松本駅を後に再び車を走らせ、長野道から中央道へ入って諏訪南I.C.で降り、向かった先はこちら。中央線富士見~信濃境間にある旧立場川橋梁の遺構です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/14/c3ff8e89337ff3d8928c16ebfc35df16.jpg)
その存在は以前から知っていましたが、弊ブログにもたびたびコメント頂いているととさんが素晴らしいモジュールを作成されているのを拝見し、これはぜひ実物を見なければと思い、このたびの訪問となった次第です。
廃線後30年、架設から100年以上という歴史ある鉄橋だそうで、真下から見るとさらに圧倒的な威圧感というか、鬼気迫るものを感じます。「日本版カサンドラクロス」と呼ばれるのもわかる気がします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/65/b9124b2d201112b7c0c18dad54c2c8cf.jpg)
しかし、しばらく見ているうちに全く違う印象が湧いてきました。つくりが非常に繊細で、ある意味"きゃしゃ"といってもよいくらいなのです。赤錆びて朽ちかかっていることを差し引いても、この細い部材を組み合わせた構造物が、数十トンもあるD51やF級電機の足元を支えていたということが、にわかに信じられなくなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/fd/1d4b559489b36800486bb331825fbda5.jpg)
築堤に登ってみました。レールは剥がされていますが、架線柱や枕木は残っています。右手の大きな木は現役時代もあったのでしょうか。建築限界の呪縛を解かれ、伸び伸びと枝を広げています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/d7/9610e6ae6980266eef1e8ca17184d562.jpg)
鉄橋のところは柵があって渡れません。柵の間から見たところですが、これを見ても何か危なっかしく、重量級の列車が日夜往来していたのがうそのようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/69/c9e1c71424f780487613b15542076171.jpg)
突然轟音が聞こえ、振り向くと、新線のコンクリート橋の上をスーパーあずさが駆け抜けて行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/c6/6c08e69e4b2f7a780ceff0e2213ac822.jpg)
築堤を降り、少し引いて鉄橋全体を改めて眺めてみました。綺麗な水が引かれ、田植えの準備がすっかり整った水田越しに眺めてみると、先ほどの不安定感は不思議と消え去り、EF13牽引の客レや181系あずさが今にも顔を出しそうな重厚な鉄橋に戻っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/d0/659ef880530b99efe80576556de03675.jpg)
30分ほど不思議なタイムスリップを楽しんだあと、カーナビを信濃境駅の少し東側にセットして車をスタートさせました。そこには元富士急行の名車、3100系の廃車体があるはずなのです。
置かれている場所は、これも中央線の旧線跡地で、あらかじめ航空写真で位置をシミュレーションしておいた甲斐あって、目的の場所はすぐにわかりました。
驚いたことに、前面の9割以上がブルーシートで覆われています。前面ガラスの破損がひどいという話は聞いていましたが、ここまで荒らされているとは思いませんでした。
「立ち入り禁止」の看板とロープで近づけないようになっていて、人影は見えないものの、万一トラブルになってもいけないので、ここは見える範囲の写真だけ撮って退散することにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b1/525cf97a9f3843b1b2c4fff223d0e552.jpg)
電車の近くには水場などもあって、宿泊施設として使われていた形跡があります。オーナーがどのような方かは存じませんが、このような車両を買い取ったということは、多少なりとも鉄道に理解のある方ではないかと思います。
時あたかも高度成長時代、私鉄高性能車ブーム真っただ中にあって、初の狭軌WN駆動という新技術を引っ提げてデビューした輝かしいこの車両に、ぜひ安住の地を与えてやってほしいものです。
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その存在は以前から知っていましたが、弊ブログにもたびたびコメント頂いているととさんが素晴らしいモジュールを作成されているのを拝見し、これはぜひ実物を見なければと思い、このたびの訪問となった次第です。
廃線後30年、架設から100年以上という歴史ある鉄橋だそうで、真下から見るとさらに圧倒的な威圧感というか、鬼気迫るものを感じます。「日本版カサンドラクロス」と呼ばれるのもわかる気がします。
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しかし、しばらく見ているうちに全く違う印象が湧いてきました。つくりが非常に繊細で、ある意味"きゃしゃ"といってもよいくらいなのです。赤錆びて朽ちかかっていることを差し引いても、この細い部材を組み合わせた構造物が、数十トンもあるD51やF級電機の足元を支えていたということが、にわかに信じられなくなりました。
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築堤に登ってみました。レールは剥がされていますが、架線柱や枕木は残っています。右手の大きな木は現役時代もあったのでしょうか。建築限界の呪縛を解かれ、伸び伸びと枝を広げています。
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鉄橋のところは柵があって渡れません。柵の間から見たところですが、これを見ても何か危なっかしく、重量級の列車が日夜往来していたのがうそのようです。
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突然轟音が聞こえ、振り向くと、新線のコンクリート橋の上をスーパーあずさが駆け抜けて行きました。
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築堤を降り、少し引いて鉄橋全体を改めて眺めてみました。綺麗な水が引かれ、田植えの準備がすっかり整った水田越しに眺めてみると、先ほどの不安定感は不思議と消え去り、EF13牽引の客レや181系あずさが今にも顔を出しそうな重厚な鉄橋に戻っていました。
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30分ほど不思議なタイムスリップを楽しんだあと、カーナビを信濃境駅の少し東側にセットして車をスタートさせました。そこには元富士急行の名車、3100系の廃車体があるはずなのです。
置かれている場所は、これも中央線の旧線跡地で、あらかじめ航空写真で位置をシミュレーションしておいた甲斐あって、目的の場所はすぐにわかりました。
驚いたことに、前面の9割以上がブルーシートで覆われています。前面ガラスの破損がひどいという話は聞いていましたが、ここまで荒らされているとは思いませんでした。
「立ち入り禁止」の看板とロープで近づけないようになっていて、人影は見えないものの、万一トラブルになってもいけないので、ここは見える範囲の写真だけ撮って退散することにしました。
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電車の近くには水場などもあって、宿泊施設として使われていた形跡があります。オーナーがどのような方かは存じませんが、このような車両を買い取ったということは、多少なりとも鉄道に理解のある方ではないかと思います。
時あたかも高度成長時代、私鉄高性能車ブーム真っただ中にあって、初の狭軌WN駆動という新技術を引っ提げてデビューした輝かしいこの車両に、ぜひ安住の地を与えてやってほしいものです。
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