最近、電車のなかで外国人に遭遇する機会が増えた。
というのも、新宿の某会社に居候させてもらえることになって以来、必然的に毎日電車に乗ることになったわけで、そうすると必然的に電車内で外国人をみかける機会も増えたというわけなのである。そして――外国語に関係する仕事をしている僕としては――必然的にいろいろと胸中に去来するものがあるのである(ただし、居候は必然的なものではまったくなく、僕が一方的に「押しかけ勤務」しているだけなのだけれど)。
あくまで個人的にだが、駅の構内や電車内で遭遇する外国人たちは、よく喋っているという印象を受ける。というか、外国人はどこであっても喋るとは思うのだが、今の自分には、電車のなかくらいしかすぐ近くでしゃべっている生身の外国人に遭遇する機会がないのだから、そういう印象を受けてしまうのだろう。彼女/彼らが電車に乗る理由は、旅行、ビジネス、あるいは日本に長く滞在しているから、などなど様々なのだろうが、やはり外国に来ると気分も高揚しているのか、楽しそうに、あるいはかなり真面目に、いつまでも話題は尽きないといった感じで延々としゃべり続けていることが多い。複数でいるのに、黙ってむっつり電車に乗っている外国人をみかけることはあまりない(むっつりしているから印象に残らないだけなのかもしれないけれど)。
ともかく、彼らは立て板に水のごとくしゃべり続ける。東京の電車にのるとなかなか面白い発見があったりしてついついいつもより余計にしゃべりたくもなるのだろうし(車内は混雑しているし、路線もこれでもかというくらいに張り巡らされているし、そして運行は外国人からみたらおそらく「不自然」と思われるくらいに正確だ)、よく言われるように外国人はパーソナルスペースが広いということも関係しているのかいないのか、かなり人がぎっしり詰まっている車内でも、相当に大きな声でしゃべり続けている。日本人でも大声で話し続ける人は大勢いるが――酔った場合の僕がまさにその典型だ――素面の真面目な小市民的日本人からみたら、少々迷惑に感じかねないほどの一部の外国人たちの話しぶりは、ひょっとしたらあまりにも狭い空間に多数の人々が押し込められているという一種のジョークめいたシチュエーションをうまく認識できていないためなのか、あるいは認識できていたとしても、欧米には「お互い、こういう個人の自由が剥奪されているような世界では、プライバシーを確保するために相手を岩だと思いましょう」というようなある種の紳士協定のようなものが存在し、そのためにあえて相手が存在していないかのごとく、傍若無人に振る舞っているのかも知れないと思ったりする。
とはいえ、そういう風に外国人が延々と喋り続け、日本人は黙って携帯の画面をみながら黙々と親指を動かしているという電車内の光景それ自体は、別段気になることはない。むしろ内心は「外国のお方よ、よくぞ日本に来てくれました。楽しんでいらっしゃるようで何よりです。旅を満喫してください」などと思ったりしているのだが、それとは異なる次元で、僕は電車内ですぐ近くによくしゃべる外国人の一団がいるという状況が苦手である。
というのも、僕は毎日、ほとんど一日中、英語の原文と格闘し、ネイティブからみたらおそらくなんてことはない表現の解釈につまっては、ああでもないこうでもないと、のたうつように悪戦苦闘しているわけである。そしてその対価としてお金をいただき、生きていくことができているわけである。つまりものすごく英語と近い存在で生きているのである。ところが電車のなかでは、ペラペラと英語をしゃべり続ける外国人たちの隣で、日頃、英語や英語圏文化へどっぷり浸かっているはずの(恥ずかしい)日常など存在しないかのごとく「拙者は、お主たち英語圏の人々とはまったく違う世界でいきているのでござる」といった純和風な自分を演じているわけである。そんな自分のことを、なんとなく「むっつりスケベな野郎」みたいに感じてしまうのだ。
もちろん、車内に外国人がいたからって、いちいち「やあ調子はどう? 僕は翻訳の仕事をしてるんだ。どこから来たの?何しに来たの?ふ~ん、そうか、アーハー、アーハー、そうなんだ、じゃあ、have a nice day!」なんてやっていられない(たまにはやってみたいけど)。相手だってそんなJapanese KYな奴がいたら困るだろう。だからこちらとしてもしょうがなく、黙って素知らぬ顔をしているわけであるし、別段、そのことで自分を責める必要もないとも思う。だがどうしても、そんな自分のことが、表向きでは周囲が下ネタで盛り上がっているときにも、「僕はそういうの興味ありません」といって涼しい顔をしている、家に帰れば実は超スケベなむっつり野郎に感じられてしかたがないのである。
それに、僕は仕事柄、電車のなかでは英語の資料を読んでいることが多い。納期間際の翻訳対象の原稿である場合も多いから、いきおい真剣度も増すし、眉間に皺を寄せて赤ペンで書き込みなんかをしていることもある(いかにも、「ここは重要だ」見たいな顔して。でも実際は、単に「何でオレこんな基本的な単語の意味も知らないんだ」と心の中で呟きながらわからない単語に印をつけているだけなのである)。そんなとき、隣に外国人軍団がピーチクパーチクやっていると、なんだか妙に恥ずかしい。というか、なんというか妙に自分の存在が白々しい。「むっつりした」自分を痛切に感じてしまうのである。
あるいは、なまじ話しかけられて、「お前はそんな難しそうな英語の書類を読んでいるけど、仕事は何をしているのか? 何? translatorなのか?(その下手な英語で本当に?)そうなのか、ねえ(と、隣の人を肘でつついて)、彼、翻訳者なんだって」とかなんとか言われて集団に好奇心の目で見つめられ、しどろもどろになっている自分、さらには、その延々としたやりとりを、さらなる好奇心の目で見つめる日本人集団、そしてそんな僕たちを乗せて走りゆく午後9時の中央線、という悪夢のような世界を妄想してしまったりもする。
まあ実際、そういう風に話しかけられたこともないし、話しかけられたら話しかけられたで楽しく会話できるのかもしれないけれど、ともかくそんなわけで僕はむっつりスケベな自分を感じてしまう外国人との電車内での遭遇が苦手でなのである。まあ、実際にスケベであるってことは、まったく否定できないのだけれど。
電車に乗る時や長距離ウオーキングのときは例のズラをつけてみたらどう?いつもと違った自分が発見できるかも…ウフッ。
その手がありましたね。ふふふ。
泣く子も黙るイケメンサーファー。きっと外国人もあまりの奇天烈な僕の存在に、会話を続ける気力を失うことでしょう(^^)
俗人には想像もつかない深い世界を共有しているものと思われます。この秘密結社(いつの間にか秘密結社に成長してるし…)の会員は、話をしなくても、ひと目見ればお互いに相手が会員だとわかるといいます。間がもたなくなってうっかり話しかけてしまうのは、修行が足りない初級会員にありがちな微笑ましいミスとして、軽く(はた目には無視)受け流されるようです。はっ、会員でもない私がどうしてこんなことを知っているのでしょうか。何かの本で読んだのでしょう、きっと……。
でも、このことは他言無用でお願いします。
で、つたない英語を使って道案内をしているうちに、職業は何かとよく尋ねられます。
塾で英語を教えたり、翻訳をしたりなんて、恥ずかしくて言えないので、I teach Japanese to kids at a nearby school.なんて口にしてお茶を濁しています。
コメントありがとうございます!
間違いなく、つねさんはそのむっつりの会のメンバーだとみました(^^)
たしかに、電車のなかにいるとむっつりしている人は多いですが、こちらの想像できない様々なことを考えているのだろうなあとよく思います。まあ間違いなく僕も尋常ではないことをいつも考えているのですが。
コメントありがとうございます!
なるほど、国語の先生とはまさにkameさんにぴったりの回答ですね。僕は「仕事で必要なので英語を学習しているサラリーマンです」とでも答えようかと思います(^^)実際、かなり事実ですし。これなら相手も納得してくれそうです。
日本語でメールをくれるのはいいのだれけど、語尾がすべて「ござる」で、丁寧語だと思い込んでいるご様子。
(「御社にとって大きなビジネスチャンスになるでござる」など)
いったいだれに習ったのでしょう 笑
中国で放映されてる時代劇か?いや、『忍者ハットリくん』か?
現実が遠のき、しばしタイムスリップした午後でした。
「拙者、、、ござる」にピンポイントで反応して偏ったコメントになったでござる、ごめん(^^;)
コメントありがとうござるます!
時代劇か忍者ハットリ君か...いい推理ですね!時代小説のファンだったりして(^^)
でもまあへんに今風の言葉を使うよりも、なんだかその方には好感が持てますね!