inspiration-macrobiotique・随想古事記

マクロビオティックインスピレーション・随想古事記・日本語と歴史・バベルの塔・日々雑感

荒川豊蔵資料館

2016-05-07 15:20:12 | その時々2

多治見近辺の道路には『平戸ツツジ』(?????)と思しきツツジが植えられており、5月になって満開になり微かなツツジの香りが漂っています。ツツジの花には初夏の輝く日光が似合う・・・・・と思います。そんな多治見に来て、一番の仕合せと思うことは、大好きな大好きな『志野』に直接触れたということです。多治見(厳密に言えば多治見地域)は志野の故郷なんです。

 

ここのところの記事でご紹介している通り、『志野』の空気の中にいます。そして『志野』といえば荒川豊蔵という方を置いては考えられません。先日5日その荒川豊蔵の窯跡に建てられた『荒川豊蔵資料館』を訪ねて、同じ空気を吸って来ました。そこにはもちろん志野もあったんですが、なんと乾山写しの様な作品や有田の様な陶器や・・・・・荒川豊蔵の実像に初めて近づくことが出来ました。そしてそこで既に絶版になっている著作『縁に随う』や白洲正子著『かくれ里』を紹介されました。

同じく興奮冷めやらずで帰宅した夫がすぐに本を注文してくれました。そして昨日2冊とも手元に届きました。荒川豊蔵の自伝のような回想録ですが、飾り気のない率直な文体で読みやすく、速さに呆れられながら読んでしまいました。本を読むことには自信があります。何しろ小学生の頃から(もちろんそれなりの本ですが)一晩に三冊というのがノルマでしたから・・・・・

 

これまではただ大好きだっただけで、『志野』=『荒川豊蔵』という以外何も知りませんでした。私はもともと詮索好きではないので、そのものにはのめり込む質ですが、その周りについてはほとんど興味がわかない・・・・・といった探求法でやってきました。『荒川豊蔵』という人についても『志野』を見ればよい・・・・・というやり方でした。ですが、この日本経済新聞社から発行された『縁に随う』・・・・・面白く読みました。
 
日本人にとって『荒川豊蔵』は『志野』を現代によみがえらせた人ですが、そのことが『荒川豊蔵』本人にとって血脈を辿るというか、アイデンティティを確立するというか・・・・・ご本人の言によれば『縁に随う』ということだったんだと思います。この書名にもなった『縁に随う』という言葉が、私の中で一つの区切りを作りました。私が知り得た中で現代の、あるいは昭和の偉大な人の四つのタイプが埋まったんです。作品の陰陽で分類をしました。
 
第一のタイプ(陽の陽)・・・・・荒川豊蔵・・・・・・・・・・茶碗(もの)
第二のタイプ(陽の陰)・・・・・初見良昭・・・・・・・・・・武道(ものの動き)
第三のタイプ(陰の陽)・・・・・楢崎皐月・川崎真治・・・・・言葉(心・歴史)
第四のタイプ(陰の陰)・・・・・桜沢如一・久司道夫・・・・・平和(真実のホラ)
 
 
 
どの先生も人間の真実(内なるもの)を追及なさっているのだと思います。それがご縁で私のつたないレーダーにも触れてくださったのだと思います。楢崎先生の『カタカムナ』と久司先生の『マクロビオティック』によって私は『マンダラゲ』なるものへと行き着きましたが、娘を通したご縁によって 辿り着いた初見先生の『成り行き』と今回の荒川先生の『縁に随う』とが私の『マンダラゲ』と表裏になりました。これが多治見に来た理由のような気がします。しみじみ大変仕合せな成り行きであり縁に随った結果だと思います。
 
 
 
 
 
・・・・・・・・どういうわけか、字体が途中で変わってどうにもなりません。どうしたらよいのでしょうか????

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代議士職って労働なの?????

2015-12-25 09:39:15 | その時々2

国会議員に代表される代議員の仕事・・・・・・これって一般的労働なのでしょうか?????代議士が年休や産休、育児休暇や病気休養、忌引きや結婚休暇・・・・・こういった類の休暇を正規に請求できるものなんですか?????まあ何も無ければ多めに見るというのは許されることもあるとは思いますが、一旦国民の主権を発動しなければいけない事態になったらその主権はお休みになるんですか?????

 

        多数の主権を代議する・・・・・これは労働ではないと思います。

 

意地悪で言うつもりはありませんが、代議士は個人的な理由で職務を全うできないときは辞職すべきだと思います。以前河野議員が父親のために休暇を取ったことがありましたが、その時も議員職を私していると思いました。特に国会議員はセンチメンタルを排除すべきだと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・国会議員の役目って?

2015-09-22 08:07:42 | その時々2

かなり憤慨しています。9月20日付の日経新聞に次のような記事が載っていました。見出しは『もつれた安保国会』。その中に、自民党の参院執行部には、来年の参議院選挙の言い訳のための余地を残しておくために、断固とした態度を示さなかったのだ・・・・・と、ありました。

 

そんなの国会議員と言えますか?国会議員は国民に変わって議論し決定するのがお役目でしょう!!!!!単なるサラリーマン以下!!!!!では済まされません。それこそ血税を食んでいるのですから!!!!!そんな輩は来年すべて候補から外してください!!!!!国会議員は国民が理解していないと言う厚顔無恥をやめてください!!!!!

 

 

追記(9・24):そう言えばとんでもない町会議員選挙を思い出しました。立候補者の言い分が、「女房が病気で、もう少し(生活のために)議員を続けさせてください。」・・・・・その立候補者は見事当選を果たして、生活を安定させた?????ようでした。こんなことって、いったい何なのでしょうか!!!!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会議員の役目って?

2015-09-16 09:37:04 | その時々2

最近特に『嫌な感じ』を抱くのが、『国民が理解していない』と叫ぶ国会議員の姿!!!!!・・・・・これは私だけでしょうか。そもそも『知らすべからざる』政治の世界・・・・・『知らすべからざる』というのは、『どんなに頑張っても全員に分かってもらうことは出来ない』ということなんです。だから、国民は代議員を選ぶんです。代議員に討議してもらって納得して、仕方ない(ほかに方法を見つけられないから)多数決で決定するんです。そういうわけで、国会国権の最高機関というんですよね。

 

それなのに、それなのに、国民が理解していない?????それは代議員の怠慢なのではありませんか?????なんだか民主主義というものの根本的な矛盾を、その象徴たる国会が露呈しているとしか思えません。まあ国民も命をかけて選挙をしているかというと、う~ん・・・・・という感じですよね。一票に命をかけていない国民の怠慢ですかね?????


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山背大兄王と和・・・平和???

2015-07-19 10:25:31 | その時々2

ここのところ以前にもまして疑問ばかり・・・・・・1.国境は永遠に変えてはいけないのか? 2.それなら、昔あって今はない国をどうするのか? 3.これから将来生まれる国は無いのか? 4.戦争以外に国がおこる可能性があるのか? 5.どうして憲法があれば戦争は起こらないといえるのか? 6.それよりも、無防備であれば平和なのか? 7.防衛とはなにか? それからもっと大変?なこと8.国民の意思って何なのですか?

 

ウクライナ問題、中華人民共和国の海洋侵略の問題、そして私達日本人にとって最も大切な問題の一つ、返還されない根室湾の入り口をふさぐ北方領土の問題・・・・・・先ごろスコットランドが選挙で独立する!!!!!って聞いて、興奮しました。そんなこと、出来るんですか!?!?!??結局独立しないことになり、人類初の快挙には至らず、独立することになった後の事態と推移を観察することが出来なかった!!!!!!!!!!!!!残念です。イングランドが戦争を仕掛けてまた併合するのでは・・・・・とちょっと不安を感じました。

ではどうやって新しい国はおこるのですか?????内部崩壊・・・・・?????新しいところではソ連崩壊・・・・・それでロシアもウクライナも新しい国になりました。崩壊の兆しは、日本の身近にある北朝鮮と中華人民共和国・・・・・独裁者と独裁党の国・・・・・考えてみれば古代のエジプトだって中国大陸だって内部崩壊に違いない・・・・・そこに新勢力が台頭するか、侵入するか・・・・・それでも選挙なんてありえない、戦争必至でした。

北朝鮮につけ入って侵入する可能性があるのは、中華人民共和国とロシヤ・・・・・まあ私が考えられるのはこれくらいですが・・・・・。傍から見ていて韓国に統一されるのが朝鮮半島の人々の一番の幸せだろうとは思います。中華人民共和国も内部崩壊したら、歴史が示すような大国(元や清など)が侵入することは考えられないので、それぞれの民族の蜂起で小さな国がたくさんできるかもしれません。まあ植民地アフリカの悲劇ではない民族割拠の悲劇になるかもしれません。

だけどだけど、今回ウクライナと東シナ海や南シナ海での出来事は、『既成事実化したら、それが現状になる』ということではありませんか?いいんですか?これは戦争の最大原因である領土問題なんです。それでウクライナは戦闘を開始して問題化しました。既成事実化させたくなかったからです。北方領土の困難さを思い出せばわかります。取り返せないでいるばかりか、目と鼻の先に国境があるんですよ!!!!!それが既成事実化しようとしています。

            日本は、私たちはどうするんですか?????

戦争をしているのに戦闘を開始しなければ徐々に侵略されるんです。外交戦でもいい、武力戦でもいい、何でもいいから戦争だと認識しなければいけないんです。私達は平和を守るために戦争をするのです。そして明確に戦争をしているのだと認識すべきです。そういう意味で日本は戦争状態なのだと思います。

戦争をしないことが平和ではないのだと思います。戦争と平和の認識を間違うことが一番危険で、今も私達は中華人民共和国の侵略にさらされています。だから平和憲法は一番危険なんです。憲法があれば平和が守られると信じる日本がある間、中華人民共和国は既成事実を拡大するでしょう。こんなに簡単で安全な侵略はありません。今に東シナ海での漁業から撤退することになるかもしれません。拉致被害者を黙って見過ごしてきたように、新たに東シナ海の漁民の失業を見過ごすのですか。

戦争を避けたいのなら、強力に武装して、相手にためらいを感じさせる・・・・・これは国の安全を守る政府が考えることの出来る最も現実的な道です。今安倍首相の支持率低下などといっていますが、とんでもないことです。学者もマスコミも理想論を述べ、もちろんそうなればいいと誰しも思っています。だけどこれは保険のきかない問題です。私達は学者とマスコミに、『では、どうすればよいのか』と聞くべきです。国論を100%統一することもできないし、ましてや世界の様々な国の利害を100%満足がいくように調整することは出来ません。その証拠にあなたの周りに100件の問題で100件とも同じ意見の人がいますか?????猫の額ほどの地勢調査の杭打ちの問題で傷害事件だって起こるのです。安倍首相は正しいと思います。もちろん私は独立した国防を望んでいます。

 

今日の題名『山背大兄王』と何の関係があるのか・・・・・というのも、平和主義には日本人の性分と言うべき問題が潜んでいるような気がするからです。そしてそれは現代日本ではかなり軽薄なもの、つまり命をかけないでよいものになっていると思うからです。

山背大兄王(やましろのおおえのおう)』は皆様ご存知の通り、聖徳太子のご長男で帝位につかれるべきお方でした。聖徳太子が若くしてお隠れになったので、帝位をめぐる混乱が起こったと考えられます。推古天皇・舒明天皇のあと皇后の皇極天皇と内親王の孝徳天皇それから皇極天皇が重祚して斉明天皇と、天智天皇(父舒明天皇と母斉明天皇)になるまで女帝が続きます。『山背大兄王』はご自分の中に持つ強大な勢力の蘇我氏の横暴を嫌われたとか、国家の平穏を祈られたとか、いろいろありますが、ともかくご自分の一族の根絶を決心されました。たくさんのお妃様方お子様方みな引き連れて自決され騒乱の根となる災いを絶たれました。聖徳太子のお血筋は絶えたのです。そして中大兄皇子は蘇我氏を排して天智天皇となられます。

考えてみれば日本人は聖徳太子を敬愛して生きてきたように思います。この聖徳太子は『山背大兄王』事件までを含めた聖徳太子ご一族に対する敬愛と追慕の念です。騒乱に巻き込まれる多くの人々への思いやりと自己犠牲(自分を殺して日本を守る)、そのあまりの大きな悲しみに日本人は鎮魂の思いをささげてきました。そして先の戦争では多くの若者が『山背大兄王』となり、自分の命を犠牲にしました。

 

現代の私達、平和を叫ぶ私達は、世界平和のために日本の命を捨てる覚悟ですか?あまりにも雑多な訳の分からぬ世界の情勢に、あるいは中華人民共和国の貪欲な膨張主義に、そんな聖徳太子の『日本』を犠牲にするのですか?世界の現状では、防衛(つまり戦争となっても立ち向かえる準備をすること)だけが平和を守る手段のように思えます。以前にも書きましたが、世界平和の実現手段を見つけたものは居ないのです。厳密に言えば、マクロビオティックの桜沢先生がその手段を初めて提唱されました。『世界恒久平和論』という冊子も出版しておられます。久司先生もその志を継がれました。だけど、平和をこれほど希求する日本人のうちどれだけが、まじめに世界平和のたった一つの方法論を実行しているでしょうか。今のところマクロビオティックしかないのに、好みや希望や安楽を主張するのですか。現代日本人の心の軽薄さが浮かんでくるばかりです。口先ばかりの平和論、恥ずかしいばかりです。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『本能寺の変 431年目の真実』

2015-05-28 10:13:25 | その時々2

これは夫が貸してくれた本の題名ですが、著者は明智憲三郎という方で明智光秀の血脈のお一人だそうです。小学生時代から本は大好きでした。父のお年玉は本、お誕生日プレゼントも本・・・・・中学生時代には図書係になって図書室の本を全部読もう・・・・・などという手当たり次第の無秩序な読書傾向で何でも派読書でした。読書傾向が狭くなったのは、カタカムナに出会って以来・・・・・うんと収束して私のマンダラゲの図案がはっきり浮かび上がってきました。『私の機織り』人生は最後の曼荼羅図を織る時期に近づいて来たのか(???・・・だと解釈しているのですが)雑多な読書に興味を持たなくなっていました。

 

それがです、それがこの『本能寺の変 431年目の真実』に惹かれました。実はそれに類する本を他にも夫は持っていました。近ごろそういった本が流行なのか・・・・・、それとも明智の郷が身近になったためか・・・・・・岐阜城の特異さを目の当たりにしたりして、夫はこの東海地方の地理と歴史にあらためて興味を持っていました。私も岐阜城や犬山城・・・・・あちこちの探訪に面白く連れていってもらっています。この前も国道418号線では忘れ得ぬ酷い(?)思い出が出来ました。ですが夫の読んでいる本にそれほど興味はなく、まあ放置されたままのを片付けるくらい・・・・・それがこの『本能寺の変 431年目の真実』という題名と著者明智憲三郎という名前にひどく惹かれたんです。そして読み始めたら、最後まで読まなくては済まなくなってしまいました。

これは大変な本です。そして真実に極めて近いと思います。ちょうど私が川崎先生の説に出会って日本の古代史に関する長年のもやもやが晴れたように、どんな歴史解釈に出会っても晴れなかった信長・光秀・秀吉・家康・・・・・そして藤孝に関するもやもやがすっきり片付いたように思います。関わった人達すべての計画と思い違いとが交錯して出来上がった『本能寺の変』というものの事実と感情とがここまですっきりするというのは、真実に近いのだと思います。

 

戦国時代の『もやもや』を抱えていらっしゃる方は読まれるがよいと思います。それぞれがそれぞれの年代に抱える『もやもや』こそが積み上げていく人生のその時々のテーマだと思います。自分の人生で一つづつ片づけなければならないと思います。私も自分の最大のテーマ『言葉』を前にして以来、脇に置いていた歴史に感じた矛盾の『もやもや』を一つ片づけて、ますますすっきりと打ち込めそうな気がしています。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立場と言葉

2015-03-18 15:33:11 | その時々2

お買い物に行ったスーパーでの出来事です。入口の扉に向かうところで、バギーを押した若いお母さんが向うからやって来ました。自動ドアではありませんでしたから、バギーを押しているとドアが開けにくいだろうと、私はドアを開けてあげることにしました。そしたらそのお母さんは『ありがとう』と言って通り抜けていったんです!!!!!

 

え?』って、私はそのお母さんの後姿を見送りました。別にくどくどとお礼を言ってもらおうと思ったわけではありません。でも、でも、でも・・・・・です。40も年下の見知らぬ人に『ありがとう』って言われるのは非常に違和感があります。反対の立場でも、私は見知らぬ若いお母さんに『ありがとうございます』と言ったと思います。皆様はどう思われますか。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒楽茶碗『俊寛』

2015-02-21 13:52:22 | その時々2

半年ぶりにパーマをかけてきました。先日の体験記(1)に書いた歩いて3分もかからないところの美容院ですが、そこには『和楽』という確か小学館の季刊誌が置いてあり楽しみにしています。今回のテーマの一つが『茶の湯』で、利休が生み出した『楽茶碗』が紹介されていました。

その中に『俊寛』と利休自身が名づけた黒楽のお茶碗がありました。その説明は次の通りです。利休が鹿児島在住の門人から長次郎の黒楽茶碗を乞われたのだそうです。それで3個送ったら2個が送り返されて、門人が手元に残した一つに銘を頼まれたのだそうです。それで利休はその黒楽茶碗に『俊寛』との銘をつけたのだとか・・・・・・

 

これを読んでしみじみその黒楽茶碗を見ていたら、俊寛僧都の悲痛とそれを思いやる利休の心に触れました。皆様ご存知のとおり俊寛僧都が鹿児島県の絶海の孤島鬼界が島に流されたのは三人連れでした・・・・・そして連れの二人は恩赦で許され都に帰りました。一人残された俊寛の心・・・・・これをその黒楽茶碗に移したのだろうと思います。12世紀の俊寛と16世紀末の利休・・・・・そして21世紀の私達・・・・・『銘』という行為にそこはかとない歴史を共有する心を思いました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の不消化物(?)・小保方さん事件

2014-12-23 11:45:23 | その時々2

今年は小保方さんの見かけの異様さに始まって、真実が見えない不信感に終わりそうです。

マスコミに華々しく紹介された小保方さんの『わざとらしさ』に強い違和感を感じ、記者会見時の小保方さんの『誠実さ』には親和感を抱き、今回の理研の終焉会見に拭い去れない『疑わしさ』を覚えています。

 

あれはいったい何だったのでしょうか。科学者の態度を小保方さんが知らなかったとしても、たとえそうであったとしても・・・・・・なにかがおかしい・・・・・・・そもそもスタップ細胞の問題だったのが、醜い人間の騒動になってしまっている・・・・・・この二面性がごちゃまぜで何が何だかわかりません。

 

考えるに小保方さんは『理研パズル』の一枚で、笹井先生も、野依先生もみんなおかしい・・・・・それに実験材料のマウスだって、はめ込むべき一枚に違いありません。『事実の一枚』が隠されているに違いありません・・・・・・だから何かしらおかしい。

小保方さん一人の問題であればそれなりの処罰があって当然だけれど、それも気の毒だから『前途有望』だとかの理由で依願退職受理・・・・・・わかりません。科学は『不明』を明らかにするのではなかったのですか???それを守るべき科学者の組織には『不明』を紛らわせてしまう組織の論理がある?????これは『科学の心』と『科学者の組織』の問題のような気がします。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私たちは横田めぐみさんたちを取り戻さなければならない!!!

2014-10-04 10:18:53 | その時々2

現政権の最重要事項の一つに拉致問題があることは、国民の一人として安堵感を感じています。それは、国民の安全保障という問題に対する政府の姿勢に対してです。

政府のあり方というものは、国民の態度によると思います。これまでの『早く解決しなければ・・・・・』という祈るような、ある意味安易(?)な取り組みは、私たち国民全体の姿勢でもあっただろうと思います。拉致が行われて現在に至るまで、私たちは拉致された方々の時間というものを切実に考え表明したことがあったでしょうか?思いの端に浮き上がることはあっても、それをどうしたでしょうか?他人事だったのです。自分のことではなかったのです。

彼の人達は拉致された場所で三十数余年の人生をおくらされてしまいました。そしてそこに様々な関わり合いを生み出す以外にありませんでした。これをいったい私たちはどうしたらいいのでしょうか?????私たちはこうした一人一人の安全保障に対して、政府にどうしてほしいと思っているのでしょうか。この三十数余年の歳月の問題は、話し合い(?)に長い長い時間をかけたことの結果起こりました。

 

安全保障の問題が『戦争をするか否か』ということのように反論されていますが、そうではなくて、少なくとも理想ではなく、現実の世界の中で『自分が拉致されたとき、政府は何をするか』という問題と根源的に同じであることを、もっと深く感じなければならないと思います。『国民の安全(国の主権)が侵されたとき、最終的には武力を持ってでも回復するか』という問題は、『侵略して領土を拡張するか』という問題とは違います。それは自分たちの安全に対する国民の決意の問題です。そして現代は幸いにして、領土を拡張しなければ国家を維持できない好戦的な時代ではないと思います。(どうも中国は別の時代感覚らしい・・・・・ですが。)

拉致に関する北朝鮮との折衝に、北朝鮮という国の不誠実さが再び見せられて嫌気を感じさせられています。日本人は、どうも自分と同じものを他国にも期待してしまう・・・・・だけど、敢えて言うのですが、実際のところ北朝鮮はどうにもならないのでは・・・・・・とも思います。私達も生身の同胞を身の危険をおかしても取り返しにいかなかったのですから。だからあれほど多くの人々を連れ去られてしまった・・・・・そしてその肚が据わらない限り、私たちは武力なんて使えないのかもしれません。だけど、もし自分の身に起こったら、結果的に言えば、放置されるということなんです。

この記事で、『私たちは横田めぐみさんたちを取り戻さなければならない!!!』というフレーズをお終いにすることにしました。なぜかといえば、私達が横田めぐみさんたちの身の上に起こった事実をしり、そして三十数余年どのように生きてきたかを検証すること以外に残されていないように思うからです。帰ることが出来る人も出来ない人もいるはずです。様々な人生模様をそこで紡ぐ以外になかったのですから。どんなにつらくても受け入れる以外になかったのですから。取り返すのは、横田めぐみさんたちをどれくらい自分として感じることが出来るか、という同胞を思う心だと思います。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公明選挙が消えた日

2012-07-14 09:40:21 | その時々2

随分ブログをお休みにしましたが、とうとう東京を引き払ったんです。それでとても雑用繁多でパソコンを見たくなかった???という次第です。ご無沙汰いたしました!!ですが突然『公明選挙』が消えた日を思い出しました。それも小沢さんが、『国民の生活が第一』なる民主主義の理念を自分の党だけの固有名詞にしてしまったからです。忘れもしません、『公明』なる選挙の理念を表す言葉が唯一つの政党の固有名詞になってしまった日を・・・・・・

あの時もそんなことが許されるのだろうか???とずいぶん憤慨しました。今度も同じですよね。あの日から日本の選挙に少なくとも存在した公明な選挙はなくなってしまい、今度は政党の理念から『国民の生活を第一に』という心掛けが消えるでしょう。これは私達の大脳の働きによります。理念が即物的認識になるのですから、その理念の心は消えてしまうのが当然です。その証拠に民主党は党の政治理念から『国民の生活が第一』なる項目を外してしまいました???!!!

そもそも選挙を手段とした民主主義なんて、草創期が最高の志に支えられており、段々劣悪化するのは自然の成り行きなんです。私達はその事をよく考えて、選挙を支える国民の精神の向上をその制度に組み込まない限り、最低の政治を作り出すことになるでしょう。私達一人一人の高貴な精神と向上心以外に、選挙を支えるものは見つかりません。彼のイプセンが言ったではありませんか、民主主義を支えるのは心の貴族だって・・・・・このパラドックスを現実にする方法を見つけない限り、私達は選挙に何の希望もありません。それなのに政治家達は選挙を一生懸命追いかけているのです!!!私達は坂道を転げ落ちているのと同じです。

なんだか絶望的になってきましたね・・・・・でもマクロビオティックと出会った者は知っていますよね。それは『食』によって可能でもあり不可能でもある・・・・・そしてそれ以外に方法はない・・・・・西洋ではダビテもイエスもそのことに言及し、ギリシャの哲学者も知っていました。我等が東洋でも昔から食に規制を加えてきました。ホツマツタエによれば天君(あまきみ)はチヨミ草を食し、桜澤先生によれば、朝廷によって日本国民の肉食が禁じられそれが取り消されたとは聞いたことがないそうですよね。仏教でも食の戒律がありました。全て『神の心』・『阿弥陀如来の心』を実現するためです。実はそれが選挙民の心でなければ、『無私』の政治家は選ばれないでしょう。

ところで高校(猶興館)の同級生から一冊の本をもらいました。それはこれまた同級生の中倉広敏さんが出された『無病法』(PHP研究所)という本です。これは16世紀から17世紀を生きたイタリアの貴族の体験的健康法です。そもそも中倉さんはローマ史の研究がテーマで、今回カエサルの『ガリア戦記』を翻訳出版したそうです。私も是非読もうと考えています。その中でローマ兵の頑強さが小麦を主体とした穀物食に支えられているという事実に行きあたったそうです。

その貴族はルイジ・コルナロというヴェネチアの人で102歳まで健康に活動しお昼寝から目覚めなかったという死に方をしたそうです・・・・・何と我等が理想ではありませんか。その人が自分の食べものとして選んだのは16世紀のパンと卵と肉とスープとワインだったそうです。16世紀ですからもちろんどれも自然なものです。パンは素朴なもの、つまり貴族が好んだ上等な白いパンではないと言っています。卵は黄身だけ、肉は少し、そして多分野菜スープも少し、その全量で一日約350グラム、それにワイン(多分赤)を一日に400cc、これが80歳台のコルナロ翁の一日の食事全量(2回分)だそうです。そして御多聞にもれず食事が足りないという外野席の意見で、量を15%強(つまり350gを400gに、ワインを450ccに)増やしたところひどく具合が悪くなって死にかけたのだそうです。

最も素晴らしいのは死の直前まで頭脳は明晰、老年がこれほど素晴らしいとは・・と幸せを喜んで暮らしたそうです。そうですよね、豊かな知識と経験に裏付けられた健康な老年が一番素晴らしいに決まっています。こうしてみると、マクロビオティックの徒にとっても一番大切なのはやはり最後の関門、食の量という問題ですね。そしてあれこれ食べてはならないという規制より、はるかに量の規制が大切になってきます。マクロビオティックを伝えるということが、食べても良い材料を使ってお料理を伝えるということより、マクロビオティックの目的は何か、つまり人生の目的は何かということに眼目をおかなければならないということがはっきりすると思います。

とどのつまり食べ物の種類が決めるものは精神の種類で、本当はその前に量の規制が正しくなされなければ、おそらく結局は何の意味もないのではないかとさえ思うようになりました。精神の種類を支えるものが、量という基礎なのです。生き方の問題です。選挙と結果の問題です。中倉さんの本をどうぞ読んでいただきたいと思います。




それでは今日もまた:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知らすべからず??

2012-06-17 07:58:19 | その時々2

昨今のニュースに接するたびに、『知らすべからず、依らしむべし』という言葉を思います。この言葉が『べし』の解釈によって間違って理解されてきたことを、教室でもお話したことがありますし、多分このブログでも記事にしたのではないかと思います。為政者の自戒の言葉のはずのこの言葉は、現代私達がニュースで見る政治家達にとって、一体どんな意味を持っているのだろうかと考えてしまいます。

消費税について聞こえてくるのは『税と福祉の一体改革??』(でしたっけ?)、内容のわからない空疎なお題目ばかりで、辻褄の合った理由を得心させてはくれません。国際的政治と経済の直中にある我が国の内政を納得させてはくれません。参政権を与えるということは、『知らすべし』なのでは???どんなに難しくても『知らせる』努力をすべきなのではないでしょうか。それが『総理が語る』という意味ではないのですか。『国民と会話する』という政治家の務めではないのですか。『知る権利』というのはそういう意味なのではないのですか。

昔は『知らすことはできなかった』でしょうが、現代は国民全員が参加する選挙という仕組みによって、国政が運営されている世の中、『知らされていない』国民の投票なんて何の役に立つのでしょうか。それに昔は『依らしむべし』とする為政者の高貴な心があったでしょうが、多分その心を『知るべからざる』代議士によって政治が行われているのか、私達が『依るべき』現実が見えません。『依るべき』高貴な政治の心が見えてきません。


福島の人達はどうなっているでしょうか。今安心して暮らしているでしょうか。私達があんな目にあったら、私達もあの人々のような暮らしをしているはずです。やはり今も昔も政治とは説明不要な『依るべき』ものなのでは??福島の人心の決着をつけずに、原発問題を解決できないのでは・・・・・?原発を持っている以上、廃炉にしようとしまいと、原発の危険性が存続することは誰でも知っています。それに原発は壊すことも捨てることも出来ません。今回の大地震で明確になりました。

だったら私達が何より知りたいのは、また福島のようなことが起こったらどうするのか、という政府の具体的な方法では???マグニチュードいくつかという仮定に基づく虚ろなその場しのぎの『安全宣言』より、どうするという『戦略』では????そして福島の人々がその後どのように暮らしているか、東北の被災した人々がどのように暮らしを取り戻したかという、分かりやすい百聞に如く一見ではないのでしょうか???


悲惨な思いを抱えながら、実感したことがあります。それは古語の『八隅しし』という言葉です。たいてい『わごおおきみ(我が大君)』という言葉につながりますが、『八隅』は日隅月隅の日本全土、『しし』は『しろしめている』と習いました。そしてその言葉に『知』とか『治』等の漢字があてられていました。それはつまり『知』と『治』は同じ意味で、『大王だ』と知らせることが治めることであり、その方法が『依らしめる』事だったのだと思います。




そして今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津波・山津波・風津波

2012-05-10 08:31:52 | その時々2

昨年の東北地方の大震災以来、余計に自然災害を強く感じるようになりました。数日前は竜巻が襲って、あっという間に『私達があると思っていたもの』が壊されてしまいました。日本国中が津波・山崩れ・竜巻に襲われるようになってしまいました。台風だって、洪水だってみんな同じだと思います。地球表面に起こる私達に辛い気象変動ですが、地球中心部で起こっていることの連鎖としてあるに違いない地殻の変動・・・地震を思うと、何時の日か自転をきっかけに引き起こされるだろう地軸移動の可能性を思わざるを得ません。

そんな人智を超えた問題はおいても、『安全に目的地にたどり着く』と思っていた交通機関も事故を起こすし、道路を歩いていても自動車が突っ込んでくる・・・・・安全で便利と思っていた電力も、目の届かぬところで、原子力を制御しなければならないし、海の安全を確保して燃料を買いつけなければならない・・・・・私達の人智も、自分の範囲をはるかに超えて、人類の全体的規模・地球規模になってしまい、空想を想定条件にしてしまいました。つまり『このくらいで安全だろう・・・・・』と・・・この最たるものが我が国の憲法ですが、私達は希望が必ずしもかなえられないことを確認させられてしまいました。


これはずっと昔から営々と進んできた『よくなろう』とする人類の道で、ささやかな祈りと願いの道でしたが、ここ100年余の間に規模が広がり、果てなき欲望の道になりました。老人が『明治は遠くなりにけり』と慨嘆し、それを聞いてきた私達60を過ぎた者達が『昭和は良かった』と懐かしむ、そんな明治と昭和の心がこんな現在を生み出したことは間違いありません。今が悪いのなら、昔の志向が悪かったと言うほかありません。みんな私達の責任だと思います。私達がブレーキをかけなかったからです。反省して方向修正をしなかったからです。

私達が改心しなければなりません。絵に描いたぼた餅を追いかけるのはやめて、自分の心の中を照らすべきだと思います。マクロビオティックの徒であるからには、貪り食う心を捨てて、つつましく命の丈を養う食べ方をしたいと思います。良いものを日本国中、あるいは世界中から取り寄せるのはやめて、身の回りにあるものの中で選択をしながら食べたいと思います。そして覚悟を据えたいと思います。私達は動植物を福島の危険地域に放置しています。そこで今を生きている動植物に何が起こっているのでしょうか。

宮崎アニメの『風の谷のナウシカ』を思います。私達は『腐界』を作ってしまいました。そこにも『食の法則』が生きて、『腐界』に生きるべき動植物が増えてくるでしょう。イザナミノミコトの黄泉の国が現実化するはずです。それが『再生』の道なのですから。もし人智が介入できるとすれば、『腐界』の促進をする以外にないと思います。『腐界』の先に新しい地上がよみがえると思います。腐ったものを食べる動植物、腐った所に生える植物、腐ったものに住む動物・・・・・そんな生き物の力を借りて、また日の照る世界を取り戻さなければならないと思います。その時私達は空想を捨てて、『食』の実態を明暗ともにはっきりと体験すると思います。




そしてこんな今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拉致問題と領土問題

2012-04-19 09:51:35 | その時々2

石原都知事が尖閣諸島の問題に現状打開策を打ち出しました。

そもそも領土問題は拉致問題と根が同じだと思います。領土と国民は同じであり、国境は国民の家の境界です。つまり国民の命の保証境界です。安全が守らなければなりません。

違いがあるとすれば、国民と国民個人の間にある時間の単位だけです。つまり拉致被害者と分類されている同胞とその家族には人生の時間に限度があるということです。だから歴史上同胞が拉致されればその数に倍する以上の人数を送って取り戻したし、あるいはまた当方の拉致者(?)、つまり捕虜と交換をした・・・・・領土と国民は分けることが出来ないものです。

私達に国家観と国境感覚がないから、拉致問題を解決できないのだと思います。私達はユートピアではない現実社会に生きています。国家観と国境感覚が無いから、目の前にいない同胞の苦しみとその家族の苦しみを分かち合うことが出来ないのだと思います。

子供時代に読んだ『クオレ』を覚えていますか?『最後の授業』を覚えていますか?ドイツに占領されたフランス領に住んでいる人たちが、明日から『フランス万歳』と言えなくなる日の子供たちの学校の授業の最後に『フランス万歳!』と叫ぶお話ですよね。あの先生は何をしたかったのでしょうか。占領を容認して時間を過ごすことが無いように、子供達の心に『フランス』を刻みたかったんですよね。

私達は拉致された同胞を取り戻さなければならないし、国境を脅かされてはいけないのだと思います。そして北の北方領土も何とかして決着をつけなければなりません。目と鼻の先を占領された状態を放置して、どうして国民の命と生活の安全を保証できるでしょうか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自衛隊の救援活動

2011-06-15 08:31:44 | その時々2

自衛隊の救援活動が人々の心に寄り添っているとテレビで報道されて胸が熱くなりました。軍隊と言うものの特性でもある『臨機応変』、それが高く評価されて感謝されているというのです。軍隊は各地域で完結型の組織を持たないと活動できませんから、判断も現場の指揮者に一時委任の形で活動します。一々中央の指示を仰ぐことは出来ないのです。そして非常時を最短最善で切り抜ける最適の方法なのです。上下の信頼なくしては成り立ちません。自衛隊の真の姿を国中が認めたということが嬉しくてたまりません。

私はどうも何時も自衛隊の内側に心をおいて見てしまいます。自衛隊と心から敬愛する父を切り離すことは出来ません。国民から支持される自衛隊を見ると涙があふれます。戦後の自衛隊と言うものがどんな境遇にあったか、自分達の矜持とどんなに裏腹な待遇であったか、じっと沈黙する克己心を誇りの支えに、ひたすら義務を果たして国防の心を守り続けた父の姿を思い出します。

戦後私達は国防という意識を持たない国民になったと思います。アメリカによって完全に武装解除され、軍隊と言うものは意識から抹殺されてしまった一般国民、それでも心ある人達の努力でやっと編成することが出来たものの自衛隊は何とも訳のわからない立場に立っていたと思います。世論は長いこと軍隊悪者論でした。奉仕のみ求められて栄誉ある立場は与えられませんでした。防衛費を削られるばかりの立場でした。

軍隊は悪行をするもののように喧伝されましたが、それは間違っています。軍隊の質は国民の質が決めるのです。ただ一般国民よりやや過激と言うか濃縮された質になります。それは軍隊の活動が非常事態であることを考えれば納得がいくはずです。作戦展開の現場は悲惨な被災地であり、恐怖の戦場なのです。不心得者の数は国民の不心得者の率だと思うしかありません。悪弊をなくすよう知恵を集める以外にありません。どんな社会でも同じだと思います。

たまの帰省休暇中の思い出話を父から聞いたことがあります。父は若い青年将校でした。平服を着て汽車に乗ったそうです。当時の汽車は一等車から三等車までありました。三等車はぎゅうぎゅうです。当時の人達は二等車が空いていても自分は三等車に乗るということに特に違和感はなかったのです。そんな中に妊婦がいたのだそうです。若い父は義に駆られて車掌さんに妊婦を二等車に乗せるよう言ったそうです。駅長も交えて喧嘩腰になったそうですが、とうとう交渉決裂、憤慨して帰ってきたそうです。妊婦さんがどうなったのか分かりませんが、きっとぎゅうぎゅうの車両に周囲の人たちの配慮で何とか乗れたのではないかと思います。戦後の混乱ではなくまだ人々の心には秩序があったと思います。

この話には後日談があって、数日後この車掌さんたち数人が父を訪ねてきて謝ったそうです。父が士官だとわかったからだそうです。軍服を着ていたらその場の規則破りも出来たかもしれません。当時も軍隊は融通が利いて臨機応変であることを必須とした戦略が生きていたのですが、世間は規則にがんじがらめで一生懸命生きていたのです。ですがそれでもなお一般社会はどうしても律儀に規則を守る善意の人々に支えられているのです!!ただそれが結果的に良いとは限らない!!目を閉じて善行を行うと善行でなくなるかもしれない危うさを私達は自覚するべきだというお話でした。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする