goo blog サービス終了のお知らせ 

四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

鐘楼のある『腰越氷川神社』(埼玉県小川町)

2020年10月27日 | 神社仏閣


社 号:氷川神社(ひかわじんじゃ)
通 称:腰越氷川神社、氷川様
御祭神:・素盞鳴尊(スサノオノミコト)
    ・奇稲田比賣命 (クシナダヒメノミコト)
    ・大那牟遅命(オオナムチノミコト)
創 建:不詳
社 格:旧指定村社
例 祭:10月18日
指 定:ー
鎮座地:埼玉県比企郡小川町腰越1382

比企三山(笠山・堂平山・大霧山)のひとつである笠山の麓ともいえる集落の鎮守である「腰越氷
川神社」を参詣してみました。
知名度も全くない小さな神社ですが、面白いことに境内に「鐘楼」があるのです。かつて神仏習合
の時代が長く続いていましたからその名残りかとも思いました。
しかし、そうではないようです。下記に当氷川神社の説明板と鐘暦なるものを載せておきます。
なお、写真右上の紋は、腰越氷川神社の神紋「八雲紋」です。




県道熊谷・小川・秩父線(県道11号線)の小川町と東秩父村の境の近くに腰越城跡がありますが、
すぐそばを流れる槻川に架かる「切通橋」を渡ってすぐのY字路を笠山方向に進みます。
槻川沿いにある道路の端に「指定村社 氷川神社」の社号標が建っています。
氷川神社へは写真左側の道路を山方向に進みます。




社号標のある所から右折して約130m進むと氷川神社参道前に着きます




『狛犬』




『鳥居』  「氷川神社」とある扁額




『社務所』




社務所の前に建っている 氷川神社説明板
氷川神社のことが簡単に説明されているだけで、鐘楼に関することは記載がありません




『拝殿』




拝殿の扁額『氷川神社』と揮毫




『拝殿内』




本殿背後は天王山と呼ばれる岩山の切り立った崖




  社殿左側にある境内社 『産泰神社』     社殿右側にある境内社 『八坂神社』




      『日枝神社』・『稲荷神社』・『稲荷神社』・『疱瘡神社』




 『手水舎』             『鐘楼』




 鐘 暦
當神社の旧梵鐘は天保癸巳十二月祥日(一四五年前)関根八十八氏発願主となり氏子一同寄進した
ものである
爾来幾星霜の歳月久しき間荘厳なる音色を発し親しまれ続けたるも大東亜戦争に遭遇し国策に則り
昭和十八年二月応召供出したものである 
茲に 
天皇陛下御在位五十年を記念して氏子一同心を合せ梵鐘を再鋳発願し天下泰平国家安泰家内繁盛を
祈願し奉献するものである
昭和五十二年十月十八日 
  氷川神社宮司 馬場亀作  
  同    発 願 者 一 同

天保癸巳は天保4年(1833)ですから江戸時代の後期です。鐘暦の日付 十月十八日 は、祭礼の日
に合わせたようです
この「鐘暦」を読んでも、なぜここに鐘楼があるのかや、寺院があったともないとも一切書かれて
いませんが、氷川神社の氏子が梵鐘を寄進したことだけは分りました。
神仏習合の名残りならともかく、梵鐘(鐘楼)はお寺さんにあるもので神社にはないという考え(思
い込み)があったことから、神社に梵鐘があることが不思議だったのです。
知識教養がない故の疑問も当神社の氏子さんにお聞きすれば解決するのでしょうが・・・




『梵鐘』
 表面に 【天皇陛下御在位五十年記念】  撞座のある面に 【氷川神社寄進梵鐘】
 側面に 【宮司馬場亀作  腰越氏子講中  昭和五十二年十月十八日】
 反対側面には寄進者の氏子の名が入っています




社殿の左側にある岩山の割れ目の前に鳥居が立っています




中には石祠が数基あります  この岩山が信仰の対象だったのかもしれません
ここもこの氷川神社の特徴的な場所かもしれませんね。




崖上には「御嶽山大神、三笠山大神、八海山大神」と彫られた碑が建つということですが、ここま
で登ってやめました・・・

参詣日:令和2年(2020)9月13日(日)

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。