像をビデオテープからパソコンを通じてHDDに取り込む作業を続けていることは、このブログでもたびたびご報告しているが、現在、その取り込み作業は1998年分を行なっている。

1998年はフランスW杯の年、日本が初めてワールドカップの舞台に立った年であり、4年後には日韓共催大会を控えた年ということで、マスコミの取り上げ方は、それこそ洪水のような量だ。

この年のビデオテープはなぜか、どれもこれもカビ発生だらけで1本1本修復しながらなので、なかなか取り込みが進まない。

そんな中、1998年6月6日にフジテレビ「土曜一番!花やしき」という番組が放送され「緊急特集!カズ無念の帰国」という映像の取り込み作業を行なった。そして、あらためて28分の番組を見た。

フランスから戻ったカズ選手と北澤豪選手の会見、カズ選手のここまでの軌跡、そしてコメンテーターによるカズ選手外しの是非論などが番組の内容だ。

16年前の衝撃的な出来事を報じた番組を見て、あらためて二つのことを思った。

一つは、カズ選手が、記者たちからの、いわば「悔しくはないのか」「怒りをぶつけたくはないのか」的な質問攻めに対して、終始一貫、泣き言一つ言わず「選手選びは監督の決めることでありそれについて自分が言うことはない」「ワールドカップへの夢はあきらめたわけではないし、これからもそれに向かってチャレンジしていく」と応じ、そして、あの名言である「魂は向こうにおいてきた」と語っているのである。

今にして思えば、彼は「今回がダメでも4年後がある」と気持ちを切り替えていたから、そう応じていたのではないたろうか。

なぜなら、いまなお現役のカズ選手、並みの選手なら「今回がラストチャンスだった。次回はもう代表に選ばれて日韓ワールドカップの舞台に立てるレベルにはないだろう」と考えそうなものだが、カズ選手にはそんな発想が露ほどもなかったのかも知れない。現役を続けている今のカズ選手を見ると、その時、決して強がりでもなんでもなく、ごく自然に「次をめざす」と切り替えたのではないかと思えてならない。

それにしても、こんなに潔い会見が出来る選手は滅多にいないと思う。カズ選手の「キング・カズ」たる所以を再認識した番組映像だ。

もう一つ、岡田監督のカズ外しの本質をどう捉えればいいのか?という点だ。番組でのジャーナリスト・二宮清純さんの発言が正鵠を射ていたように思う。

番組では、いろいろ人からいろいろな意見が出ていたが、二宮さんは「要するに誰を残して誰を外すか、それは監督の専権事項であり、周りが何を騒いでも始まらない、しかし、外し方の良しあしは問題にされる。外された3人のうちの市川大祐選手、彼が同じように外されても何も問題にはされない。しかし、カズは日本サッカーをこれまで牽引してきた功労者だ。それを外すには外し方というものがある。」と指摘した。

問題の核心は、岡田監督には監督の経験が全くないまま代表監督になってしまった人だから、重要な選手を外すということについても、当然全く経験がない、いわば無知、もっと言えば外し方について無能な監督だというところにあるというのが二宮さんの指摘なのだ。

経験があり、さらには有能な監督であればあるほど、礼を尽くす外し方に最大限配慮する、というわけだ。
納得のいく指摘である。

あれから16年、岡田監督は、この時の「カズ外し」について「外し方が未熟でカズに申し訳ないことをした」と総括しているだろうか?

実は、このカズ外しをした時、岡田監督がフランスで屋外での立ったまま行なった会見で「3人とも、そのままフランスに残すつもりだったが、カズ、北澤については私の見通しが甘かったようで、思った以上に動揺が激しく、チームに与える影響も考えて日本に戻すことにした」と説明した。

外し方を間違ったために、火に油を注ぐ結果を招いたということになる。
二宮氏は「見通しが甘かった」などということ自体が、監督として無能なのだと痛烈に批判していたが、外したことがいいのか悪いのかという問題ではなく、まともな監督ならば「外し方」を間違ったりしないのだということがポイントだったようだ。

私は、その後の資料を詳しく点検していないので、いまは評価できないが、岡田監督がこの時の「カズ外し」について「外し方が未熟でカズに申し訳ないことをした」と総括しているのであれば、すべて終わったことと思いたい。
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スポーツ文化ネットワーク「サロン2002」のこと

2014年12月29日 17時11分27秒 | サッカー文化
昨夜、12月28日、スポーツ文化ネットワーク「サロン2002」の忘年会に参加した。この「サロン2002」というのは、最近、NPO法人化された「サロン2002」が運営している交流の場で、NPO法人の正式メンバーでなくても年会費3000円を払うと参加できるネットワークだ。

私が、このネットワークに入会させてもらったのは、夏に神戸を訪ねた時、神戸市立中央図書館に開設された「神戸賀川サッカー文庫」で、レジェンドジャーナリストの賀川浩さんにお目にかかる機会をいただいたのがキッカケだ。

前回の書き込みでも賀川浩さんのことを紹介したが、夏のその翌週、東京で講演されるとお聞きして、それが「サロン2002」の主催ということを知り、会員にしていただいたのだ。

だいたい毎月末、日曜日夕刻あたりに月例会を開催しておられるようで約1年前からは、JR総武線「錦糸町」駅南口からほど近いところにある「フットボールサロン4-4-2」というサッカーパブが会場となっているとのこと。

私は、賀川浩さんの講演会の時と9月末に行なわれた月例会、ジャーナリストの宇都宮徹壱さんの講演会の2回しか参加していないが、この「サロン」は1997年から活動を続けている。お二方とも、このサロンのメンバーとのこと。

これまで毎年1回のシンポジウムとその報告書公開、そして月例会は200回以上に達している。詳しくは、タイトルにある名称でネット検索していただければホームページにアクセスできる。

このネットワークが2014年版会員名簿を作成してくださり、先日郵便で送ってくださった。ありがたいことだ。私のように、なんの人脈もない人間にとっては、自分の活動について発信できる場は限られており、これまで、このブログで発信してきたのが関の山だった。

そんな中での忘年会だ。忘年会も例会の一環ということで、今回は「お宝映像を見る会」、1972年の欧州選手権決勝西ドイツvsソ連戦というお宝映像だ。西ドイツが1974年ワールドカップでクライフ率いるオランダを破って優勝したことは名勝負だったこともあり、よく知られているが、映像を提供されたサロン会長の中塚さんが「その2年前、この大会の優勝によってベッケンバウワーのリベロスタイルが確立された意義深い試合」と解説してくださった。

この試合、西ドイツが3-0で圧勝、なにぶん忘年会でいろいろと話に花を咲かせながらの観戦なので、ディテールまでは感想を書けないが、インパクトが強かった場面が、試合終了数分前の出来事だ。

会場は、ベルギーのヘイゼルスタジアム。1985年に「ヘイゼルの悲劇」が発生したスタジアムだ。映像を見ていると、試合の終わりが近づいた頃、西ドイツの優勝を確信したサポーターであろう、大勢の人たちが、まだ試合中だというのに観客席からピッチに向かって走り出したのだ。

ここまではよく南米でも見られる光景で珍しくないが、一旦大勢の警備員が出て、観客たちをピッチの外に押し戻したが、観客席までは戻らず、長方形のピッチを取り囲む形で観戦したまま試合が続行されていた。これには驚いた。まるで運動公園で少年サッカーの試合を応援する親御さんたちのような絵だった。

そして試合終了のホイッスル、もう選手がロッカールームに戻るより観客が選手をもみくちゃにするほうが早いのは当然だ。この当時は、警備関係者が観客席に戻すまで試合を一旦止めるなどということはしなかったのだ。

それにしても1972年の段階で、欧州では素晴らしいピッチでスペクタクルな試合が展開されていたのだ。つくづく歴史の分厚さを感じずにはいられない。

この忘年会、会長さんのはからいで、各自、自己紹介する機会をくださった。
私はほとんど知られていない存在なので、いま進めているサッカー情報のアーカイブ化、特に映像のHDD化の作業のことをお話しした。ビデオテープが膨大なこと、それを来る日も来る日もHDDに取り込んでいることなどについて、約20人ほどの参加メンバーの方々は驚いてくださった。

会の終わり際に、会長さんから「もう後継者は見つかりましたか?」と聞かれたので「あと10年ぐらいの間に、どなたか手をあげてくださればと思って続けます」とお答えして店を後にした。
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賀川浩さん、FIFA会長賞受賞の快挙をお祝い申しあげます

2014年12月27日 12時50分26秒 | FIFA、サッカー協会
神戸在住のサッカージャーナリスト、賀川浩さんに、FIFA会長賞が授与されるというニュースに接した。

今年夏、賀川さんが神戸市立中央図書館に開設された「神戸賀川サッカー文庫」を訪ねた際、お目にかかる機会をいただいた。

その翌週、東京で講演されるとお聞きして、それがスポーツ文化ネットワーク「サロン2002」の主催ということを知り、その会員にもしていただいた。

私が、今回の賀川さん受賞の情報を得たのは、賀川さんの活動を支え、自らも新たなサッカーに関する新機軸を次々と打ち出しておられる方からの「サロン2002」会員向け一斉メールによってだった。

来年1月、スイスのチューリヒでの世界年間最優秀選手「FIFAバロンドール」授賞式で表彰されるとのこと、日本人では初めての快挙は、本当に誇らしく、心からお祝い申しあげます。

今年8月25日の書き込みで、賀川さんにお会いした印象を述べたが、とにかく若々しくアクティブな方で、66歳の私が老けこんだ気持ちでいたら罰が当たると強く感じた。あの時以来、私の気持ちはガラリと変わった。

日々、コツコツとでもいいから、自らの信じることを積み上げる。その思いが揺るがなくなった。素晴らしい方との出会いで、お手本をいただいた。

そういう思いが強いので、今回の受賞を一人でも多くの方にお知らせしたい。
そして、一緒にお祝いのメッセージを発信していただきたい。



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前園さんの言うとおり♪♪~

2014年12月26日 21時50分51秒 | テレビ番組
前園真聖さん、そう、1996年のアトランタ五輪に日本代表を導いた歴史的主人公。
その前園さんが、飲酒がらみの不祥事で、テレビのスポーツキャスターの仕事をすべて棒に振ったのが1年ちょっと前。

その時、私は、2013年10月14日の書き込みで「前園さんに届け、この激励メッセージよ」というタイトルをつけ、前園さんの捲土重来をお待ちしてますよ、というメッセージを送った。

特に、テレビの仕事を再開できる時は、必ず「さんざんいじられますよ」と、以下のような予測を立てておいた。

「メディアに呼ばれるとしたら、最初は、さんざん、いじられるバラエティだと思えばいい。あなたが、これまであまり経験がない「バラエティ」というジャンルは、人生で失敗したひとをトコトン弄ぶことを、驚くほど得意にしているから、いまのうちから、さんざん弄ばれ、いじられた時の自分のリアクションやコメントを考えておくといい。そういったことは事務所仲間にもアドバイスしてくれる人がいるに違いない。」

案の定、前園さんは、お笑いの大御所への階段を着々と上っている松本人志さんの「ワイドナショー」という番組に使ってもらっていた。

この番組に前園さんが出ていることを知ったのは、2014年11月9日の朝刊テレビ欄の「ワイドナショー」のところに「前園指原滝行に独占密着」という項目を発見したからだ。

私自身、この新聞の項目だけでは、なんのことかチンプンカンプンだったし、この番組をご存じない方のために、見てわかったことをご報告すると、指原というのはAKB48で人気タレントだった指原莉乃さん、この人が滝に打たれる滝行に挑戦するということで前園さんがレポーターとして派遣された様子が放送されたということだった。

番組では、松本人志さんをはじめコメンテーターの人たちが「結局、指原がソフトバンクのCM撮影するのに、うちの番組がまんまと利用された」と息巻いていたが、前園さんも出演者たちから「そんなことのためにわざわざレポートに行ったの?」という具合に、さんざん、いじられるハメになった。

そういう中で前園さんは、テキトーなトークでかわすといった、お笑い芸人のようなリアクションは無理なので、ただジーッと、いじり言葉の連打を浴びっぱなし。

ただ、救いは、前園さんの目が、アトランタ五輪の頃と全く変わりない、ギラギラと見据えるような生きた目つきだったことだ。

前園さんは、卑屈にもならず、かといって反抗的でもなく、ただ、ただ無心に番組に取り組んでいたように見えた。

番組でも話題になっていたが、前園さんは少年サッカー教室などの仕事を順調にこなしているようで、スポーツキャスターへの復帰も近いように思った。

その番組を見ながら私は、何かで躓いたタレントがメディア復帰を望む場合には、その儀式として、どうしたってバラエティ番組でのいじられ経験が避けられないんだなと、あらためて、ため息まじりに感じた。

それから、前園さんの目を見ていて、もう一つ思ったのは「これから先、日本サッカーが新たな歴史を作っていくとしたら、この前園さんのような『強い意思』を宿した目つきを持った選手がいる時だろう」ということだ。

1996年3月、日本サッカーとして24年ぶりとなるアトランタ五輪出場を決めた試合、ヒーローインタビューで見せた前園選手の、あのキラキラとした目つきは忘れられない。この戦いを勝ち抜く、何としても勝ってみせるという、誰よりも強い気持ちを持って試合に臨んだ選手の顔はこういう顔なんだと、私たちに見せてくれた、あの顔。

あの時以来、私は、あのような強烈な意思を宿した目をした選手に、まだ出会っていない。この先、ますます厳しくなるであろうアジアでの戦い、その中で、逆にアジアの対戦相手の中に、かつての前園さんのような意思を宿した目を持つ選手が出現したら、日本は危ないと思う。

最後になるが、今回、タイトルを「前園さんの言うとおり♪♪~」とした理由を少し。

あのアトランタ五輪の活躍以降、当然のことながら前園さんのCM出演が急増したが、その中に、これほど主役らしいCMはないと思わせるCMがこれ。

マンダムのCMで、前園さんが、赤いオープンカーの助手席の彼女に向かって「オトコの髪はナチュラルが一番さ」と言うと、彼女が「なにゆってんの、あんたぁ」と素っ頓狂な声、すると前園さんの背後から数人の男女が突然「前園さんの言うとおり♪♪~」と2回連呼、そして締めは前園さんが渋い声で「言うとおり!」

バカバカしいほどベタなCMなのに「前園さんの言うとおり♪♪~」がインパクトの強いフレーズだったようで、多くの人たちの記憶に残っている。

私にとっても「応援歌」的なフレーズで、前園さんの話題の時は、これでいきたいと思っている。


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日刊スポーツの見出しに異議あり

2014年12月23日 18時02分29秒 | サッカー情報
日本代表アギーレ監督のスペインリーグ時代の八百長疑惑が、スポーツ紙の1面に踊っている。ブラジルW杯が終わってからというもの、サッカーがスポーツ紙の1面を飾るのが稀になって、しばらく経つ中、突然の1面報道だ。

年明け早々に開催されるアジアカップの代表メンバー発表の日、12月15日にスペインから「八百長疑惑で告発」のニュースが飛び込んで以来、あまり動きのない日でも連日1面で報じているのが日刊スポーツだ。翌朝16日から22日まで続いて、さすがに今朝23日の1面は別ネタとなった。

日刊スポーツが、日本サッカー協会の対応を厳しく批判している姿勢は、八百長の疑惑を持たれただけでも日本代表監督としていかがなものか、という国民感情を代弁してのことだと思う。

日本サッカー協会の対応は、いまに始まったことではない。Jリーグの村井チェアマンが浦和サポーターの差別横断幕事件に対して、即、無観客試合という制裁を科した処置の歯切れの良さと比べて、なんと倫理観の薄い組織であろうか。

協会では、日本代表監督ともなれば、単なるサポーターの問題と比べ物にならないほど慎重な対応が必要だという理屈を振りかざすのだろうが、何をかいわんやである。自分たちの保身、自分たちの当事者能力不足、そういったことが本質であることは見え透いている。

日刊スポーツも、そういった本質を突いているからこそ1面での報道を続けてきたのだと思う。
その点については、まったく共感しているのだが、それとは別の、以下の見出し付けには異議がある。

挿入した画像は、12月22日(月)の日刊スポーツ8版、2ページ目に「東京 前田獲り」とある。磐田の前田遼一選手獲得に動いているという記事だ。



しかし、この記事、リード文も含めた本文にも「東京」という単語が6回出てくるが、チーム名を特定できる表記になっていない。この記事が「FC東京」に関する記事だとわかったのは、本文の最後のほうに「FW武藤」という文字を見つけたからだ。

これは明らかにメディアの基本である公平性を欠いた非礼な記事だ。いくらJ2で落ちぶれているといっても東京には「東京ヴェルディ1969」もあるのであり、Jリーグチームを表記する場合は「FC東京」もしくは「F東京」そして「東京ヴェ」もしくは「東京V」と使い分けるのが礼儀というものだろう。

実は、日刊スポーツ紙の「東京」イコール「FC東京」という記事づくりは、12月16日(火)の5ページにも見られ、単発のミスとは言えない姿勢である。

ここでの異議申し立てで、日刊スポーツの表現に何か変化が生じるか、極めて可能性が低いとは思うが、やはりキチンと書いておきたい。
アギーレ問題を、他紙が競馬予想記事にしている日でも1面に持ってくる日刊スポーツだからこそ、細かいことと言わずに正してもらいたい。
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サッカー映像のHDD化作業、現在1998年分奮闘中です。

2014年12月15日 19時34分05秒 | テレビ番組
今年6月14日付けの当ブログ書き込みで「サッカー映像のHDD化作業を始めてから丸2年になりました」と報告しました。

それから半年です。はやり半年に1回ぐらいは経過報告をしたくなります。

前回の時は、1996年分をほぼ終えて1997年Jリーグの変換作業を始めています。と報告しました。それから半年です。

1997年分をすべて終了して、いよいよ1998年分に入っています。なぜ「いよいよ」かと言えば、サッカーに関心が深い方はお気づきのとおり、日本が初めてワールドカップに出場したフランス大会の年だからです。

実際に手を付け始めて、あらためて映像の多さがわかります。試合放送分はそれほど多いわけではありません。ワールドカップ本大会の試合数はたかだか64試合、ほかの試合もさほど増えているわけではありません。

何が増えたかといえば、それは番組系の映像です。もう年明けから特番、特番の連続です。ワールドカップの全試合放送を行なうNHKは特に3月あたりから毎週のように2時間、3時間の特別番組を流しているほか「趣味悠々」「クローズアップ現代」といった番組でも3回連続企画とか銘打ってサッカーをテーマにしています。

民放も負けてはいません。ワールドカップが近くなってきた4月あたりからはスポーツ系の番組だけでなく、ワイドショー、バラエティといった番組でもワールドカップを切り口にした番組が、それこそ、わんさかと流されています。

次の2002年日韓共催大会の年も相当なものだと思いますが、この1998年の映像の多さはハンパないです。おまけに、なぜかこの年のビデオテープは、これまでの年以上にカビの発生が多く、その修復の手間ひまも泣けてくるぐらいです。

実は1997年も、9月から11月まではワールドカップアジア最終予選のホーム&アウェー方式の長く厳しい、それこそ波乱万丈の3ケ月でしたから、テレビ番組の関心も日に日に盛り上がり、最後は日本中が歓喜に包まれた幸福なフィナーレでしたので、HDD化作業量も多かったのですが、久しぶりに感動の3ケ月を振り返りながらの作業でしたので、あまり苦労感がありませんでした。

しかし、1998年分の作業に関しては、いまのところ、あまり充実感、高揚感がありません。番組系では、もっぱらグループリーグ対戦国であるアルゼンチン、クロアチア、ジャマイカに絡む話題を中心とした内容であり、やや食傷気味になる感じです。

それでも、これを乗り越えないと、ひと山越えたとは言えません。この1998年分の映像変換作業を終え、その勢いで1999年、2000年分に進んでいきたいと思います。

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G大阪の三冠、雑感

2014年12月14日 14時02分16秒 | Jリーグ・三大タイトル
昨日、天皇杯決勝が行われG大阪が快勝、ナビスコ、Jリーグと合わせて三冠を達成した。
3年前の柏同様、J2から戻ったばかりでリーグを制したという点で、日本のプロリーグの特殊性がまた話題になるだろうが、なにせ三冠、偉業、快挙の賛辞がふさわしい。

これで、Jリーグスタート時の10チームとしての誇りにピリオドを打ち、J2への陥落を経験した屈辱の歴史が消えるわけではないが、ビッグクラブにして西の王者という称号は取り戻したように思う。

それにしても、G大阪に関しては3年前の西野監督退任以降話題に事欠かない。順不同だが思い当たるままに列挙してみたい。

①G大阪の2012年の混迷は一体なんだったのか、単なるバカな経営陣による脱線だったのか。いま一つわからない。
2013年にはJ2優勝で、あっさりとJ1に復帰、そして今年の三冠で、10年先、20年先には、ほとんど問題にされないと思うが、2012年の混迷は一体何だったのかと、つくづく思う。

クラブ社長が、カネを出している親会社から来ることは、日本の場合、これからも避けられないのかも知れないが、こんなバカな出来事が起きないよう各クラブは肝に銘じるべきだ。

②G大阪とC大阪は、大阪ダービーで「あのチームにだけは絶対負けられない」というほどライバル意識を高めているのか、いま一つわからない。

2013年にG大阪がJ2で戦っている間、C大阪は柿谷曜一朗のブレイクをはじめ、2012年ロンドン五輪ベスト4進出に貢献した山口蛍、扇原ら若手選手の活躍もあってJリーグの話題を一人占めした感があった。「セレ女」という言葉も生まれ、クラブ経営の模範とも言われた。

そのC大阪が、G大阪が戻ってきた今年、J2降格となってしまう。クラブ経営の模範と言われたチームが、実は親会社から来た経営者の無定見なチーム編成で、すっかり混迷してしまったという。

ともに大阪を本拠として、大阪ダービーを戦うはずのチームが、クラブ経営陣の問題で、まるですれ違うように、いいシーズンとダメなシーズンを繰り返している。これでは、とてもダービーが盛り上がるはずがない。

2015年秋にはG大阪の新スタジアムが完成するという。ということは2016年シーズン、C大阪もJ1に戻ってきて、ともにキャパの大きいスタジアムで、それぞれのホームの時、それぞれのチームカラーで埋め尽くされる熱狂のダービーが始まることを願わずにはいられない。

③宇佐美貴史の「いい眺めだなぁ」パフォーマンスは、世界中探しても記憶にない新しいパフォーマンスだと思うし、サポーターも一緒に同じポーズをとっている。これは、世界に発信できる彼の財産だと思うが、来年まで続けられるかどうかにかかっている。

彼の場合は、今年ブレイクしたFC東京・武藤嘉起と違って、数年前からその才能は折り紙つきだったので、むしろ昨年の柿谷曜一朗と同じく、花開くべくして開いた感がある。

宇佐美選手のシュートフォームを見ていると、あの、華奢な体つきで、よく強いシュートが打てるものだと感心する。従来にないストライカーと言えるし、ぜひ大成して欲しい。それこそ、釜本以来、絶えて久しい世界に通用するストライカー、釜本が初代監督を務めたG大阪から生まれるなら、なによりというものだ。

④J2から戻って即三冠、こういうチームがこれから先10年やそこらでまた出てくるとは思えない。相当珍しいケースと考えたほうがいいのではないか。だとすると、20年先、30年先のサッカー史研究者は、なぜ、このチームが三冠を成し遂げられたのか、前年J2で戦っていたことも因果関係となるのかなど、さまざまな視点から研究対象にするのではないかと思える。

できれば、未来の類似チームに対して戦略モデルを提示できればと思うし、今回の快挙に関心を寄せるとしたら、そこに核心があるのではないだろうか。

さきほど①の項目で「2012年の混迷は一体何だったのか10年先、20年先には、ほとんど問題にされないと思うが・・・・・」と書いたが、2014年三冠の快挙は20年先、30年先にも語り継がれるに違いない。

ところで、今朝のスポーツ紙を当然注目した。しかし「G大阪三冠」を一面トップで扱ってくれたのは「日刊スポーツ」1紙のみ。あとは競馬予想記事だ。スポーツ紙のスポーツジャーナリズムとは、所詮この程度なのか、サッカーの魅力が低下したからなのか、検証に値する。





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ザッケローニ監督の残した遺産Part.2

2014年12月04日 21時05分40秒 | サッカー日本代表
しばらく書き込みを休みました。
これまで、OCNの「ブログ人」というツールを利用していましたが、夏に連絡があり「11月末でサービス終了です。gooブログに引越しされるなら『簡単引越しツール』で出来ます」と言われ、とりあえず引越しだけ済ませ、しばらく書き込む気になりませんでした。

12月に入って、ブログ人のほうは「サービス終了」の張り紙が出ていて、ダイレクトジャンプ設定をしていただければ、gooブログにジャンプしますとのこと。

とにかく、気を取り直して、また書き込みを続けたいと思います。

前回の書き込みタイトルは10月6日付け「ザッケローニ監督の残した遺産」でした。

そうしたら、スポーツグラフィック「ナンバー」誌866号の特集が「ザックジャパンの遺産」
サブタイトルは「通訳日記」で読み解く14の教訓とのこと。

ザッケローニ監督の通訳を務めてきた矢野大輔氏が上梓した「通訳日記」による遺産の再検証と教訓の提示となっている。

その「通訳日記」は、今日現在まだ読んでいないが、ナンバー誌によれば、ザッケローニ監督がW杯に敗れてなお選手たちに慕われ信頼される存在になれたかを、組織マネジメントの観点から読み解くと明らかになると検証している。

前回のブログでも書いた本田圭祐、岡崎慎二、香川真司選手らの生き生きといた戦いぶりに加え、ナンバー誌では、長谷部誠選手と内田篤人選手がザッケローニ監督が離日する日に空港に見送りに出たことを取り上げていた。

そして「こうした姿は、ザッケローニ監督が日本代表監督という立場にありながら、選手個々人の価値向上のためにアドバイスを与え続けたリーダーだった。日記を読む限り、個人の成長を促すコミュニケーションは、サッカーの戦術論を唱えるのと同等かそれ以上に頻繁に交わされていたようにさえ思える。」と分析している。

私は2年ぐらい前から、ワールドカップ本大会を戦う監督の資質としては不満を抱いていたし、ナンバー誌もその点は「適任だったかどうか再考の余地がある」としているが、選手に残した遺産なども含めた長期的な遺産という観点も加味すれば、負けたのだから全て「×」と烙印を押すものではないと考え直している。

後任のアギーレ監督には、ここにきてスペインリーグ監督時代の疑惑が投げかけられ、思いもよらない状況が生じている。

日本代表監督とは、かくも難しい立場といえる。
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