四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

あじさい街道(埼玉県越生町)

2021年06月20日 | 花・鳥・風景


越生町麦原地内の『あじさい街道』へ行ってきました。今回が3度目になりますが、実に12年ぶり
のことで干支が一回りしてしまいました。
その理由は最後の方でお話したいと思います。
このあじさい街道の表示からあじさい山公園まで約3㎞続きます。
撮ってきた写真から何枚かをランダムに載せておきます、


























あじさい山公園の少し手前に「麦原あじさいまつり」の軽飲食の会場が設けられています。
軽トラックの前の看板には、【第28回麦原あじさいまつり 619 20 26 27 】とありますので
この2週の週末を祭りの日に設定したようです。




マップの中央に「あじさい山公園」がありますが、この公園のあじさいが2009年に病気にかかり
全滅してしまいました。
その後、毎年新しいあじさいを植栽して再生活動を行っているようですが中々元の状態には戻っ
ていません。
祭りのスタッフの方にお聞きしたところ、現在は、あじさい山公園には入れず、しかも、鹿が出
没してあじさいを食べてしまうとのことでフェンスで囲っているそうです。
あれから10年以上も経過したので、あじさい山公園のアジサイも期待しての久しぶりの散策でし
たが残念でした。但し、街道のあじさいは十分に楽しめ、多くの方が散策に来ていました。

散策日:令和3年(2021)6月20日(日)

慈光平廃寺跡(埼玉県小川町)

2021年06月19日 | 官衙・国分寺・廃寺跡


名 称:慈光平廃寺跡(じこうだいらはいじあと)
種 別:寺院跡
創 建:9世紀中頃(平安時代)
指 定:ー
所在地:埼玉県比企郡小川町靱負(ゆきえ)

大里郡寄居町との町境にある小川町靱負地区に東国最大の山岳寺院とされる『慈光平廃寺跡』があります。
斜面を削って造られた大小さまざまな平場が100か所以上存在し、寺院の範囲は東西約820m、南北約270m
にも及ぶ広さとのこと。
創建期は9世紀中頃で、9世紀後半から次々と平場が造られていったようです。これと類似する規模をもつ
同時代の山岳寺院は、まだ東国では確認されていないようで、中世に栄えた『慈光寺」(ときがわ町)に
先行する山岳寺院との見方もされているようです。
平場は甲慈光平地区に最も多くあり、次に多いのが乙慈光平地区で、寺院の中心部は甲慈光平にあったよ
うです。
試掘調査によって礎石をもつ東西4間(8m)、南北4間の建物が確認されたほか、瓦塔や灯明皿なども出
土したとのことです。
そんな『慈光平廃寺跡』を訪ねてみましたが、丘陵内入って平場を確認したわけではなく全体の場所を確
認しただけのことですが・・・




慈光平廃寺跡の寺域を「小川町遺跡地図」にある範囲を元にして青線で書き込んでみましたが、
手書きですので正確な範囲ではありませんので参考程度に見て下さい。
地名についてもこの辺りがという程度のものですし、その境目は分りません。




国道254号小川バイパス竹沢陸橋の上から慈光平廃寺跡方向を見てみましたが、点線の先が廃寺跡です。




東武東上線の線路の左側(西側)が「乙慈光平」 右側(東側)が「甲慈光平」のようです




右側が「甲慈光平」方向  この更に右方が「乙酉内」地区のようです




右側の家の辺りまで歩いてみましたが、線路の反対側ですので、線路左側の道をかなり南下しませんと反
対側に行く道がありませんでした。




線路右側の「甲慈光平」地区に入りました。平場が確認できます。この家のある場所を含めてこの周囲・
背後に沢山の平場があるようですが、民家の庭を通らなければなりませんので、山中に踏み入るのは避け
ました。




東武東上線の線路左側(西側)の模様です。
この辺りから線路に沿っていた道路は左にカーブして国道254号小川バイパスに向います。
左側の木の色が変わっているところを国道254号小川バイパスが走っています。




この家のある場所も慈光平廃寺跡の平場に含まれるようですし、この背後にも多くの平場が存在するよう
です。




上の写真の家のすぐ背後にある林道
ここを上って行った所に家がありましたが、慈光平廃寺跡の平場かもしれません?
また、途中小さな平場跡のようなものもありました。




国道254号小川バイパスに出る少し手前




小川バイパスに出ました
バイパスを横切った先が「乙長谷」、「尾形」地区のようです。
右側はまだ「乙慈光平」の領域かと思います。




国道254号小川バイパス 右側の丘陵も「慈光平廃寺跡」(乙慈光平)
ここから少し北進すると「金勝山トンネル」 トンネル内で大里郡寄居町に入ります




冒頭の写真とほぼ同じですが、国道254号小川バイパス歩道から「慈光平廃寺跡」(甲慈光平、乙慈光平)
方向を

散策日:令和3年(2021)5月12日(水)・14日(金)

武蔵国城館カード 第十号「菅谷館跡」

2021年06月18日 | 城館雑記

菅谷館跡 (埼玉県立嵐山史跡の博物館)
      



【本郭小口】と【土橋】、【空堀】




本郭北側の【出桝形土塁】




【出桝形土塁】を季節と向きを変えて




【復元木橋】

菅谷館跡は名称を「館跡」としていますが、形態から言えば「城跡」です。最近では菅谷城跡と
呼ぶことも増えてきましたがそれなりの理由があるようで名称変更にまでは至らないようです。
畠山重忠の館があった場所は特定されていません。時折、本郭が館跡だと説明する方がおります
が、館跡が特定されていない以上は肯定も否定もできませんが、否定の線が強い感じです。
「菅谷館」は続日本100名城に選定されていますので、「杉山城」と併せて、国指定史跡比企城
館跡群の半数が続日本100名城ということになります。

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武蔵国城館カード 第九号「熊井城跡」

2021年06月17日 | 城館雑記

熊井城跡 (鳩山町)
      


                                     2017.10.31撮影
【妙光寺】  この裏手に熊井城はあったと伝わるようです



                                     2017.10.31撮影
山際には削平した平場や堀跡ようなものが散見されますが、平場はその造りから近世のもののよう
に思えますし、堀跡と思えるものも排水等のためのもののように城郭に素人の私には見えました。
遺構こそはっきりとはしませんが、ここに何らかの城館があったことは確かなことかもしれません。

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武蔵国城館カード 第八号「杉山城跡」

2021年06月16日 | 城館雑記

杉山城跡 (嵐山町)
        
     

                                      2021.4.24撮影
旧鎌倉街道上道・旧川越児玉往還(県道296号・菅谷寄居線)付近から望む杉山城跡
「築城の教科書」・「中世山城の教科書」と言われるくらい、地形を巧みに利用した縄張りは屈指
の名城です。お城ファンならだれでも一度は訪れてみたいそんな山城です。
後北条氏の築城か、山内上杉氏によって築かれたのかという「杉山城問題」も発掘調査により山内
上杉氏によってという考えが強くなってきたようです。
続100名城にも選定されました。



                                      2021.4.24撮影
【本郭】(右側)と【切岸】(左側)
テレビでも取り上げられることが増えてきた杉山城。今年に入ってからでも
◎NHKテレビ:3月30日(火)
   「日本「最強の城」スペシャル」第8弾!行ってみたいあの名城の秘密に迫る
     落語会一のお城好き(特に土の城)春風亭昇太師匠も杉山城に出張っていました
◎テレビ東京:5月1日(土)
   出没!アド街ック天国 ~埼玉 嵐山・小川町~ 【8位城跡】で菅谷館跡と共に

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金鑚神社の芭蕉句碑(埼玉県神川町)

2021年06月15日 | 歌碑・句碑


句 : 行春や 鳥啼魚の 目は泪
    (ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)     

出 典: 『奥の細道』 元禄2年(1689)芭蕉46歳の時の句
所在地:埼玉県児玉郡神川町二ノ宮(旧・児玉郡神泉村) 金鑚神社
建立年:-
建立者:-




『金鑚神社多宝塔』(国指定重要文化財)
天文3年(1534) 阿保郷丹荘の豪族阿保弾正全隆が寄進
金鑚神社を訪ねたのは平成30年(2018)2月以来のことでした




朱色の欄干の『義家橋』   
源頼義、義家親子が前九年の役に出陣する途中この地で戦勝祈願し、橋を架けたといわれる。
義家橋を渡り鳥居を抜けると社殿に




『金鑚神社拝殿』
金鑚神社は、日本武尊が東征の際に創建したと伝えられ、武蔵二ノ宮に位置づけられています。
この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿が
ないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。




拝殿を過ぎて御嶽山登山口から御嶽の鏡岩をを経由して御嶽山に至りますが、登山口の左側に芭蕉
の句碑が建立されています
句碑の右側にある石標には【鏡岩 句碑の丘→】と刻まれていて
登山道の端には数え切れないほどの句碑が建立されています

散策日:令和3年(2021)5月9日(日)

武蔵国城館カード 第七号「安戸城跡」

2021年06月14日 | 城館雑記

安戸城跡 (東秩父村)
      



【本郭】
どこでもそうであるようにこの安戸城も昔は単に「城山」と呼ばれていました。
麓にある保育園の名称は「城山保育園」
「安戸城」と命名した人は・・・あの方です。




本郭に設置された「安戸城」説明板
最初の攻城時に有りませんでした。あればいいなと思っていたところ次の攻城時にはしっかりと・・・

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道の駅おかべ「味来さんぽ~旬の味来 味わい巡り~」

2021年06月13日 | まつり・イベント


深谷市(旧・大里郡岡部町)の「道の駅 おかべ」までとうもろこしを食べに行ってきました。
「道の駅 おかべ」では、2021年6月1日~7月11日の間、同駅主催による「~ふかや味来まつり~」
を開催中。
そして、6月12日(土)・13日(日) は【道の駅おかべで旬を迎えたとうもろこし味来を満喫しよう‼】
ということで「味来さんぽ~旬の味来 味わい巡り~」を開催とのことでしたので・・・
※味来 ・・・とうもろこしの品種名



情報センターの前がイベント会場になっています




とうもろこしの前にまずは道の駅おかべに行く度に食べる「深谷ねぎフライ」を




「深谷ねぎフライ」




とうもろこし第1弾は 味来【冷製スープ」で




味来【冷製スープ」
とうもろこしのほかに白ねぎも入っていました




味来【炭火焼き】を注文




味来【炭火焼き】 甘かったです

このほかにも味来を使ったものが何点かあったのですがこの2点だけを食しました




【深谷ねぎだんご】 深谷ねぎ料理選手権グランプリ
団子ーねぎー団子ーねぎー  という具合です  これは家で食べました




とうもろこし畑です
旧岡部町地内はとうもろこし畑だらけでした

深谷市と言えば「深谷ねぎ」があまりにも有名で「とうもろこし味来」も全国有数の生産地にも
関わらず知られていません(私が知らないだけか)
深谷ねぎは旧の深谷市が中心地 味来は旧の岡部町が中心地です。

食した日:令和3年(2021)6月12日(土)

武蔵国城館カード 第六号「青鳥城跡」

2021年06月12日 | 城館雑記

青鳥城跡 (東松山市)
      



本郭入口に建つ【埼玉県指定史跡 青鳥城阯】碑
かなりの広さがある城域です。宅地化が進んでいますが所々に土塁や空堀が残っています。
行ったことのある人は分りますがとにかく香ばしい臭いが漂ってきますので・・・




本郭の土塁
裏側(外側)は当然空堀になっていますが、朽ちた竹が折り重なるように堀を埋めていましたが、
今も同じような状態でしょうか・・・

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平成の森公園のショウブ園(埼玉県川島町)

2021年06月11日 | 花・鳥・風景


川島町の「平成の森公園」に中にある『ショウブ園』に行ってきました。
前回ショウブ園に行ったのは平成25年(2013)6月にのことですから8年ぶりになります。
実はこの5日前の6月4日(金)に、この公園と地続きの町役場まで来たのですが、ショウブ園のことは全
く頭の中にありませんでした。ふたつのことを考えて行動することが出来ませんので・・・
それはそれとして思い付きで訪ねたものですから盛りを過ぎていたようで、枯れた花が目立ちアップの写
真はほとんど撮りませんでした。












散策日:令和3年(2021)6月9日(水)