四季・めぐりめぐりて

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渋沢栄一翁ゆかりの血洗島諏訪神社(埼玉県深谷市)

2021年03月05日 | 神社仏閣


社 号:諏訪神社(すわじんじゃ)
通 称:血洗島 諏訪神社(ちあらいじま すわじんじゃ)
御祭神:建御名方神(たけみなかたのみこと)
創 建:不詳
社 格:旧村社 
例 祭:10月17日
指 定:-
鎮座地:埼玉県深谷市血洗島117-6

深谷市血洗島に鎮座する諏訪神社を参拝してきました。
血洗島 諏訪神社は、大河ドラマ「青天を衝く」や2024年度に刷新される一万円札の肖像画にも
決定している近代日本経済の父と称される渋沢栄一の生家「旧渋沢邸・中の家(なかんち)」か
ら5分ほどの距離にあり、渋沢栄一とも非常に関係の深い神社です。
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 諏訪神社は血洗島の鎮守社で、古来より武将の崇敬が厚く源平時代に岡部六弥太忠澄は戦勝を
祈願したといわれ、また、この地の領主安部摂津守も、参拝したと伝えれれている。
 現在の拝殿は、大正五年(1916)渋沢栄一が喜寿を記念して造営寄進したものである。
 栄一は帰郷の際、まずこの社に額づいた。そして、少年時代に自ら舞った獅子舞を秋の祭礼時
に鑑賞することを楽しみとしていた。栄一が奨励したこの獅子舞は、現在も大事に受け継がれて
いる。
 境内には、栄一手植えの月桂樹と長女穂積歌子が植えた橘があり、その由来を記した碑がある。
 なお、村民は栄一への報恩のため、建立した喜寿の碑が境内にある。
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拝殿前に置かれている参拝者向けリーフレット「諏訪神社」から抜粋転記




参道入口  社号標『村社 諏訪神社』とあり  右の建物は『社務所・血洗島ふれあい会館』




『一の鳥居」 明神鳥居です




『澁澤父子道遺顕彰碑』




『参道』




『二の鳥居』 両部鳥居です




立派な彫刻が施された屋根付きの扁額『諏訪神社』 澁澤榮一謹書




『諏訪神社』由緒




『手水舎』




『拝殿』
大正5年(1916)、渋沢栄一翁が喜寿を記念して造営寄進したもの
※賽銭箱の左側に諏訪神社のリーフレットが置かれている




拝殿前左手の『橘』
長女穂積歌子が父栄一のために植えたもの 脇にある碑はその由来を記したもの




『本殿』 拝殿とは繋がっていません




本殿扁額『諏訪神社 正四位勲二等男爵澁澤榮一謹書』とある 
渋沢栄一翁の揮毫による




『天満宮』




拝殿・本殿・天満宮を右後方から




『渋沢青淵翁喜寿碑』
栄一翁の喜寿を祝って諏訪神社の氏子中の拠金によって建立された
徳川慶久 題額、萩野由之 撰、坂正臣 書   ※徳川慶久は徳川慶喜の七男


        
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 題 額
澁 澤 青 淵 翁 喜 壽 碑
      公爵 徳川慶久題額
 碑 文
男爵澁澤青淵翁、今年七十七の高齢に達せられたるを以て、郷里なる八基村字血洗島の人々、碑を立てゝ翁の
徳を頌せんとして、余に文を求めらる。余訝り問ひて、翁の功績は甚大なり、村人の私すべき所ならんやとい
ふに、人々首打掉りて否々、吾村は武蔵平野の小村ながら、翁の如き大人物を出したるを誇とすべし。翁や青
年の頃村を去りて国家の為に奔走し、今は世界の偉人として内外に瞻仰せらるれども、我等は尚翁を吾村の父
老として親しみ慕ひ、翁も亦喜びて何くれと村の事に尽すを楽となせり。翁は嚮に八基小学校の新築と、其維
持法とに就きて、多くの援助を与へ、一村の子弟をして就学の便を得しめたり。村社諏訪神社は、翁が幼少の
時境内にて遊戯し、祭日には村の若者と共に、さゝらなど舞ひたる事あれば、村に帰れば先づ社に詣づるを例
とし、社殿の修理にも巨資を捐てゝ父老を奨励したり。今年は翁の喜寿に当りたれば、翁を迎へて彼のささら
を催しゝに、翁は記念として拝殿を造りて寄進したり、村人は此後春秋の告賽にも、子女の婚礼にも其便を得
て、敬神の念嚮学の風と相待ちて風俗の益敦厚ならんことを喜び合へり。翁が尊貴を忘れて郷閭に尽せる功徳
と情愛とは村人の深く感謝する所なりと。余此言を聞きて感じて曰く、微賤より起りて富貴を一身に聚めたる
人の草深き故郷を疎かにするは世の常なり、翁や世界の偉人として其故旧を忘れず、父老を敬ひ青年を導く、
大人にして赤子の心を失はずとは翁の謂なり、翁の行は社会の模範となすべく、翁の徳は伝へて天下の風気を
如し。翁の寿の九十に躋り百歳に至るは言はんも愚なり、後世翁の徳を聞きて感奮し、翁に継ぎて興る者あら
ば、翁は千歳にわたりて長へに生くべきなり。
  大正五年九月        
                文学博士 萩野由之撰
                     坂 正臣書

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拝殿前に置かれている参拝者向けリーフレット「澁 澤 青 淵 翁 喜 壽 碑」碑文を転記




『宮城遥拝所』




参道入口付近から見た血洗島 諏訪神社

参拝日:令和3年(2021)2月19日(金)

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