四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

勝呂氏館(埼玉県坂戸市)

2018年09月10日 | 100名城以外の城館跡


城 名:勝呂氏館(すぐろしやかた)
別 名:勝呂豊前守館・勝呂屋敷 
形 態:居館
時 期:平安時代末期
築城主:不明
城 主:伝勝呂豊前守(永禄年間)
遺 構:―
指 定:―
現 状:宅地
所在地:埼玉県坂戸市石井1905番地 宗福寺近辺

勝呂氏館は、宗福寺近辺地域が永禄年間(1558~70)の頃、後北条氏の家臣であった勝呂豊前守の居館跡と伝わる。勝呂(勝、
須黒とも)氏は、武蔵七党のひとつ村山党に属し、勝呂に住し、「吾妻鏡」にみえる恒高、その子頼高は承久の乱(承久3年・
1221)で討死している。豊前守はその子孫で後北条氏没落後は上総国久留里藩の里見家に仕えたという。(「埼玉の館城跡」)




県道256号線(川越片柳線)の「石井下宿交差点」の手前に「宗福寺」の寺号標が建つ入口があります。
電柱の後ろに見える屋根が保育園で、左側の建物が宗福寺ですが、この辺りが館跡のようです。




宗福寺本堂




境内にある板石塔婆




板石塔婆の説明板  ・・宗福寺は平安末期以来このちを領した勝氏の館跡に隣接して・・ とあります
かつては付近に堀跡や土塁といった遺構があったようですが宅地化に伴い消滅しているようです




坂戸市塚越に所在する「西光寺」
勝呂氏館とは直接関係ないのですが、「勝」の銘が入った宝篋印塔があるとのことで足を延ばしてみました。




門前にある西光寺の説明板  末尾に宝篋印塔のことが記されています




折角ですから西光寺本堂の写真を




本堂裏にある墓地の中の住職歴代の墓所の中にある宝篋印塔

実は、勝呂氏館跡として同じ坂戸市石井地内にある「大智寺」も推定地になっています。そのため大智寺の方を「勝呂氏館」と
呼び、宗福寺の方を「勝呂豊前守館」と称している方もおられ中々複雑です。一応、大智寺についても散策はしてあります。

散策日:平成30年(2018)8月19日(日)

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