80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

ペーパーで作る西武赤電(クハ1411編[2])

2023-05-30 02:18:39 | 私鉄電車
クモハ451+クハ1411のうち、まず簡単なクハ1411の方から作っていきます。タイトルも両形式を分離しました。

窓を抜きます。丸刀を使うのはドア上のRだけなのでサクサクと一気に。Hゴム満載の晩年旧型国電より楽です。妻面は内外貼りを貼り合わせ済み。



サーフェーサーを吹いて軽く研磨してからドアを貼ります。今回はIMONの真鍮エッチングパーツ(BD1001 旧国プレスドア)を使いました。戸当たりゴムのラインが表現されています。



プロトタイプは前面貫通扉が連結面と同じ800mmの広幅タイプとしました。最初は不格好であまり好きになれなかったのですが、没して久しい今となっては“西武らしい顔”として逆に愛着を感じます。西武新宿向き奇数車として編成の先頭に出てもらう予定です。テールライトは外付けのいわゆるガイコツ型ですが、光ファイバーで点灯化するので穴を開けてあります。通過標識灯を兼ねているので光源をひと工夫しなければなりません。



内貼りと3×3ヒノキの補強材を貼ります。木製屋根板/床板に対応したいつも通りのオーソドックスな構成です。



側板と妻板を接着して立体にします。窓柱が細いので今回は厚手の紙(スノーマット#400)を使ったのと、真鍮製ドアを使ったため、かなり頑丈になりました。



屋根板を整形して載せます。のぞみ工房の「ほぼぴったり屋根板H」を使用しました。幅はまさにぴったりです。運転台側の屋根は旧国と同じ“丸屋根”になります。



一方連結面側は切妻です。貫通ドアはたぶんプレスドアなんだろうなぁ・・・と思いつつ、見えないところなので手を抜きました。



あとはシル、ヘッダー、雨樋を付ける必要がありますが、台車、カプラー、ベンチレーターを取り付けてひとまず仮組み状態まで持ち込みました。完成の姿を想像しながしばらく愛でることにします。



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zugプラキットで作る西武赤電(411系編[5])

2023-05-28 02:35:26 | 私鉄電車
エンドウのHPを見ていたらFS40台車の在庫があったので、急ぎ池袋の店舗で購入してきました。クモハ411は1971~72年頃にすべてこれに換装されているので1973年頃を想定した編成ではダウトになってしまう・・・と前回書きましたが、これで台車問題は解決しました。本当は釣合梁式のTR14A(模型ではDT10コロ軸)がよかったのですが、同じ切妻顔のクモハ451を作ることにしたのでこちらは妥協したかたち。ちなみにお値段は諭吉さんでお釣が来ませんw。排障器がセットされています。



何やら説明書が・・・。なになに絶縁側の車軸に絶縁ワッシャーを入れろ??なるほど、ロスト製と思われる台車枠はディティールフルで気合入ってますが、気合入りすぎて車輪とのクリアランスがほとんどありません。で、このワッシャーって買ってこないといけないわけ??



と思って分解したらちゃんと入ってました。そりゃそうだよねー。。



さて、いい台車なのですが厄介な問題がひとつあって、ホイールベースが30mmで車輪径がφ11.5mmのプレート車輪というFS40特注規格!一応「電車用S」なるMPギヤがラインナップされていますが、片台車駆動で済むのに2個セットを買うのもなぁ、、、ということでいろいろ考えた末に出た答えがこちら。ペーパースクラッチのモハ71の下回りを先日仕舞い込んだ電動車ユニットCと入れ替え、WB=31mm、φ11.5mmプレート車輪付のMPギヤを捻出するというプランです。うーん我ながら名案。



というのもこのモハ71、MP動力を木製床板に組み付けるというエグい設計になっていて走破性がイマイチなのです。電動車ユニットに換装すればエンドウの山スカ完成品との併結運転もスムーズにいくはず。ちなみにこれを最後にペーパースクラッチでも動力車には金属床板を使うようになりました。



ペーパー車体とはいえ側板厚は1mmもないので電動車ユニットがポン付けできるはずでしたが、実際にやってみると微妙に入らない!仕方ないので紙の表層を剥ぎ剥ぎ。これぞ紙技♪ 良い子はマネしてはだめですw



はい、無事入りました。床下機器を移植しなければいけませんが、今回の一連の工事はクモハ411の台車交換がメインなのでとりあえず後回しにします。



かくしてターゲットのMPギヤが手に入りました。



WBを30mmに縮めるためドライブシャフトを切ります。この時点でフクシマのFギヤ状態。。



シャフトに軽く傷をつけてからφ2.4-2.0真鍮パイプに叩き込んで連結し、WB30mmになるように慎重に調整してから瞬着を流して固定すれば完成。



FS40台車枠に組み込んだところ。自家製の集電シューと、先頭側付随台車には排障器も取り付けました。TNカプラーと接触するので排障器のステーの一部をカットしてあります。これを後方のクモハ411のTR14A(DT10コロ軸)台車と交換します。



ボルスターが高いので床板にモールドされた心皿を1mmほど削る必要がありましたが、無事、交換できました。配線して試運転も完了。ただ、真鍮パイプの叩き込みを少し雑にやってしまってせいかドライブシャフトにブレが出てしまい反省。。幸い走りがギクシャクするほどではなく、グォォォンと釣掛けサウンドにも似た音が出るのでこのままにしておきます。笑


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ペーパーで作る西武赤電(クモハ451+クハ1411編[1])

2023-05-26 04:52:04 | 私鉄電車
はじめは西武新宿線の赤電10両編成を1970年代初頭の仕様で作る予定でしたが、歴史を紐解くといろいろ無理があることがわかりました。一時は矛盾に目をつむって「ボクの西武新宿線」で強行突破しようと考えたのですが、少しでも“ありそうな”形に近付けられないか考えた末に次のような方針変更を行うことにしました。

●10両はやめて8両編成にする
●この時期に新宿線に実在しなかった551系4連をやめ、多数存在していたクモハ451+クハ1411の2連に変更する

Wikipediaの「西武鉄道のダイヤ改正」には1973年11月29日のダイヤ改正で西武新宿発着の急行・準急が8連化されたとの記述がみられるため、ここをターゲットにすればクモハ411の台車(1971~1972年にFS40に換装されたとされる)がダウトになるだけで、電照式方向幕導入前のサボ時代とも整合がとれます。よし、これでいくべ!

ということで、西武初の両開き扉を備えた451系のクモハ451形と、国鉄クハ55のコピーと言われるクハ1411形の2連をペーパースクラッチすることにします。車号は、先日購入した写真集「西武の電車1」を参考にクモハ466+クハ14471445(5/26 10:30修正)としました。特に理由なく決めたのですが、なんとこのクモハ466号車というクルマが割と最近まで生き残っていて、しかも自分のカメラで撮影していたことが判明して驚きました。

それがこの上信電鉄のクハ103号車です。譲渡に際して電装を解除してクハとなり、同時に譲渡されたクモハ463を改造したクモハ103と組んで使用されていたものです。運行終了後しばらく放置されていたためボロボロですが、運良く解体直前の姿をとらえることができました。

(2017年5月17日撮影/高崎駅)


模型製作の強い味方・サイドビュー写真も撮っていました。左の運転台側の屋根上にランボードの撤去跡が見え、電装解除車であることがわかります。

(2017年5月17日撮影/高崎駅)


この451系は両開きドアとともに2連のユニットサッシを導入した独特の窓配置が特徴です。見た目ちょっと複雑ですが可能な範囲で表現したいと思います。残念ながら「西武の電車1」に収録の竣工図には窓寸法が入っていないため、窓幅は旧型車由来の800mm、戸袋周辺は701系や101系と同寸・・・と仮定してあらあらの図面をひいたらドンピシャの図面ができて驚きました。笑

(2017年5月17日撮影/高崎駅)


相方となるクハ1411形は手持ち写真がありませんが、要は国鉄の平妻クハ55の西武版です。こちらも西武の竣工図に窓寸の記載はないため、クハ55の寸法そのままで作ることにしました。ただし、図面や写真をにらめっこして気付いたのは屋根高さがクハ55より50mm低いことです(緑囲み)。これはクモハ351なども含めて所沢工場製に共通するもののようです。あと、クハ55では運転台寄のドア脇の吹寄せ幅が左右とも415mm(赤囲み)なのに対し、クハ1411形では青囲みで示した連結面側を左右反転させた状態、すなわち運転台側の吹寄せが500mmと広くなっているようです。乗務員ドアの幅も違いますがこれは竣工図に記載がありました。



車体はいつもどおりWordで原図を描いてスノーマット紙に印刷して型紙が完成。両者とも張上げ屋根ではないので木製屋根板を使うことにしました。



551系4連からクモハ451+クハ1411に変更したため、不足するパーツを追加購入しました。両数減って何でこんなに追加する必要あるの??



それは動力機構を新調することにしたからです。551系では動力としてエンドウの旧国用電動車ユニットCを使うつもりでしたが、クモハ451にこれを組み込むと701系の電動車ユニットと合わせて2両分となり、これにクモハ411の片台車駆動が加わってパワー過多になってしまうので、こちらもクモハ411同様のFK-130SHモーター+片台車駆動としました。余った電動車ユニットは、別の旧国か、体力があれば西武の増車に使おうと思います。



EN22の生産中止を受け、実はFK-130SHをモノ●ロウさんで箱買いしてあるのです。今後、短編成モノはこれでいこうかと。。



床下機器は551系のものがほぼ使える(らしい)ので追加無しです。



目標はあと1か月で8両編成完!元々が“無謀企画”なのでww




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お座敷運転会

2023-05-21 17:10:23 | 運転会
小笠原から帰った翌日は恒例のお座敷運転会でした。一気に「鉄」づくし生活に逆戻りです。とりあえず着替えが入ったままのキャリーバッグの中身をぶちまけてユニトラックに入れ替え(笑)、動きそうな車両を「棚からひとつかみ」状態でみつくろって出かけました。


まだ内装を入れていませんがとりあえず走るので、ペーパーフルスクラッチの最新作、富山地鉄クハ173号車を運転会デビューさせました。推進する動力車はこの運転会のメンバーでもあったO氏の形見であるエンドウのモハ14760形。通電カプラーが奏功してヘッドライトも室内灯も安定した走行にひと安心です。やっと走らせることができましたよ見てますかー?



大半径カーブを行く長モトの115系1000番台R7編成。登場当時の冷房準備仕様でモハ114のうちの1両は新製冷房車を先祖返り加工したものです。いずれもTOMIX製品。次の運転会までには作りかけのクモユ141を完成させ、EF63をつないだ信越線普通列車の姿に仕立てる予定です。



EF58の牽く14系寝台特急「北陸」。東ウラさんのところから転籍するもずっと出番なしでしたが、やっとフル編成で走らせることができました。最初は丙線さえ下回る「丁線」級のお座敷環境に慣れずに脱線頻発でしたが、カプラーをグリグリやって柔らかくしたところスムーズに走るようになりました。これホント。笑



メンバーの車両もいくつかご紹介。いつもNゲージで参加のI氏のKATOの流電が勢いよく?周回していました。カント付き複線レールは組み立て・撤収が楽なうえに実感的でいいですね。



四国気動車しばりを楽しんでいたのはY氏。ベースは国鉄形ながらカラフルで多様な編成もいいですね。



S氏の内装と走りにこだわったカツミの211系東海道フル15連。平屋根サロ2両組み込みです。



H氏の板谷峠客車。写っているのがすみませんカマだけになってしまいましたが、EF71+ED78が牽く渋い旧客は良き良き♪



いつも完成品車両が並ぶ幹事T部長のコーナー。今回は珍しく新潟ローカルが登場していました。221系の姿も見えますね。今回も会場手配ありがとうございました!



一気にリハビリ?が進んだので西武電車の製作に弾みがつきそうです。車両持参はなくても身ひとつでいつも遠路はるばる参加してくれるR氏も含め、ご参加のみなさまお疲れさまでした。


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小笠原から戻りました

2023-05-21 13:20:25 | その他
先週の金曜日に小笠原から戻りました。前後の移動を入れて11日間は海外旅行を除けばをたぶん人生初ではないかと思います。後半は天候に恵まれたこともあって時間がたつのも早く、思えばあっという間の11日間でした。

滞在最終日の朝、車を返しがてらドライブしていると道路脇の崖の途中で何やら動くものを発見。車を止めて確かめに行くとなんとクロヤギが3匹、盛んに草を食んでいました。かつて電車の線路脇で発見された「崖の上のポニョ」そのまんまです。落石防止用ネットを巧みに使って自由自在に移動しています。レンタカー屋で聞いてみるとやはり野生のヤギだそうで、しかもかなりの頭数がこの周辺にいるとのことでした。



出港準備中の「さるびあ丸」です。いつもは伊豆諸島航路(しかも大島、新島、式根島、神津島といった近場)を運航する東海汽船の船ですがはるばるここ小笠原までやってきました。カッコいいぜヒューヒュー♪ 2020年建造の新しい船で、会社のHPによると総トン数6,099t、数々のエコ技術を取り入れたスーパーエコシップなのだそうです。アジマス推進器なるものがついた2枚プロペラ方式で高効率・・・なのだそうですが、管理人にはよく原理が分かりませんので興味ある方はこちらの記事もどうぞ。



高性能シップとはいえ速力は「おがさわら丸」より低いので東京までは29時間かかります。まあモノは考えようで5時間分多く船旅が楽しめる・・・ってわけですね。29時間を過ごマイルーム。特2等寝台“相当”となっていたのでどんなものかと思っていたのですが、ほぼ「おがさわら丸」の特2等寝台と変わらず快適で、しかもAC電源や鍵付きの貴重品BOXもあってアメニティ的には上回っている印象でした。



出航まで船内をウロつきます。後部にある広々とした屋根付きデッキ。東京湾納涼船としても使われるため簡単なステージも設置されていています。



船内中央の階段室。案内カウンターやTVモニターなどもあります。



小笠原航路のメイン客層は島民、がっつりマリンレジャーを楽しむ民、ビジネス客などですが、伊豆諸島航路の客層は「ちょっと島行こうか」的な少しライトな若者が多いとみえて随所に「さるびあ丸サイコー!♡」的な映えスポットが用意されています。



売店はなく代わりに自販機コーナーが各フロアにあります。レストランもありますが、島民や旅慣れた人々は缶ビール+つまみ+カップヌードルの黄金比を楽しみながら車座になってデッキで過ごす・・・といった風景が多くみられました。



午前10時30分、いよいよ出航です。係留ロープが収納されてゆっくりと岸壁を離れるさるびあ丸。さようなら父島、さようなら小笠原。後方でははじま丸が静かに見送ってくれます。



岸壁では多くの人々が見送ってくれました。先日のドック入り前最後の「おがさわら丸」出港時は太鼓も出て大変な賑わいでした。それと比べると静かですが心温まる見送りです。



名物の伴走が始まりました。ダイビングショップなどの面々が小型クルーザーからいつまでも手を振って名残を惜しんでくれます。



そして最後は豪快にダイブパフォーマンス!



受験か就職か起業か、それとも人生に疲れて島を訪れた若者がいたのでしょうか「つかめ!未来を!」の横断幕も。たぶん本人には知らせずサプライズだったのでしょう。メッセージの先が誰かは知る由もありませんが今後の成功を祈りたいですね。



海鳥も伴走。形式判定(笑)の結果カツオドリではないかと思いますがどうなんでしょう?



湾口を出て北に針路を取るとウエザーステーション展望台が見えてきました。独特の三角屋根の展望台は遠目にもはっきり確認することができます。ここから眺めた果てしない水平線と沈みゆく夕日は素敵でした。



深みのあるボニンブルーの海と真っ青な空ともお別れです。ありがとう小笠原。



出航後3時間。もう周りに島影はありません。幸い波は穏やかで快適な航海が続きます。あまり大きくない船なので最上階のデッキからは操舵室越しに前方が見えます。“かぶりつき”は出来ませんが上下する水平線を眺めるだけでも十分楽しめます。



ちなみ今はココ!ううむため息が・・・いやいやそういうことは考えない考えない。。笑



出航から7時間が経過。日が傾いてきました。デリックのマストで鳥たちも休憩中・・・ってキミたちもずっと乗って来ちゃったの??



さらに1時間が経過。日がだいぶ傾いて夜の帳が下り始めました。



太平洋に沈む夕日。島で見たときと同じく薄雲に隠れて沈む瞬間は見られず残念でしたが感動ものでした。



日が沈んでからはマイルームでゴロゴロ。レストランで軽く夕食(あまり食べ過ぎると行きみたいに酔うので軽くかき揚げそばを・・・)の後はデッキに出て星空をぼんやり眺めます。ほぼ天頂には北斗七星。そして目の端にピカッと光るものを時折感じて振り向くと何事もなく動かない星空。あれは流れ星なのでしょうか。ちなみに夜空の撮影は難しいので写真はありませんよー♪


ベタ凪に近い海況で揺れがほとんどないためしっかり眠ることができました。アラームをセットして日の出を見にいきます。午前4時38分太陽が顔を出しました。しかしこの後は雲に隠れてしまい再び出ることはなかったのでラッキーでした。早起きは三文の徳であります。



八丈島、三宅島の沖合を通過し、昼頃にいよいよ船は館山沖から東京湾口に入ってきました。いきおい航行する船舶が増えてきます。コンテナを満載したコスコ・シッピングと書かれた船を追い越します。中国の海運大手の船のようです。あのぉボクが1年半前に注文した鉄道模型、載ってないですか?w



さるびあ丸最後の食事は盛んに宣伝していた「大えびフライカレー」にしました。1,500円ぐらいで船内価格としては飛びぬけて高いわけでもなく、ボリューム感のある大えびが2本しっかりサクサク・ホクホクに揚がっていたので満足でした。波静かだった帰路は4食とも船内レストランで食べちゃったなぁ。。笑



午後3時前。あと30分少々で到着します。海の色が小笠原を出た時と明らかに違うのが分かります。ボニンブルーの海が懐かしい。。



見慣れたお台場の景色。しかし東京港旅客船ターミナルには見慣れない自衛隊の艦船が・・・。今日から始まったG7と関係があるのか??と思いましたが、これは20~21日の土日に開催される「東京みなと祭」の一般公開のために接岸していた「試験艦あすか」のようです。任務中の護衛艦ではできないレーダーやミサイル、火砲等を試験するための珍しい艦艇だそうで、これを海上から眺められたのは、やはり早起きは三文の・・・違いますね、、



長かった航海もこれで終わり。レインボーブリッジくぐり抜けの儀、であります。出発した時とは打って変わって雨の帰還となりました。



さるびあ丸の武器、真横にもできる「アジマス推進器」の威力をいかんなく発揮しながら狭い港内でゆっくりと転回。下船はボーディングブリッジとなる旨のアナウンスがありました。ただいま東京!



以上、6回にわたってお届けした小笠原旅行記(一応出張デス!!!!)はこれにて完となります。人生初となる小笠原の豊かな自然に接した経験は良き思い出となりました。今後は再び鉄道模型ブログに戻りますが、またこうした機会があれば、また、徒然なるままに旅行記をアップしていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

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