倉富和子の女のひもとき in USA

生活に緊張感を与える為に、ブログを書く事にしました!心導・縄文ストレッチ・DNAメソッドを広めるため、世界中を巡ります。

小さい時の秀吉と梅岩先生の共通点。Common point of Hideyoshi and Baigan

2015-08-05 10:14:57 |  縄文心導ヒーリング
ー今なお生き続ける梅岩の教えー

石田二郎氏、渡部昇一氏対談より

石田ー本日は遠方よりわざわざお越しいただきまして、ありがとうございます。

渡部ー石田梅岩先生の生誕の地で、ご子孫である二郎さんと対談させていただけ

るということで、とても楽しみにしてまいりました。

それにしても大きなお屋敷ですな。昔から名家というのは一町屋敷といった

ものですけども、それに準じるような規模です。

梅岩先生の生家は、ただのお百姓ではなかったようですね。

石田ー ここは二千五百平方メートルほどあります。建物自体は梅岩先生のの死後、明和

年間に焼けたのを立て直したものだと聞いておりますが、悠々たる自作農だった

ことが窺えます。

渡部ー当時はそういう家でなければ学問は出来ません。梅岩先生は11歳で呉服屋に奉公に

出ますけれども、それまでに下地となる教養を相当積んでいるはずです。

そういう基礎がなければ、急に漢文なんか読めませんからね。

よく秀吉が水呑み百姓の子だったといいますが、実際はそうでもなかったといい

ますが、実際はそうでもなかったようです。子供の頃は暴れ者で、寺に預けられ

たというんですが、水呑百姓の子どもを預かってくれる寺なんかありませんしね

(笑)やっぱり其れ相応の家だったと思うし、そうでなければ、彼の巧みな人を使

うような発想は生まれないと思います。

同じようなことは、梅岩先生にも言えると思うんです。四十五歳で心学に開眼して

講座を開き、四書五経だけでなく、朱子学や「近思録」というのは、どこであれだ

けの素養を身につけたかというと、やはり学問の下地を作れるような家に生まれた

に違いないのです。

石田ーあそこに見えるのが菩提寺ですけれども、お寺も絶えず遊びに行っていたんでしょ

う。学問の最初の手ほどきは、そこの和尚がやっていたのだろうと記録に残ってい

ますが、私もそう思います。

渡部ーあぁ、そのような記録が。

石田ーはい。ただ、梅岩先生が講座を開いていたのはここではありませんから、先生に

関する資料もここにはあまりございません。ほとんど京都の篤士家の方々が管理し

てくださっているようで、ありがたいことだと存じております。

渡部ー京都には記念館のようなもはないのですか。


石田ー特別にはございません。以前は心学の講義が行われていた学舎で熱心にやっておら

れた京都大学名誉教授の柴田実先生がお亡くなりになるなどして、いまはほとんど

活動もなくなりました。修生舎だけは、イセトー小谷会長さんが生前一生懸命に盛り

立てて下さって板のウィ、息子さん達が跡を継いでお世話して下さるというようなご

挨拶をいただきました。

渡部ーそうやって志ある方がいまも継承されているんですね。





コメント
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