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馬子にも衣裳

2015-03-02 11:46:45 | manndarage2(膵炎体験記)

目下手術体験記の継続中ですが、手術台の上で『馬子にも衣裳』という事態を実感したと書きました。『どんな者もそれなりの身なりを整えればそれらしく見える』ということだと、これまで一般的に特に注意することもなく解釈してきました。それで何の問題もありませんでした。だけど今回『体』という塊りとして手術台に身を横たえることになり、なんというか、凄まじいまでの現実を思い知ったという気がしています。

手術台の上の意識を失った私は、『手術の対象物』としてのみそこに存在していたと思います。またそれでなければ、外科の手術はできないと思います。それが『手術中』というものだろうと思います。周囲の外科医も麻酔科医も、看護師さん達も・・・・・みんな手術場の秩序の中にいて、つまりお役目があってその立場を表す出で立ちをして・・・・・・私だけがお役目と衣装を持たなかったのです。

 

衣裳は存在の『在り様』だったんです。昔から『衣・食・住』と言いますよね。この順番は、人間社会の『掟』なんだろうと思い知りました。動物であれば『食・食・食』なんだろうと思います。最後の食は『生息地』に変えてもかまいませんが、『衣・食・住』の『住』ではありません。社会とは秩序の別名であり、人間は進化の先に『社会』を生み出し、社会あっての人間だろうと思います。人間は『食』のみがあっても生きることはできないんだろうと思います。

 

私たちの先祖は『分を知る』という言葉で、自分の立ち位置とお役目を知って来たのだと思います。そしてそれなりの品位というか分に適った衣装を身に着けてきた・・・・・・あまり衣装に興味を持たなかった私ですが、自分の『衣』というものに改めて注意を払おうと深く感じています。現代社会は、何を着てもいい自由な社会かもしれませんが、衣服は案外人間というものの深層心理に無意識に働きかけているような気がします。不愉快な話ですが、以前外国の男性が言っていると聞いたことがあります。「日本の若い娘の多くは娼婦に見える」・・・・・社会や服飾業界が風潮や衣装を誘導(宣伝広告)する側面が大きいと思いますから、どうぞ日本の若い娘たちの品位を損ねるようなものは作り出さないでください。

 

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