倉富和子の女のひもとき in USA

生活に緊張感を与える為に、ブログを書く事にしました!心導・縄文ストレッチ・DNAメソッドを広めるため、世界中を巡ります。

外国の借り物でない浮世絵と心学The one which isn't a borrowed article from a foreign country,",

2015-08-09 09:11:35 | Weblog
それぞれの出会いー
石田
「渡部先生は、どういうきっかけで石門心学に興味を持たれたのですか。」

渡部
「私は子どものころから講談社の「キング」だとか、「修養全集」なんかを

読んでいて、それらの中でよく名前が出てくるもんですから、知らず知らずの

うちに馴染んでいたんです。

学生時代には石原謙先生の「石門心学史の研究」という大きな本を古本屋から

買ってきて、ペラペラめくったりしていました。

その後留学して日本とは何かと真剣に考えるようになった時に、浮世絵とか

心学が浮かんできたんです。この二つだけは外国からの借り物ではなかったと。

石田
「なるほど。」




渡部
「だから私の場合は特定の誰かから教わったというのではなくて、講談社文化

の影響が大きいですね。例えば「修養全集」の第1巻を開くと、折り込みに中村

不折の素晴らしい絵が載っているんです。

その絵というのが、釈迦と孔子とキリストの三人が語り合っている絵なんですね。

これなんか石門心学そのものなんですよ。

考えてみれば、そういう本を出版する講談社を作った野間清治という人も、まさに

心学そのものでした。石田さんはいかがでしたか。ご先祖さまの偉大さを認識する

きっかけのような物はあったのですか。

石田
「それこそ百姓の子で、百姓以外は勉強させてもらえなかったもにですから、なか

なかね(笑)若いこ頃の記憶で一つ印象に残っているのが、東京の湯島聖堂で梅岩の

250年祭があったときのことです。羽織袴の親父のお供をして参加したんですけれ

ども、そこに石門心学の最高顧問を務めてくださっていた高松宮殿下が、妃殿下と

一緒に会場に見えられて、お茶席でお二人の真正面に座らせていただいたんです。

その時に殿下外国からの、「どうですか、その後石門心学は?」というようなご

質問されましてね。言葉が見つからなくてモジモジしていたら、妃殿下が横から

、「若いボンがおいでですから、大丈夫でしょう」と助け船を出してくださった

んです。東京までどうやって行ったかは覚えていないのですが、あのやり取りは

今でもよく覚えています。それが梅岩先生との最初の出会いといっていいでしょう。

渡部
「それは印象的なエピソードですね。」

石田
「それから結婚後に、子どもの火曜地元の小学校で世話役をやっていたんですが、

ちょうど学校が創立100年を迎えて、ある方が梅岩先生の胸像を寄進されたのです。

その除幕式でうちの子供がお世話になって、これは梅岩先生に子孫として、何とか

しなければいかんなぁとのいうようなことを考えるようになりました。

ですからそういう外からの影響を受けるうちに自覚を持つようになったのです。
コメント
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