イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記パートII ~いつまでも、僕は君を待っている~ その2

2010年10月25日 06時56分57秒 | 旅行記
8月13日。JR中央線「武蔵境駅」4時45分発の中央線に乗った。目指すは。浜田駅。広島から高速バスに乗り、予定通りなら到着は1時頃になるはずだ。駅ではイットマンが待っていてくれることになっている。

こんな早朝にもかかわらず、電車内は混んでいた。ガラガラの電車での快適な東京駅までの旅を予測していたので少々面食らう。こんなに朝早いのに、なぜこんなに混雑してるのだろう? みんないったいこれからどこに行くのだろう? でも考えてもしょうがない。行く先まではわからないが、ともかく今はお盆。全国津々浦々からやってくる人々が多く暮らす東京では、誰もが故郷を目指す時期なのだろう。それに、そう考えているのはみんなも同じかもしれない。僕だって車内のスペースを狭くしている要因のひとつなのだ。

中央線の車窓に映る見慣れた光景を長めながら、一年前の自分を思い出さずにはいられない。去年は、ものすごく気分が高揚していた。たしかあの時は前夜にほぼ徹夜してしまい、何が何だかわからないままダッシュして怒濤の中央線に飛び乗ったんだっけ。緊張のあまりスペースシャトルに乗り込む宇宙船の船員のような心境だった。浜田は、一年前の自分にとっては宇宙に匹敵するほどの未知の世界であり、ホームに佇む出発前の新幹線が、「スーパーおき」が、時空を超えて異次元に旅立つタイムマシンか銀河鉄道999のように見えた。実際、広島から高速バスにのるべきところを新山口経由の「スーパーおき」というアホなルートを選び、さらには新山口で3時間も待たされたあげく、ようやく夜の7時に浜田駅に到着したときは、月面に降り立ったアームストロングのような気持ちになったものだ。それが今や、社員旅行先の熱海に温泉旅行に出かける勤続18年目のサラリーマンのようなくつろいだ気持ちでいる。あまりにも緊張感を失いすぎだろうか。

一年前と、何が変わったのか? 何も変わってはいない。相変わらず僕は日々の暮らしに翻弄され、些末なことに視野を奪われながら、迷いの多い毎日を生きている。強いて言えば、変わったのは、ひとつ年をとったこと、そしてお腹周りの贅肉が増えたことくらいだ(推定、約5キロ増)。たしかに去年みんなと再会して、素晴らしい体験をして、僕は有形無形の大きな力を得た。だが、一年ぶりにみんなと会って、どんな気持ちになるのかはわからない。その答えは、数時間後に降りたった浜田の地が教えてくれるだろう。

去年の旅が、28年という長い年月をかけて氷のように固く冷たく風化させてしまっていた記憶を溶解させるものであったのならば、今回は、まだまだフレッシュな味わいが感じられるボジョレ・ヌーボーを、1年ぶりに解禁させる気分。前世での出来事かと錯覚するほど時間的隔たりのあった懐かしい友との幼少時代の記憶を辿るのではなく、昨夏の楽しい思い出が蘇る。僕は昨年のような決死隊のような心境ではないが、そもそも前回と同じように緊張するほうがおかしいのだ。

あっという間に東京駅。新幹線の切符を買ったのはほんの数日前だった。6時00分発のグリーン車。去年の浜田再訪では、もちろんグリーン車などには乗らなかった。だが、今年は経済的にもかなり余裕ができたので、迷わずグリーン車のチケットを購入した。というのは嘘で、前々から浜田に行くことはわかっていたはずなのに、ギリギリになってようやく切符を買いにいったので、指定席も自由席も満席で、グリーン車しかなかったのだ。

構内で弁当とお土産を買った。前の晩にタイミングよく見たテレビの駅弁特集で予習していたので、買うのは「深川めし」に決めていた。改札をくぐり、この際だから「毎回グリーン車に乗っている然」をさりげなく装って、さっそうと『のぞみ』に乗り込んだ。グリーン車はやっぱり何かがちょっと違う。何かが少しだけ違う。嫌味なくらい違う。スペースが広い。おしぼりも出てくる。飛行機みたいに前の座席の背面の網目のラックに雑誌も入れてある。僕はこの手の雑誌がとっても好きで、旅をすると荷物になるのがわかっていながら必ず旅の間中ずっと旅行鞄に入れて携帯する。光り物を好んで収集するカラスと同じだ。

前の席で携帯型のゲームに興じているは子どもをぼんやりと眺めながら、博多に向かう列車に充満する「西日本の気配」を感じた。東海、関西、中国、そして九州。僕の父親の故郷は福岡市の大名で、母親は山口県の向津具という辺境の地の出身だ。僕自身は鹿児島で生まれ、5才で浜田に越し、その後、金沢、舞鶴、京都市、大津市と転々として、10年前に上京した。つまり、僕の人生を地図上で辿れば、西から東への民族大移動なのであり、東京から福岡へと走り出そうとしている列車は、さながら僕の半生を時系列に沿って回顧する絵巻物のようにも思える。車内で人々が話す関西弁、広島弁、九州弁的な言葉が懐かしい。やっぱり自分は西の人間なんだとあらためて感じる。何しろ、茨城以北には行ったことがないのだ。

6時ちょうど、西日本軍団を乗せたのぞみ1号が走り出した。車窓に映る模型みたいな街並みが次々と過ぎ去っていき、徐々にリアリティが失われていく。これが僕の生きている場所なのか? 都市でのうたかたの日々を生きる僕のスイッチはオフになり、西の地で過ごした時代にいつも身近に感じていた、いにしえの自分に立ち戻っていくような気がした。

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6 コメント

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まってました~☆ (やすきよ)
2010-10-26 21:45:52
今年も浜田に来ていただいて、一緒に楽しい時間を過ごすことができたこと、本当にうれしく思います。そしてその時のことをまたここで思い出しながら読めることをうれしく思います。お仕事が忙しいのだろうと思っていました。今年はどんな浜田だったのか、楽しみに拝見します。
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ありがとうございます! (いわし)
2010-10-26 22:06:46
やすきよさん

コメントありがとうございます!

こちらこそまたおふたりに会えて本当に嬉しかったです。2回目を書くまでに2ヶ月以上を要してしまいましたが(汗)これからはもっとハイペースで更新したいと思います! おふたり登場の回までもうしばらくお待ちください~(^^)/
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楽しみにしてました♪ (イトコーズはるみ)
2010-10-28 22:27:45
こんばんは。
毎回チェックしながら「その2」楽しみにしてました~(-´∀`-)
今回の帰省話はえいこちゃんからは全く聞いていなかったのでどんな事が起こったのか気になって仕方がなかったです(笑)
またドキドキワクワクな浜田話楽しみにしています(๑→‿ฺ←๑)
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ありがとうございます! (いわし)
2010-10-28 22:39:27
はるみさん

コメントありがとうございます!
その2、ずいぶんと間が開いてしまってごめんなさい。その3もあと数日以内にはアップいたします。

去年とはまた違った思い出がたくさんできた今回の旅行、うまく書けるように頑張ります!
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Unknown (はち)
2014-06-12 13:12:34
はじめまして、15歳くらい年上の卒業生です。
何となく長浜町の画像の検索をしていて、長浜小学校の写真を見つけてその下に載っていたURLからブログにおじゃますることとなりました。
盆暮れには実家に帰っていますから、そんなに懐かしがる事もなかろうに、と思いますが、やはり懐かしい。
あの懐かしい木造校舎の中も見られて、本当に嬉しく、また、自分が同級生になった様な気持ちになりながら読ませて頂きました。

覚えていますか?校庭の築山にあった(今もあるかな?)湯川秀樹博士の言葉。

『一日生きる事が一歩すすむことでありたい』

真摯な科学者のこの言葉は、子供時代のにぎやかな思い出とともに、心の奥に残っています。

あと、コマッツキーさん、多分私の行っている美容室の方だと思いますよ。今はよその支店に移られていますが、以前私が浜田市の長浜町の出身だと言った所、僕は熱田なんですよと言っていました。高校も同じ浜商でした。

偶然って面白いですね。

おげんきで、お暮らし下さいね。
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ありがとうございます! (iwashi)
2014-07-21 20:48:57
はちさん、コメントありがとうございます。気づくのが遅くなってしまいまして申し訳ございません。
旅行記を読んでくださりどうもありがとうございます!

『一日生きる事が一歩すすむことでありたい』

文字を目にして思い出しました。たしかにそう書いてあったような気がいたします。当時は漠然としか理解できませんでしたが、とてもいい言葉ですね。

コマッキー君とつながりがあるとは、世の中は狭いですね^^

浜田は本当によいところでした。またいつか訪れたいと思っています。
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