ふつう、本は一人の著者によって書かれる。小説であれ、エッセイであれ、ドキュメンタリーであれ。もちろん、複数の場合もあるけど(たとえば「読売新聞社会部編」とか)、それは例外的なケースだ。それに、複数の著者がいても、章ごとに分担がわかれていたりする。つまり、実際に書いているのは、一人。一つの文章を、二人で書くなんてことは、基本的にはありえない(そんなの、気持ち悪い)。
でも、それはなぜだろうか。当たり前すぎて考えるまでもないように思えるけど、やっぱりそれは、そもそも言葉が一人の人間の口から発せられるものとして成り立っているからだとしか思えない。言葉は、一つの主体によって紡ぎだされる。一つの意味内容を、二つの主体が同時に心に浮かべて、それを共同で言葉にしようなんてことは、普通の状況ではありえない。主体が複数になったとき、そこに生み出される言葉は「モノローグ」ではなく、「対話」となる。だから、そこからは散文性が失われてしまうのだ。
音楽はどうだろう? 音楽は、言葉とは違う。複数の音色が存在しても、そこにはハーモニーが存在し得る。むしろ、様々な個性がぶつかりあうことによって、一人では創造しえない世界を作り出すことができる。ドラムがあって、ベースがあって、ギターがある。三人がせ~ので演奏を始めたら、やっぱりバンドっていいな~としか思えない迫力のある音楽が奏でられ、そして誰もが胸躍らせてしまうのだ。ところが、三人の著者がいて、せ~ので一つの文章を書き始めたら、たいへんなことになる。お互いが邪魔で邪魔でしょうがない。いくらもたたないうちに、全員が、独りにさせてくれ、と根を上げるだろう。かように、音楽の世界と言葉の世界は違うのだ(続く)
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/ー-ニ.._` r-' |…… 「突然ですが、新連載を開始してみました」
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『とかげ』よしもとばなな
『ほんとうの心の力』中村天風
『かくカク遊ブ、書く遊ぶ』大沢在昌
『アトランティスの心(上下)』スティーヴン・キング/白石朗訳
言葉のレトリック...難しいくも大きな命題ですね。これから常に心の片隅に置くようにしたいと思います。