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知らすべからず??

2012-06-17 07:58:19 | その時々2

昨今のニュースに接するたびに、『知らすべからず、依らしむべし』という言葉を思います。この言葉が『べし』の解釈によって間違って理解されてきたことを、教室でもお話したことがありますし、多分このブログでも記事にしたのではないかと思います。為政者の自戒の言葉のはずのこの言葉は、現代私達がニュースで見る政治家達にとって、一体どんな意味を持っているのだろうかと考えてしまいます。

消費税について聞こえてくるのは『税と福祉の一体改革??』(でしたっけ?)、内容のわからない空疎なお題目ばかりで、辻褄の合った理由を得心させてはくれません。国際的政治と経済の直中にある我が国の内政を納得させてはくれません。参政権を与えるということは、『知らすべし』なのでは???どんなに難しくても『知らせる』努力をすべきなのではないでしょうか。それが『総理が語る』という意味ではないのですか。『国民と会話する』という政治家の務めではないのですか。『知る権利』というのはそういう意味なのではないのですか。

昔は『知らすことはできなかった』でしょうが、現代は国民全員が参加する選挙という仕組みによって、国政が運営されている世の中、『知らされていない』国民の投票なんて何の役に立つのでしょうか。それに昔は『依らしむべし』とする為政者の高貴な心があったでしょうが、多分その心を『知るべからざる』代議士によって政治が行われているのか、私達が『依るべき』現実が見えません。『依るべき』高貴な政治の心が見えてきません。


福島の人達はどうなっているでしょうか。今安心して暮らしているでしょうか。私達があんな目にあったら、私達もあの人々のような暮らしをしているはずです。やはり今も昔も政治とは説明不要な『依るべき』ものなのでは??福島の人心の決着をつけずに、原発問題を解決できないのでは・・・・・?原発を持っている以上、廃炉にしようとしまいと、原発の危険性が存続することは誰でも知っています。それに原発は壊すことも捨てることも出来ません。今回の大地震で明確になりました。

だったら私達が何より知りたいのは、また福島のようなことが起こったらどうするのか、という政府の具体的な方法では???マグニチュードいくつかという仮定に基づく虚ろなその場しのぎの『安全宣言』より、どうするという『戦略』では????そして福島の人々がその後どのように暮らしているか、東北の被災した人々がどのように暮らしを取り戻したかという、分かりやすい百聞に如く一見ではないのでしょうか???


悲惨な思いを抱えながら、実感したことがあります。それは古語の『八隅しし』という言葉です。たいてい『わごおおきみ(我が大君)』という言葉につながりますが、『八隅』は日隅月隅の日本全土、『しし』は『しろしめている』と習いました。そしてその言葉に『知』とか『治』等の漢字があてられていました。それはつまり『知』と『治』は同じ意味で、『大王だ』と知らせることが治めることであり、その方法が『依らしめる』事だったのだと思います。




そして今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

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