自由の森日記

埼玉県飯能市にある自由の森学園の日常を校長をはじめ教員たちが紹介

2014年度 自由の森学園高等学校入学式 校長の言葉

2014年04月26日 | 自由の森のこんなこと
高校校長の新井です。
またまた遅くなってしまいました。4月9日に行われた高校入学式で私が話しをした「校長の言葉」を掲載します。



新入生のみなさん、入学おめでとうございます。
保護者のみなさん、お子さんのご入学おめでとうございます。

新入生のみなさん、みなさんは今日からこの自由の森学園高等学校の一員になりました。
自由の森学園の人たちの中でよく使われている言葉があります。
それは、「学ぶ」という言葉です。
一方で「教わる」「教えてもらう」といった言葉があります。これらの言葉を全く使わないわけではありませんが、圧倒的に「学ぶ」といった言葉で語られることが多いと感じています。
ここに自由の森学園の大きな特徴があると思っています。
それは、自由の森学園で大切にしている「学び」というものは、「教えられる」「教わる」という受け身の行為ではなく、「学びとる」といった主体的な行為であるからだと思います。

今日は、この「学ぶ」ということをイメージするために、ある一人の人物とその言葉を紹介します。

20世紀を代表する教育学者にパウロ・フレイレという人がいます。
フレイレは1921年、ブラジルの北東部に生まれました。このあたりは長い間ポルトガルの植民地だったことで、とても貧しく、農民たちはしばしば干ばつと飢餓に苦しんでいました。貧困のために学校に通うことができず、大人でも半数の人は文字を読むことさえできませんでした。
こうした地域で半生を過ごしたフレイレは、文字を読めない人たちに読み書きを教える教育(識字教育)に関わるようになりました。そしてこの仕事がブラジルだけでなく世界中から注目を集めるようになるのです。

フレイレは「読むという行為は、書かれた言語を解読することに尽きるものではない」そして、文字を読むことよりも、世界を読むことが重要であると言っています。

さらに、彼の名声を高めたものは、それまでの学校教育を「銀行型教育」または「預金型教育」と指摘し、痛烈に批判したことによります。
「銀行型教育」の特徴としてフレイレが掲げたものの一部を読んでみましょう。

「教師は教える人、生徒は教えられる人。
教師は知っていて、生徒は何も知らない。
教師は考える人、生徒は考えられる対象である。
教師がしゃべり、生徒が耳を傾ける。おとなしく
教師が訓練し、生徒は鍛えられる。
教師が選択し、その選択を押しつけ、生徒はそれに従う。(以下略)

こうして教育は預金行為になっていく。生徒は貯金箱で、教師は預金者。(中略)ただのレコーダーにすぎない生徒たちは、辛抱強く受け入れ、記憶し反芻する。これはまさしく預金型教育というものだ。」

どうでしょう。これほど極端ではないにしても、みなさんが今まで受けてきた授業のなかに思い当たるところがある人もいるのではないでしょうか。

フレイレは、単に情報を伝達するだけの「銀行型教育」「預金型教育」では、真の知識は生まれないと言っています。
そして、彼の批判は、学校だけでなく、今までため込んできた知識や経験だけで判断してしまう、結論づけてしまう社会のあり方にも向けられていると私は感じています。

授業において情報を伝える・受け取るということはとても大切です。しかし、単に情報を受け取るだけで終わるのではなく、その情報をもとに、自分で調べたり、試したり、考えたりすること、つまり自らが主体的に学んでいくということ、自分で自分をつくっていくということが、本当に大切なのだと私は思っています。
そして、そのうえで、教室にいる生徒と教師とが共に考えあい、共に学びあうことが、学校というものの役割であり、学校の可能性なのだと思います。
自由の森学園で使われる「学ぶ」という言葉には、そんな思いが込められているのではないでしょうか。

さて、今から30年前の1985年4月13日、点数序列を超えた教育・競争原理を超えた教育を目指し、自由の森学園は開校しました。
30年前の4月には、まだこの体育館が建設されていなかったため、開校式と第1回入学式は飯能市民会館で行われました。
入学者の人数と会場の都合から、生徒は客席、教員がステージに並びました。今とは反対ですね。体育館が完成した第2回の入学式からは、新入生がステージに並ぶという今の形になり、以来29年間、この形は変わっていません。
ここにも自由の森学園が大切にしている思いが込められています。

それは、今日入学したみなさん一人ひとりが、自由の森学園という学校においては主人公であるということです。みなさんは単にあらかじめ用意された教育サービスを受け取るだけの「利用者」でも「消費者」でもありません。ましてや「貯金箱」でも決してありません。
今日からみなさんは自由の森学園の教育をつくっていく「仲間」なのです。

先ほど私はみなさん一人ひとりが主人公であるとお話ししました。
私は、自由の森学園に集う一人ひとりのものがたりが集まってそれが自由の森学園だと思っています。
どうかみなさんも自分のものがたりを、まわりにいる人のものがたりを大切にしていって下さい。そうして、自由の森学園を一緒につくっていきましょう。
入学おめでとう。
自由の森学園高等学校
校長 新井達也


参考文献:パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む 里見実著 太郎次郎社エディタス

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