こんばんは。
2011年もいよいよ押し詰まってきましたね。
皆様、新年へ向けた準備はいかがでしょうか。
かく言う私は、せっせと年賀状をプリントする傍らこのブログを執筆中。
相も変らぬ年の瀬の恒例行事です(^^;
さて、昨日ですが、仕事がらみで会津方面へ行ってきました。
行きは新幹線+磐越西線という順当なコースでしたが、帰りは会津鉄道に乗ろう!などと変な下心を出したものだからもう大変・・・ 延々7時間も列車に揺られて帰ってくるハメになりました。。
きのうは出だしからうまく行ってませんでした。京王線の始発で乗り継げる東京発6:48のつばさ73号に乗ろうとしたら満席。まあこの時期に当日予約で取れると思っていた方が悪いのですが、追い討ちをかけるように「この列車は全席指定」の文字が・・・
仕方なく、すぐ後のMaxやまびこに乗ったのですが、郡山からの磐越西線はタッチの差で出て行ったあと。結局郡山で1時間以上時間を持て余す結果となりました。
こちらが乗車した8:43発会津若松行き。赤黒帯と赤べこのマスコットキャラクター「あかべぇ」のラッピングをまとった「会津仕様」の719系の6連です。交直両用急行電車の生まれ替わりとあらばクモハの乗り心地を試さねばなりますまい。。
きょうの会津地方は珍しく晴れ。うっすら雪化粧した磐梯山が出迎えてくれました。こうして見ると鋭い稜線をもった山なんですね。もっと雪が積もれば「スイスに行ってきました」と言ってもバレない・・・?(わけないか)
そして列車は抑速ブレーキを駆使しながらウネウネと坂を下って会津盆地の底へ到着。会津若松駅には立派な扇形機関庫と転車台が現役で稼動しています。もっとも中にいるのはDCばかりですが・・・
きょうは喜多方へ寄ってから会津若松へ戻るので、乗り継ぎの「快速あがの」に乗車。どんな車両かと思ったらキハ110ほかの3連でした。。
最後尾には新モノのキハE120がくっついていて乗ろうかどうしようか迷いましたが、結局先頭でのカブリツキに軍配があがってしまい・・・(以下略)
喜多方は蔵のまち、ラーメンのまち。ちょっと散策してみます。
市街地には造り酒屋が4軒あるとのことで、ただの「蔵」だけでなく大きな煙突を構えた「酒蔵」もたくさんあります。軒先から伸びたぶっといツララが見事!
そして、あまりにベタな展開なのでどうしようか迷った挙句、お昼はやっぱり喜多方ラーメンにしました(^^;
喜多方ラーメンの元祖(とされている・・・)源来軒さんにおじゃま。
街なかはひっそりしていたのに、どこから集まってきたのかお店の中だけは大そうな熱気に包まれていました。。
定番のラーメン600円を注文。鶏がらだしの醤油スープに太いちぢれ麺、チャーシューふた切れにメンマとなると。「家系」とか「二郎」とかの対極にある昔ながらのラーメンですな。スープの味がしっかりしていて美味しく頂きました。
そして喜多方から会津若松までの戻り。またキハ110なんでしょ、とヤケ気味に待っていたら、なんと貴重なタラコ色のキハ47 514降臨です!
そして会津若松駅につくや、隣には国鉄特急色の485系「快速あいづライナー」が待機。いやぁ、こんなところでまったりとコクテツな時間が流れるなんて、おじさん嬉しいよ~
そういえば郡山からくる時、磐梯山をバックに雪の中で三脚を構えているファンの姿が結構見られたのは、これが目当てだったんですね。
会津若松駅前からは巡回バス「ハイカラさん」で鶴ヶ城へ。
なーんだ遊んでばっかりじゃん、と思われるかも知れませんが、これもシゴトの一環といえば一環なのだから仕方がない・・・(-_-)
冬の陽は早くも傾きかけ、凛とした空気の中に雪化粧をした天守閣が映えます。戦後に鉄筋コンクリートで再建されたものなので、お城の形をした歴史博物館といえなくもないですが、周辺も含めた史跡自体は国の重要文化財に指定される貴重なものです。
夕暮れの会津若松駅構内。左手に給水タンク。この奥が扇形機関庫です。
既に青空は消え、小雪がチラついています。晴れの天気は長くは続かず、会津地方の年末年始は雪模様のぐずついた天気になるとのこと。
そしてこれが会津若松から浅草までの恐るべき「4線連絡乗車券」です。JR(西若松まで)+会津鉄道+野岩鉄道+東武鉄道にまたがる切符で運賃は4,540円。郡山経由の会津若松~東京間4,940円より400円ほど安くなっています。注意書きがズラズラ書いてあっておよそ切符らしくないので、クレジットの控えの方と間違いそうになりました。会津田島で乗り換えたあと、車掌が検札に来たあとで撮ったので、野岩鉄道を表す「YG」の検札印が押されています。
会津鉄道の会津田島行きは一番奥の5番線から発車。ホームへ降りてみれば何やらドハデなラッピングの車両が・・・(^^; 「新千円札発行記念」だそうで、野口英世博士とその母の写真が正面を飾っています。列車の正面に写真が載る「母」というのは類例を知りません。
陽もとっぷり暮れた16時53分、2両編成の軽快気動車はスルスルと会津若松駅のホームを離れました。いつもなら下校の高校生で賑やかであろう車内もきょうは閑散。
発車後ほどなく乗務員がまわってきて、乗客それぞれにどこで降りるか聞いて回っていました。ワンマン列車なので今乗っている2両目はドアが開かないので注意してほしい、とのことだったので「終点の会津田島だから大丈夫ですよ!」と答えると、初老の「彼」は満足げな顔で前の車両に戻っていったのですが、その姿が消えたとたん、ふと大きなギモンが・・・
え?ワンマンて言ったよね?じゃあいったいこの列車は誰が運転してるわけ??
まあ、何か事情があって添乗してただけとは思いますが・・・(^^;
会津鉄道は昔の
会津線時代の写真のことなどもあって、沿線風景に興味は尽きないのですが、この季節のこんな時間では外は真っ暗闇。時おり、室内灯に照らし出された雪景色の山肌がぼんやり浮かび上がるのみです。
そして列車は定刻に会津田島に到着。
乗り継ぎの新栃木行きは反対側ホームからすぐの接続なので、足を滑らせないように注意しながら構内踏切を渡ります。
待っていたのは東武の6050系2連。ここからは再びデンシャの世界に戻ります。
こちらの車内もガラガラ。1両まるまる貸切状態になりました。
発車後、右手の構内のはずれに元名鉄のキハ8500系が一瞬見えました。もう廃車後だいぶ経つのに、まだ解体されずに残っていたんですね。。油断していたので写真撮れず・・・
ひたすら走って、ちょっと停まって、の繰り返しが続きます。
途中駅で下り列車と交換。あちらはそこそこの乗車率のようではあります。
新藤原で前に増結するも乗客なし。
鬼怒川温泉では2分接続で最終の「スペーシアきぬ」に乗り継げるのですが、指定券を持っていないため恨めしく発車を見届け、辛抱の末、やっと新栃木に到着。
このあとは浅草行の区間急行に乗り継ぎ、埼玉をまたいで東京都心を抜け、はるばる多摩の奥地まで帰ってきたのですが、いくら好きでもこれだけ列車に乗り続けると、もーいいかげんにしてッ、て感じですね(^^;
まあでも2010年のシメにふさわしい乗り鉄体験でした。
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