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何も考えずに、でも何かを求めて、鉄道の旅を続けています。今夜もmoonligh-expressが発車の時間を迎えます。

小樽の市街地に旧手宮線がきれいに保存されている件

2022年09月04日 | 鉄道


話しは北海道に飛ぶ。先月訪れたのは小樽の町。まあ、仕事といえば仕事、遊びといえば遊びなのだが、今年北海道は二回目。春先、小樽の北防波堤ケーソンヤードを紹介したことがあったが、その続きの訪問。春に荷物を取りに行き、今回はその荷物をまたまた北海道に届けるというもの。
今回は、小樽市がメイン。小樽市の市街地を散策していると、街の真ん中に線路跡を発見した。JR小樽駅から正面の中央通りを400メートルほど小樽港へ向かった地点だ。中央通りにも踏切のない軌道が設置され、その地点に立つと南北両側に伸びる線路はきれいに整備されているのが見て取れる。
これは旧国鉄「手宮線」の廃線跡。傍らに遊歩道も整備されていて、市民ボランティアだろうか、除草作業や花の植栽に多くの方たちが出ているとともに、観光客が記念写真を撮ったり、線路を歩いて散策を楽しんでいる姿が目に留まる。
(写真上:正面に小樽駅が見える中央通りと、その中央通りと交差する旧手宮線)



手宮線は、北海道開発のために1880年(明治13年)に北海道初の鉄道路線として開業。現・南小樽駅(当時は小樽駅)から、港(桟橋)のあった小樽市手宮を結ぶ2.8キロが現在保存区間だが、当時、官営幌内鉄道の一部として札幌や遠くの三笠市幌内とも結ばれており、石炭や海産物を小樽港に運ぶ役割を担っていた。
北海道初の路線といったが、日本でも新橋~横浜、大阪~神戸の間に次いで3番目の歴史のある路線。総延長からすると幌内までだと80キロ以上あるので、冬の過酷気象状況にあるな北海道の地で日本の鉄道史に残る過酷な線路敷設作業が繰り広げられたという。
幌内鉄道は、アメリカ人の鉄道技師であったジョセフ・クロフォードの計画・指導により建設された。そのためアメリカから輸入された蒸気機関車は、西部劇に登場するような形式。最初の機関車は「義経・弁慶」と名付けられて、北海道の開拓に寄与した。
(写真上:花々に囲まれた旧手宮線の線路跡には、観光客が集まり記念撮影をしたり散策したりして楽しんでいる。)



とにかくきれいに保存されている。保存施設は国の重要文化財(近代化遺産)、線路は日本遺産(炭鉄港)の一部でもあり、そのことが契機となって市民がボランティアに参加したり、行政が手を入れたりするようになったと思いきや、それ以前からこの路線を守る運動はあったとのこと。
観光地であり、観光客に人気の寿司屋通り付近から北に保存整備されているので、運河沿いの散策の後、お寿司を食べて手宮線を散策しながら復路も楽しむというコースも人気。この町を楽しむために訪れた人を、町の人がきれいにしながらおもてなしをするという感が伝わってくる。
手宮線の終点(正確には起点)には、小樽市の総合博物館(本館)がある。手宮線を利用して北海道で活躍した鉄道車両が静態保存されている。こちらも鉄道ファンならずとも小樽観光の際は訪れてほしい場所である。
(写真上:手宮線の終点(起点)の小樽市手宮では線路が分岐し、小樽市総合博物館(旧手宮駅)へと続いている。博物館にある保存車両はこの路線を利用して搬入された。写真下:小樽市総合博物館で保存・展示されているアメリカ製の蒸気機関車「しずか号」。しずか号は幌内鉄道6両目の機関車。義経号は京都鉄道博物館、弁慶号はさいたま市の鉄道博物館で保存・展示。)






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