朝起きるとあたり一面真っ白であったが、気温が上がったためか昼前には大方溶けてしまっていた。家で燻っていては勿体ないと出かけることにした。
しかし、遠方には行けないし、高所は雪も溶けていないだろうし凍結していそうだから避けなければならなかった。また城攻めでもするしかないと、
埼玉県本庄市児玉町八幡山(旧児玉町)の『雉岡城跡』を目指した。この雉岡城は別名「八幡山城」と呼ばれているようだ。
何ゆえに今回はこの城にしたか? 先週攻めた群馬県藤岡市の「平井城」の城主であった関東管領山内上杉家は、平井城に移る前、ここ「雉岡城」を
居城にしていたとのこと。それなら是非見ておこうというわけで・・・山内上杉氏のあとは後北條氏が使用したらしいし。
案内板にもあるよう城跡として残っているのは一部であるが、想像していたよりは規模も大きく、土塁や郭跡がよくわかる。
空堀はかなり深い。写真ではなかなかその深さが分からないのが残念であるが。
この深堀の中に、「夜なき石」なるものがある。これの説明版も写真に撮ったのだが、省略させてもらう。V字の空堀の先に見える建物は、児玉高校である。
この城跡の特徴として、「水堀」があることです。そういえば今まで登城した城跡で水堀が遺っていたところはなかったような。
鴨が泳いでいたほか、鷺(?)も。これ以上近づいたら飛び去ってしまいましたが。
城跡内には、埼玉の三偉人のひとり・江戸時代の盲目の国学者塙保己一の記念館が建っている。折角だから入館してみようかと思ったものの時間の都合でパス。
また、同館の脇のほうには「金比羅神社」が祀られていいます。
さらに、土塁の一番端のほうに、子供武者の石造が建っている。誰をモデルにしたのか? 建立の理由は? 等と思い何か説明板でもあるかと探したものの結局は不明。
この「雉岡城跡」も例に漏れず、城址公園として整備されているもので、郭のあちこちらに遊具や東屋がありました。
なお、ここ「雉岡城跡」は、埼玉県指定史跡となってます。
散策日:2010年(平成22年)2月14日(日)