4月より中学校の校長になりました、中野といいます。
よろしくお願いします。
3月までは中3の担任をしていました。彼らと一緒につくってきた3年間という時間のなかで、中学校の姿をたくさん想像してきました。
4月には、中学1年生たちが、入学してきました。1月の中学校の入学試験で、「算数」の授業を担当しました。そのときに感じたことがあって、いつか彼らに伝えたいなぁと思っていました。彼らの感想文の中に、
最初に間違ってもいいと言ってもらえて、気が楽になった
というものがありました。
それを読んで、授業の冒頭に、たくさんの意見や考えを出してほしくて
間違ってもいいからね~
と言ったのを思い出しました。私は本当に軽い気持ちで言ったのですが、そういうふうに受け取る受験生たちが複数いて、そのことを感想文に記したことに、ちょっとおどろきました。
入学式のときの「ことば」では、そのことに触れました。
間違えてもいい
ということに安心感を持てるということは、もしかするとその人自身に縛られている何かが、だんだんとほぐれていくことなのかもしれない。そして、そうやってほぐれていけば、ほかの人の失敗を、自分自身が許せるようになるのかもしれない。そんなふうに思います。
こんなことをしゃべりました。このほかにもいろいろと話しました。
担任をしているころは、生徒たちの姿を見て、感じたことや伝えたくなるようなことがたくさんありました。クラスの日常的な会話やHR、あるいは学年集会でも。
目の前にしている人たちに、自分自身の考えを映し出すこと。それを通して言葉ができていったのだと実感しています。
「目の前にすること」がなかなかむずかしくなってしまったのが、最近の悩みです。
校長室からちょっと離れて、あちこちに割り込ませてもらおうかなと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
3月までは中3の担任をしていました。彼らと一緒につくってきた3年間という時間のなかで、中学校の姿をたくさん想像してきました。
4月には、中学1年生たちが、入学してきました。1月の中学校の入学試験で、「算数」の授業を担当しました。そのときに感じたことがあって、いつか彼らに伝えたいなぁと思っていました。彼らの感想文の中に、
最初に間違ってもいいと言ってもらえて、気が楽になった
というものがありました。
それを読んで、授業の冒頭に、たくさんの意見や考えを出してほしくて
間違ってもいいからね~
と言ったのを思い出しました。私は本当に軽い気持ちで言ったのですが、そういうふうに受け取る受験生たちが複数いて、そのことを感想文に記したことに、ちょっとおどろきました。
入学式のときの「ことば」では、そのことに触れました。
間違えてもいい
ということに安心感を持てるということは、もしかするとその人自身に縛られている何かが、だんだんとほぐれていくことなのかもしれない。そして、そうやってほぐれていけば、ほかの人の失敗を、自分自身が許せるようになるのかもしれない。そんなふうに思います。
みんながこれから過ごしていく自由の森学園という場は、みんなが、ひとりひとりが、自分に絡みついた「ひも」を自分自身の手で ほどいていく場所です。
ひとりで ほどいていくというよりは、ここにあるいろんなものや人を通して ほどいていけるといいなぁと思います。何かの不安を取り除くには、
ほかの人の失敗を、あなたが許せるかどうか
ということとも関係がありそうな気もします。
こんなことをしゃべりました。このほかにもいろいろと話しました。
担任をしているころは、生徒たちの姿を見て、感じたことや伝えたくなるようなことがたくさんありました。クラスの日常的な会話やHR、あるいは学年集会でも。
目の前にしている人たちに、自分自身の考えを映し出すこと。それを通して言葉ができていったのだと実感しています。
「目の前にすること」がなかなかむずかしくなってしまったのが、最近の悩みです。
校長室からちょっと離れて、あちこちに割り込ませてもらおうかなと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
なかの