inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

体験記(6)・それからのマンダラゲ

2015-03-20 10:04:02 | manndarage2(膵炎体験記)

『お腹を縫われた狼』の私は自宅に戻ってきました。入院の経験がおありの方は良くお分かりだと思いますが、退院すると自分の現状に愕然とするものです。入院中は快復してくるにつれ何でも出来るような気がしてきますが、いざ退院してみると体力の無さに気が付きます。私も例外ではありませんでした。30分くらいが連続して立ち仕事をする限界!!!・・・・・立ち居振る舞いもテキパキとは出来ないし・・・・・傷が気になってか、うつ伏せにもなれない・・・・・深呼吸も二段式になっているし・・・・・深く息をすると、途中でつっかえるんです。呼吸が短いのではなく、途中で区切らないと完成しないんです。

夫は気を使って、朝食と昼食と病院でとったり外食にしてくれました・・・・・だけどだけど・・・・・自分の食事の準備も思うに任せませんでした。入院前に冷凍しておいた玄米ご飯・・・・・これをお粥にして食べました。お野菜は『ポカらの宅配』というのがあるんですけれど、それで何とかしのいで・・・・・知人の助けと、平戸の堀江さんと自然食品和みの力とをかりて・・・・・・不足がちの食生活を始めました。ところが、実はそれが病気には何よりの助けなんです。玄米という完全食に青菜と胡麻と味噌(塩)とがあれば(出来たら、海藻と)、他に取り立てて必要はないんです。必要なのは質の良い『不足』という事態です。そうすると体の中のすべてが駆り出されて、不足を埋めることになる・・・・・それが生命力であり治癒力なんだと思います。髄膜腫の体験の時も、決め手は小食でした。必要なものを最低限・・・・・これがカギです。それに玄米ご飯を炊くくらいのことは、病人特有の『億劫さ』を制御しさえすれば(まあ一番はこれが問題で、気力が続かないものですからすべてにやる気なしなんですけれど)、慣れたことで問題ありません。

 

近くにおいしいお蕎麦屋さんがあります。初めてそこに行ったとき、メニューに『鴨南蛮』という項目を見つけました。以前他所で『鴨南蛮』を注文したら鶏肉のおそばが出てきた驚きの経験がありました。それでお店の人に「鴨って書いてあるけれど、鴨ですか?」って聞いたんです。そしたらお店の人から憮然として、「鴨は鴨だ」と言われてしまいました。それ以来そこの『鴨南蛮』を贔屓にしていたんですが、ある日夫のお昼の外食に付き合って私も行ってみることにしました。そして大丈夫かな???・・・・・と思いながら『鴨南蛮』を注文しました。退院するとき膵酵素の補剤ももらってきましたし・・・・・ですが・・・・・何かつっかえたような気分で、食べられませんでした。『まだだ~~~』って思いました。昔から傷に蕎麦は良くないと言われていますよね・・・・・久司先生も大腸を切られたとき、お好きな蕎麦をしばらく控えられたと伺ったことがあります。それに腸管通過障害を考えれば、麺類もパンなどの粉類もよくないに決まっています。今回の身にしみた実験ではありましたが、外食に付き合おうなどという気になっただけでも少しずつ元気になっていると実感もしました。

 

年が明けて1月の末私は東京まで出かけました。平戸の猶興館の同級会が毎年恒例で楽しみにしています。私の体力を心配した娘も飛び入り参加させてもらって、楽しく過ごしました。そのあと吉祥寺で一泊して、例の『うぐいす餅』を買ったというわけです。2月には平戸まで行きました。最初新幹線の3時間半が少しこたえて、それからまた3時間平戸の自宅についた時にはかなりこたえました。それでも色々な用事も無事にこなせました。もともと疲労回復は早いので、あまり疲れたということはありませんでした。今月(3月)内科を受診しました。先生から膵臓の酵素等も含めて全くの正常で、(私の食事事情をお話ししていたからと解釈していますが)『さすがですね』と仰っていただきました。完全に無罪放免とまでは行かず念のため8月に再診をとのことでしたが、それでも十分だと思います。やっと私には自由が与えられました。そしてこれまでマクロビオティックで作ってきた私の体力(生命力)は、この異常事態を完全に(?)克服したと言ってよいと思います。

 『お腹を縫われた狼』には時が経つのが薬でした。昨年中は腹帯をしないと、お腹の石ころがごろごろして???真っ直ぐ立てないような気分でした。そうして家事をこなす量が少しずつ増えていくうちに、今年になって「あ~あ、(あの異様な感覚も)消えていくんだなあ!!!」と感慨深く思いました。以前柿本医院で使っていた妊婦さんの腹帯が妙なところで役に立つんだなあと感心(?)して使っていましたが、それも今では不用になりました。現在は傷のひきつりの痛みとまでは言えないような痛みと見事に(?)残った傷痕がどうなるかというのが、目下の関心事です。痛むと言えば、退院後の外科外来受診で先生に伺いました。手術の傷の痛みというのはかなり長引いて、一年たっても痛む人もいるとか・・・・・まあこの痛み方というのはそれほど大してひどいものではないと思いますが、それよりもドレーンを立てた傷のほうが私には気になります。

 

手術で私の免疫力が落ちているのを気にして、息子は季節がらインフルエンザなどについても心配しています。私はと言えば、これまでインフルエンザに罹ったことがありません。大学時代高校時代にも・・・・・とくに中学時代にも覚えがありません。それで覚えている限り、ワクチンの接種をした覚えもまたありません。マクロビオティックを知ってからは、生物の食の掟なるマクロビオティック論を柱に、何の迷いもありません。生物は食のあるところで生存する(菌ならば増殖する)・・・・・このことに関しては今も疑念の欠片もありません。自分の体をインフルエンザの培地(餌場)にしなければよい・・・・・と100%思っています。実はここ数日鼻がグズグズして、風邪を引いたか???・・・・・声も緩んできているし、それともまさか、花粉症????、と思う事態になりました。手術などで体力が急に落ちると『何でもあり』の状態に陥ります。息子も急性虫垂炎の術後、喘息になってしまったことがあります。体力が回復するにつれ治ってしまいましたが、手術などという大きなひずみを作ると、どこかに何らかの形で異常が現れてきます。今回は花粉症にもならず風邪もよくなり声も元のようになりましたが、しばらくは息子の心配を心にとめて気をつけようと思います。

 夫もまたインフルエンザに罹ったことはありません。若い時はあまりに多忙すぎて(一晩に4~5件の手術で倒れるスタッフもいたと聞きました)、インフルエンザにかかって休暇が取れれば・・・・・と思ったこともあるそうです。今は自分流のマクロビオティック(?)でやっています。その基準は私の考え方とは違うこともある・・・・・・でも「久司先生から聞いた」と主張しています。ともかくもその多忙極まりない若い日はそんな基準は知りませんでしたが、病気一つしたことがありません。頑丈な生命力を父母から受け継いでいます。

 

マクロビオティックは『人間の食事』を提唱してきましたが、その『人間の食事』というマクロビオティックの基準にも、様々なレンジがあり多様性がある・・・・・今日と明日の条件は異なっており、こことあそこの生産条件の違いによる差もあるし、実践する個人の体格や性格の差もある・・・・・つまるところ厳密にはわからない!!!!!その上現在の個人的な体力の差(たとえこれが食事によって培われたとしても!!)もある・・・・・『気』という言葉で表されている生命力にも差がある・・・・・つまり天地の息吹に感応する力に差がある・・・・・というわけで、要するにとどのつまりが、個人の問題なんです。

それでマクロビオティックは『個人で考える生き方』と言ってよいと思います。考え方と基本事項と標準食を教えてもらって、後は個人が考えなければなりません。『考える』というのが問題ですが、『それがそれ』で大事な大事な人生の奥義に行き着く入口だと思います。相似象の宇野先生も行き着く先のものを『ソレとしか言いようのないもの』とおっしゃっていますが、この『ソレ』が少しわかってきたと思えるまでに10年かかったと思います。今も日々『ソレ』とは何かと考え続けて、日々マンダラして今のマンダレゲをつくり、そのマンダラゲが『ソレ』と感応してまたマンダラし、また明日のマンダラゲを生み出す・・・・・これの繰り返しです。その日々の中には、今回の経験のような絶壁を飛び越えるようなマンダラゲもある・・・・・ありがたき仕合せだと、心から思います。

 

今回の記事で一応膵炎・手術騒動の完結編とします。今ではこのブログで中将姫のように、私の『曼荼羅図』という機織りをしているのだと思っています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする