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体験記(4)・手術と術後

2015-03-12 11:51:28 | manndarage2(膵炎体験記)

手術は無事終わりました。『乗り越えたんだなあ~~~』と生きていることを実感しました。日常生活だって何があるかわかりませんが、手術となると事故の危険性が格段に増します・・・・・麻酔で事故が起こるかもしれません・・・・・手術中に何か予期せぬ事態になるかもしれません・・・・・意識がないときに自分が何一つ判断できないうちに、死んでしまうことだって当然あります。99%大丈夫でも、1%が当たるかもしれません。意識を取り戻して最初の激痛の嵐が通り過ぎて、考えることが出来るようになりました。

そして・・・・・自分がどうなっているのか・・・・・分かり始めました。点滴がつないであります。ドレーンがたっています。動くこともできないし尿量も測らなければならないので、導尿も・・・・・体を起こすことは無論、まずもって身動きが出来ませんでした。寝かされている・・・・・という感じで気がついて初めての1日は過ぎました。外科の先生は暇を見つけては病室をのぞいて行かれるのですが、『手がこわばったりしませんか?』と尋ねられました。そう言われてやっと自分の手を眺める気が起こるというような状態でしたが、自分の手の異常にも初めて気が付きました。術中の失血で爪の先までちょっと浮腫んで真っ白け・・・・・ちょうどホワイトアスパラガスのようになっていました。その時になって自分はどんな表情をしているのだろうか・・・・・、まさか?????他人から見れば最悪が歴然としている状態で何の根拠もない希望だけが残っているような?????・・・・・でもそれほど感覚的には悪くない・・・・・自分の全身をスキャンするように意識を巡らせて、やっと私は自分を取り戻したような気がしました。

 

手術直後の回復室から戻った病室はナースステーションのすぐ近く、3時間おきに検温やドレーンなどを調べに、夜中も懐中電灯片手に看護師さんがやってくる・・・・・何かと忙しい外科病棟の騒々しさが、寝たきりの自分の中の区切りのようにうれしい・・・・・背中の麻酔のおかげで痛みから解放されちょっと落ち着いてみると、自由はきかず何もできないので何もすることがない・・・・・だけど寝たきりの体はだるくなる・・・・・それで身を動かそうとしても、お腹に力が入れられない、というか入らない・・・・・仕方なく看護師さんから教えられたように、電動ベッド(このおかげで、術後の病人は助かります)を立てて横を向き、腕を立てて身を動かし体位を変えます。そんなことすら自力だけでは出来ないんです。だけどただただ体がだる痛いので、しょっちゅう体の向きを変えたくなる・・・・・それで電動ベッドに頼りきりになって、何度も繰り返し身を起こしました。多分頭をベッドにくっつけたままだったからだと思いますけれど、頭がクラクラしてきました。体力が消耗していると、たったこれだけのことで平衡感覚がおかしくなってしまう・・・・・それで電動ベッドの力を借りるのは、初動の頭を少しだけ起こすことだけにしました。まあそれが一日の仕事で、忙しく働く看護師さん達が立てる音を聞いている一日でした。

術後3日目、体調も順調に回復していると判断されたのだと思いますが、ナースステーション直近の病室から少し離れた静かな病室へ移りました。それ以降、自分で『蟹足』とニックネームをつけて呼んでいたドレーンの液もだいぶ色が薄くなって血液も少なくなり、重湯の許可が下りて食事という一日にメリハリをつける区切りの仕事が出来ました。だけれども、内科の入院の時とは違って気力がない・・・・・本を読む気にもなれないし、テレビを見る気にもなれない・・・・・何から何まで看護師さん達の世話になって・・・・・何となく眠くなっては眠り、体がだるくなれば何とか身を動かし・・・・・そうしているうちに、長い長い夜を迎える羽目になろうとは・・・・・・

入院して寝るだけの病人に昼と夜との差はあまりない・・・・・だけど病院という仕事を持った場所には当然昼と夜とがある・・・・・だから面会時間も8時までで9時には消灯となる・・・・・手術で消耗しきっていた最初の数日間は、昼も眠り夜も眠ることができます。だけど良くなるにつれそんなには眠れなくなります。夜9時に看護師さんに灯りを消してもらって眠りにつき、「もうだいぶ寝たなあ、何時ごろだろう?」と思って時計を見ても、まだ0時前・・・・・「え???、まだ???」・・・・・それを繰り返していると、ついには30分しか経ってない・・・・・朝が待ち遠しくて待ち遠しくてたまらなくなります。朝の白み始めたのがわかるようにと、消灯の時にカーテンを開けたままにしてもらうことにしました。雀がチュンチュン言っている・・・・・朝が来るのがこんなに嬉しいのか・・・・・涙ながらに『朝だ朝だよ・・・・・』とつい歌ってしまいました。6時ごろ始まる看護師さん達がカートを押すガチャガチャという音も嬉しくてたまりません。

朝だ朝だよ、朝日が昇る。空に真っ赤な日が昇る。みんな元気で元気で起きよ。朝は心もからりと晴れる。あなたも私も、君らも僕も。一人残らず 起きよ、朝だ。

これほど朝の喜びが心にしみる歌は無いような気がします。はるか昔に小学校で習った歌が、自然に心の底から湧いてきました。朝起きて仕事が始まる・・・・・こんな日常がどんなに嬉しいことなのか、心の底から再確認しました。生きているものは、朝起きだすものなんです。

5日目には傷の痛みはあまりないけれど、ドレーンの痛み、硬膜外麻酔のチューブがどこかに触っているのか背中の痛み、点滴の針が血管壁に触っているのか時々感じる不快な痛み・・・・・それらもまじり合ってますます眠れなくなりました。眠れないので余計痛みを感じたのだろうと思います。辛いやら悲しいやら・・・・・『ヒフミヨイ』のウタを唱え続けました。外が白みかけて『朝だ朝だよ』の歌に自然に切り替わるまで、何十回も『カタカムナ』の第1首から第6首まで・・・・・私はここでも大切な経験をさせていただきました。『読書百遍、意おのづから通ず』・・・・・そうですよね、言葉とは振動であり、その振動の響き方を人間が聞き分けて音を区別し、その音の組み合わせが言葉となったんですから・・・・・響き方の認識が意味なのですから・・・・・新しい境地が目の前に開けたような気がしています。(『ヒレフリ山』教室が楽しみです。)これを知るためにこんな目に遭ったんだとしたら、私はどんなにか感謝しても足りません。私の『マンダラ』で『マンダラゲ』です。この眠れない夜は、私にとって人生の貴重な夜となりました。

背中の硬麻のチューブとドレーン1本、それに導尿管が外れました。ですが看護師さんに尿量測定という仕事をもらいました。ちょっと運動量が増えて、大腸にも良いのでは・・・・・と期待しました。意識を取り戻して以来、毎日外科の先生方にも看護師さん達にも毎日「ガスは?お通じは??」と聞かれました。手術前日下剤をかけられ眠れない夜を過ごしました。お腹の中は空っぽになって、手術を受け、点滴から重湯になりお粥になり・・・・・だけど大して食べてはいません。麻酔で腸の運動も抑えられてしまうので、麻酔時間が長いほど癒着の可能性が高まるのだとか・・・・・・腸管そのものを切ってはいないのでだいぶ楽なのですが、それでも手術後の腸管通過障害は大問題なのだそうです。毎日看護師さんから、『歩いて!!!』と発破をかけられました。少し自由になったこの日、ここ数日の不眠騒動でかなりクラクラ状態の私は、明日のCT検査に備えて睡眠剤のようなものを出していただきました。翌朝5時前に目が覚めるまでおかげでぐっすり眠りました。

ドレーンの漏れがあったり液の白濁があったりしましたが、尿量測定も必要なし、血液検査もCTも問題なし・・・・・で1週間目には抜糸・抜管となりました。晴れて全部取れ、完全に自由!!!!!体につながっている管は全部無くなって動きやすくなりました。平戸の自然食品和みの堀江社長がのぞきに来てくれました。こんな不便なところに、40分の暇しか無いのにわざわざ寄ってくれました。でも異常な姿を見せずに済んで、ホッとしました。この日の夕食の献立は、『アユの塩焼き』・・・・・なんという巡り合せか、偶然のお祝い膳となりました。病院の入院食は、かなり悲しいサーカス的(突飛)なお献立で、驚くばかりでした。でもこの日は和食という統一テーマに沿った、心休まるお献立でした。嬉しくて全部いただきました。術後1週間はこうやって(手術というものはわかっていましたが)、『術後』という思いもしない経験をしました。そして患者にとってこちらの方がどれだけ大変なものだろうと、つくづく実感しました。

 


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