渡部
「梅岩先生の講座は、授業料も取らないし、紹介もいらない。
女性もどうぞということで、当時としては非常に画期的なものでした。
儒学は上の方から教えます。お寺も神官もおなじです。
ところが梅岩先生は、習う人と教える人の目線がおなじですなんですね。
これが心学の一番の基本です。
そして一番の重要なのは、聴きに来る人がおもしろくなくてはいけない。
ためにならなければ人は聴きにこないという、スタンスです。
そういうところが先ほど申し上げたように、現代になってから講談社に
において、継承されるんです。
石田
「私も梅岩先生のこうわをまとめた「道話全集」は何度も読みました。
印象に残っている話しに、例えば講釈をやって外に出てみたら、一人の
夫人が外で聴いていたというのがありましたね。あすの晩も講義をやり
ます。今度は席を取っておきますので、中でお聞きくださいと言ったら、
今晩仕掛けられた罠にかかってしまいますので、明日の晩はこられません。
つまりきつねが化けて聴講していたわけです。
そして、罠を仕掛けられたのを見知っておりながら、なぜ罠にかかるのかと
いうあたりの問題提起が、実にうまく書かれていますね。
渡部
「そうですね」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/ac/ac825dcebe0815dc9fe8d87d5149de2e.jpg)
石田
「それから魚売りが武家屋敷に魚を売りに行く話しもありました。
せっかく売りに行ったのに買ってくれないので、荷物をしまって帰ろうと
したら、金だらいが雨だれの下に置いてあったと。それを籠の中に隠して門を
出ようとしたところを呼び止められた。「全部買ってやるから、もう一度魚を
広げてみろ」と。魚屋は打ち首を覚悟して広げると、いろんな話を聞かせても
らったすえに「たまにはそのたらいで心も洗え」と言われて堪忍してもらった
というのがオチなんですね。
こういう話は、手島堵庵の時代に、いかにもおもしろく聴衆に聴かせるかとい
うことで、他の弟子達と一緒に随分知恵を絞ったようです。
渡部
「一生懸命おもしろくしようとするんですね。」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f6/6e60e13962d7853654c2623a45a48ba8.jpg)
石田
「けれども、おもしろい話をしようとするあまり、だんだん話が学説から離れて
いくという、弊害もありました。それを手島堵庵が、憂慮して、前講、中講を務
める人は、事前に原稿を出して、了承を得られなければしゃべれなくなったらし
いですね。そういう具合に、おもしろく聴いてもらいながらいかに人の道を説い
ていくかということについて、梅岩先生はじめお弟子さん達は随分苦労したと思
います。
渡部
「しかも女性も入れるということを、儒者たちから批判される中でね。」
石田
「女の人に対してどうぞお聴きくださいというようなPRをした時に、他の学者
から、女子こどもに儒学が読めるかというようなことを言われ非難されていま
ますね。梅岩先生は当初、聴く人なくば辻立ちしてもとか、聴く人なくもなく
とも我が志しを述べんというような、並々ならぬ覚悟を披露しています。
地元を離れた梅岩先生に対して、君一人の食い扶持くらいはなんとかなるから
帰ってこいといって迎えに来た人もいました。しかし先生はそれを拒んで、そ
こに留まれられるのです。
渡部
「そこまでの強い思いがあってこそ、多くの人を強く惹き付けたんですね。」