四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

ときがわ花菖蒲園(埼玉県ときがわ町)

2021年06月10日 | 花・鳥・風景


「ときがわ花菖蒲園」に行ってきました。
新型コロナウイルス感染状況を鑑みて、昨年(令和2年)に引き続き今年も『花菖蒲まつり』は中止にな
りましたが、花菖蒲園は開園(6月上旬から6月下旬まで・午前8時30分から午後4時まで)されてい
ます。入口で綺麗な花を咲かせていただくための協力金を支払って入園。今年もきれいな花菖蒲を見せて
いただきました。




















散策日:令和3年(2021)6月9日

武蔵国城館カード 第五号「養竹院-大田道灌陣屋跡-」

2021年06月09日 | 城館雑記

養竹院-大田道灌陣屋跡- (川島町)
      



太田道灌陣屋跡と伝わる【養竹院】
道灌の死後にその甥で養子でもある岩付城の太田資家が道灌の追善のために、別の伯父である叔悦
禅懌(道灌の実弟)を開山に迎えて開基したと言います。
境内の世代墓地には開基の太田資家とその夫人、また資家の子の太田資頼の墓と伝わる宝篋印塔が
あります。




【太田道灌の陣屋跡】碑

太田道灌と言えば、『太田道灌をNHK大河ドラマに!』ということで道灌ゆかりの自治体、【埼
玉県越生町・・・道灌の生誕地】、【川越市・・・川越城築城】、【神奈川県伊勢原市・・・没し
た地】などが中心になって推進しているようで、賛同自治体25に及び署名も全国から集まっている
ようです。川島町はいかに・・・

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武蔵国城館カード 第四号「腰越城跡」

2021年06月08日 | 城館雑記

腰越城跡 (小川町)
     


                                      2014.1.10撮影
「榎木戸」の地名が残るここが大手口と言われます。
国指定史跡比企城館群の4城館に比べれば小規模の城跡ですが、「囮小口」、「隠小口」、「桝形
小口」など卓越した工夫が凝らされた中世の山城です。
仮に、四つの城館跡で構成されている国指定史跡比企城館跡群にもう1城を追加するということが
あるとすればその1城はこの腰越城以外にはないと・・・



                                      2014.1.10撮影
「本郭」 本郭からは東に小川町の街並みを 西に安戸(大河原谷・東秩父村)を望め、まさに
安戸を守るに最適な位置にあります。
本郭には「腰越城跡」碑のほかに城主山田氏の末裔が建立した「本郭跡」碑もあります。

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武蔵国城館カード 第三号「山田城跡」

2021年06月07日 | 城館雑記

山田城跡 (滑川町)
      



【郭の中心部】  山田城は大きな単一郭のみで周囲を土塁、空堀で囲んでいます。




【空堀】

この城跡を見学するには入園料が必要です。と言いますのも、この山田城跡は「国営武蔵丘陵森林
公園」の中にありますのでまずは入園料を払って「国営武蔵丘陵森林公園」に入らなければなりま
せん。お城好きの方なら城跡を見るためだけに入園すると言う方も中にはあるかも知れません。
この山田城跡の近くには山崎城跡もありますので当然両方を見て歩くでしょう。

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武蔵国城館カード 第二号「松山城跡」

2021年06月06日 | 城館雑記

松山城跡 (吉見町)
      



市野川に架かる「市野川橋」越しに松山城跡を望む
他の松山城と区別する意味から「武蔵松山城」、「武州松山城」とも呼ばれます。
東松山市(元は松山町)でなく吉見町にあるのになぜ松山城と言われるのか疑問に思う方も多数。
実は、松山城が先でその城下にあったことから松山町を称するようになったとのようです。




【本曲輪】 この本曲輪に建っていた城址碑は倒壊寸前の状態でした。この2年後に行った時も同
じ状態のままでしたし(重機が入るのが難しい場所ということもあるでしょうが)、ここではそれ
ほど目立ちませんが、藪状態の場所が多く、比企城館群跡の他3城館がよく整備されているのと比
較すると・・・おっと これ以上は書けません。それなりの事情があってのことでしょうから。

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武蔵国城館カード 第一号「小倉城跡」

2021年06月05日 | 城館雑記

小倉城跡 (ときがわ町)
      



【郭1(本郭)】 最初に攻城した時は樹木で郭の様子がよくわかりませんでしたが、この時は
伐採されていましたので見易くなっていました。




郭1東下腰郭(?)の【石積】

なお、史跡指定されている面積の中には一部小川町分、嵐山町分も含まれていますが、その大半と
主体部はときがわ町分ですので、ときがわ町に所在の城跡として捉えられています。

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武蔵国城館カード ~はじめに~

2021年06月04日 | 城館雑記


埼玉県比企地区には数多くの中世城館跡が点在しています。
比企地区文化財振興協議会と県立嵐山史跡の博物館が共同で作成した『武蔵国城館カード』全10種
を各市町村と嵐山史跡の博物館で配布していますので2日かけていただいてきました。

10の城館等は下記の通り

第一号
城館名:小倉城跡 (ときがわ町)
所在地:比企郡ときがわ町大字田黒字城山
指 定:国指定史跡(比企城館跡群)
配布場所:玉川公民館・都幾川公民館

第二号
城館名:松山城跡 (吉見町)
所在地:比企郡吉見町大字南吉見字城山
指 定:国指定史跡(比企城館跡群)
配布場所:吉見百穴入口

第三号
城館名:山田城跡 (滑川町)
所在地:比企郡滑川町大字山田字城山
指 定:埼玉県選定重要遺跡
配布場所:滑川町エコミュージアムセンター

第四号
城館名:腰越城跡 (小川町)
所在地:比企郡小川町大字腰越字南城山
指 定:埼玉県指定史跡
配布場所:小川町役場3階生涯学習課窓口

第五号
城館名:養竹院‐太田道灌陣屋跡 (川島町)
所在地:比企郡川島町大字表
指 定:未指定
配布場所:川島町役場2階生涯学習課窓口

第六号
城館名:青鳥城跡 (東松山市)
所在地:東松山市大字石橋字内青鳥
指 定:埼玉県指定史跡
配布場所:東松山市埋蔵文化財センター

第七号
城館名:安戸城跡 (東秩父村)
所在地:秩父郡東秩父村大字御堂字槻川東谷
指 定:東秩父村指定史跡
配布場所:東秩父村和紙の里ふるさと文化伝習館

第八号
城館名:杉山城跡 (嵐山町)
所在地:比企郡嵐山町大字杉山中窪
指 定:国指定史跡(比企城館跡群)
配布場所:嵐山町役場嵐山町教育委員会事務局窓口

第九号
城館名:熊井城跡 (鳩山町)
所在地:比企郡鳩山町大字熊井字城添
指 定:未指定
配布場所:鳩山町多世代活動交流センター2 階文化財分室

第十号
城館名:菅谷館跡 (埼玉県立嵐山史跡の博物館)
所在地:比企郡嵐山町大字菅谷字城
指 定:国指定史跡(比企城館跡群)
配布場所:埼玉県立嵐山史跡の博物館

※配布場所の住所、配布時間、休館日については省略しました

「比企地区文化財振興協議会」とは、比企地域(東松山市、小川町、嵐山町、吉見町、川島町、滑川町、
鳩山町、ときがわ町、秩父郡東秩父村)の文化財担当者で構成されています。
毎年、各市町村の持ち回りでの「文化財めぐり」(一昨年は東秩父村の文化財めぐり)、各市町村を巡回
していく「 比企歴史の丘巡回文化財展」(嵐山史跡の博物館を含む)も行っています(昨年は新型コロナ
の関係で両者とも中止)

「城館カード」はこれら比企地区9市町村と嵐山史跡の博物館がそれぞれ市町村の城館跡のひとつをカード
にしたものですが、正直、国・県指定史跡の城館が複数存在する町もあれば、伝承に近い程度の城館跡しか
存在しない町もありますが、公平にひとつずつ。

個々の「武蔵国城館カード」の紹介は明日からを予定しています。

大仏廃寺跡(埼玉県美里町)

2021年06月03日 | 官衙・国分寺・廃寺跡


名 称:大仏廃寺跡(だいぶつはいじあと)(別名:駒衣廃寺跡(こまきぬはいじあと)
種 別:寺院跡
時 代:奈良・平安時代
指 定:埼玉県選定重要遺跡(名称:駒衣廃寺跡 昭和44年〔1969〕10月1日選定)
所在地:埼玉県児玉郡美里町木部字上広谷49-1ほか

大仏廃寺跡(別名:駒衣廃寺跡)は、台地上に道営された奈良・平安時代の寺院跡です。
場所については、「美里町遺跡の森館」の西方に当りますが、その範囲は定かではありませんし、現地説
明板もなく、遺構も見られません。
遺跡の森館を訪ねてみるも、地形模型に場所が表示されるだけで、出土品等の展示は見られませんでした。
他の遺跡の出土品等については充実していますので、たまたま大仏廃寺跡だけが資料不足なのかもしれま
せんが。
なお、上記の通り「駒衣廃寺跡」の名称で埼玉県選定重要遺跡に選定されていますが、一般には「大仏廃
寺跡」が使われているようですので、この投稿ではこちらを主としました。




美里町・美里町観光協会発行の「美里町観光ガイドマップ」には【大仏廃寺跡】と点表示されていますが、
ゼンリン等の地図では大仏廃寺跡の表示はありません。




この地図にも廃寺跡の表示はありませんが、廃寺跡の範囲を書き込んでみました。
ネットで見つけた廃寺跡の範囲を水色の線で、美里町遺跡地図に示されている範囲を赤線で囲んでみまし
たが、いずれもおおよそですので正確ではありません。
丸数字は下に掲げる写真の撮影場所と撮影方向です。




国道254号線沿いにある「美里町 遺跡の森総合公園』入口の標識   ①地点




上記入口を入って行った道路  ②地点
この道路の両側が大仏廃寺跡とされるようです




道路右側(東側)の大仏廃寺跡 右側のアパートのある場所も大仏廃寺跡   ③地点




道路右側の大仏廃寺跡を遺跡の森館方向に    ④地点




逆方向(北方)から道路両側の様子を    ⑤地点




道路の西側の状況   ⑥地点




谷ツ池越しに大仏廃寺跡を  ⑦地点

廃寺跡と言えど礎石一つあるわけでもない今はただの住宅地 2日に亘り訪れて歩き回り 何十枚もの写真
を撮っても使うのはほんの数枚 何がよくてと思われるかもしれませんが そこに廃寺跡があったというか
ら ただそれだけのことで・・・:

散策日:令和3年(2021)5月12日(水)・14日(金)

如来堂の芭蕉句碑(埼玉県行田市)

2021年06月02日 | 歌碑・句碑


句 : あの雲は 稻妻を待つ たより哉
    (あのくもは いなずまをまつ たよりかな)     

出 典: 『阿羅野』 貞亨5年(1688) 芭蕉45歳の時の句
所在地:埼玉県行田市須加 如来堂(阿弥陀堂)
建立年:文久2年(1862)
建立者:当所連




【碑陰】
  文久二年正月吉日
     當初蓮
        曲山




如来堂(阿弥陀堂)




「阿弥陀堂縁起」

散策日:令和3年(2021)5月1日(土)

天神社の芭蕉句碑(埼玉県行田市)

2021年06月01日 | 歌碑・句碑


句 : 名月や 池をめくりて 夜もすから
    (めいげつや いけをめぐりて よもすがら)     

出 典: 『あつめ句』 貞亨3年(1686) 芭蕉43歳の時の句
所在地:埼玉県行田市上池守 天神社(天満宮)
建立年:-
建立者:-




上池守の天神社
この場所は熊谷市との境にあります。元は北埼玉郡星宮村上池守
昭和30年(1955)7月20日、北埼玉郡星宮村が行田市に編入
同年10月1日熊谷市に一部(行田市に編入した旧星宮村の一部)が編入
上記のような途中経過はありますが旧星宮村は分村して行田市と熊谷市に分かれたわけです
このことから、行田市と熊谷市の双方に星宮小学校、星宮公民館が存在しています




芭蕉の句碑は社殿の左方に建立されています(写真の中央)

散策日:令和3年(2021)5月1日(土)