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自衛隊の救援活動

2011-06-15 08:31:44 | その時々2

自衛隊の救援活動が人々の心に寄り添っているとテレビで報道されて胸が熱くなりました。軍隊と言うものの特性でもある『臨機応変』、それが高く評価されて感謝されているというのです。軍隊は各地域で完結型の組織を持たないと活動できませんから、判断も現場の指揮者に一時委任の形で活動します。一々中央の指示を仰ぐことは出来ないのです。そして非常時を最短最善で切り抜ける最適の方法なのです。上下の信頼なくしては成り立ちません。自衛隊の真の姿を国中が認めたということが嬉しくてたまりません。

私はどうも何時も自衛隊の内側に心をおいて見てしまいます。自衛隊と心から敬愛する父を切り離すことは出来ません。国民から支持される自衛隊を見ると涙があふれます。戦後の自衛隊と言うものがどんな境遇にあったか、自分達の矜持とどんなに裏腹な待遇であったか、じっと沈黙する克己心を誇りの支えに、ひたすら義務を果たして国防の心を守り続けた父の姿を思い出します。

戦後私達は国防という意識を持たない国民になったと思います。アメリカによって完全に武装解除され、軍隊と言うものは意識から抹殺されてしまった一般国民、それでも心ある人達の努力でやっと編成することが出来たものの自衛隊は何とも訳のわからない立場に立っていたと思います。世論は長いこと軍隊悪者論でした。奉仕のみ求められて栄誉ある立場は与えられませんでした。防衛費を削られるばかりの立場でした。

軍隊は悪行をするもののように喧伝されましたが、それは間違っています。軍隊の質は国民の質が決めるのです。ただ一般国民よりやや過激と言うか濃縮された質になります。それは軍隊の活動が非常事態であることを考えれば納得がいくはずです。作戦展開の現場は悲惨な被災地であり、恐怖の戦場なのです。不心得者の数は国民の不心得者の率だと思うしかありません。悪弊をなくすよう知恵を集める以外にありません。どんな社会でも同じだと思います。

たまの帰省休暇中の思い出話を父から聞いたことがあります。父は若い青年将校でした。平服を着て汽車に乗ったそうです。当時の汽車は一等車から三等車までありました。三等車はぎゅうぎゅうです。当時の人達は二等車が空いていても自分は三等車に乗るということに特に違和感はなかったのです。そんな中に妊婦がいたのだそうです。若い父は義に駆られて車掌さんに妊婦を二等車に乗せるよう言ったそうです。駅長も交えて喧嘩腰になったそうですが、とうとう交渉決裂、憤慨して帰ってきたそうです。妊婦さんがどうなったのか分かりませんが、きっとぎゅうぎゅうの車両に周囲の人たちの配慮で何とか乗れたのではないかと思います。戦後の混乱ではなくまだ人々の心には秩序があったと思います。

この話には後日談があって、数日後この車掌さんたち数人が父を訪ねてきて謝ったそうです。父が士官だとわかったからだそうです。軍服を着ていたらその場の規則破りも出来たかもしれません。当時も軍隊は融通が利いて臨機応変であることを必須とした戦略が生きていたのですが、世間は規則にがんじがらめで一生懸命生きていたのです。ですがそれでもなお一般社会はどうしても律儀に規則を守る善意の人々に支えられているのです!!ただそれが結果的に良いとは限らない!!目を閉じて善行を行うと善行でなくなるかもしれない危うさを私達は自覚するべきだというお話でした。




それでは今日も:

     私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!

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