
名 称:縁切寺満徳寺遺跡
指 定:県指定史跡(昭和31年〔1956〕6月20日指定)
所在地:群馬県太田市徳川町(旧新田郡尾島町)
■ 縁切寺満徳寺遺跡
徳川満徳寺(まんとくじ)は、江戸時代に鎌倉東慶寺(とうけいじ)と並んで女性を救済するという縁切りの特権を認めら
れた尼寺です。満徳寺の由緒書等によれば、鎌倉時代、徳川氏の祖新田(世良田・徳川)義季(よしすえ)を開基とし、義季
の娘浄念比丘尼(じょうねんびくに)を開山として創建されたと伝えられます。代々の住職は新田氏一族の子女が住持となり
ました。新田氏の衰退と共に荒廃していきましたが、天正19年(1591)徳川家康より徳川郷内に朱印地(しゅいんち)
100石を拝領し、衰退していた寺を復興させました。大阪夏の陣(1615)の後、2代将軍徳川秀忠の娘千姫が豊臣家と
縁を切るために入寺(実際は待女が入寺)し、離婚後再婚した例にならい、縁切寺法の特権が幕府に容認されたと伝えられま
す。明治5年(1872)廃寺となりました。現在、縁切寺満徳寺遺跡公園として、本堂・門・庭園等を復元し、資料館を開
設して一般公開をしています。
《太田市ホームページ 太田市の文化財 より引用》
広い駐車場も整備されていますし、園内には「縁切寺満徳寺資料館」(入館有料)が併設されています。

縁切寺満徳寺東側にある「駆込門」(復元) ここからは入園できません。
門前に「縣指定史跡 徳川 満福寺」の標柱があります

駆込門の左方の竹垣前に設置されている「縁切寺満徳寺」説明板

遺跡公園南側にある入口を入った所にある「縁切寺満徳寺遺跡公園案内図」 イラストでとても分り易い案内図です

案内図の傍らには「尾島かるた」の立て札 ま 満徳寺 日本で二つの 縁切寺

「縁切寺満徳寺資料館」
資料館を見学すると遺跡公園を見る時間がなくなってしまうので今回はパス

竹垣の向こうが縁切寺満徳寺遺跡公園

縁切寺満徳寺遺跡公園出入り口 閉園になると鎖が掛けられるようです
園内を見学していると職員の方が「あと5分位で締めますから」とわざわざ連絡に来てくれました
陽も落ち始めていましたし、そんなことで途中からは急ぎ足での見学
そんな中、新たな見学者が入って来ましたが見学できたのでしょうか?

立て札の先が「土蔵跡」

園内全体に礎石で建物跡を表示しています

本堂の南側にある「庫裡跡」

「寺役場(寺役所)跡」

園内南側の状況

「隠居所跡」

「満徳寺旧本堂」を南西から

南方から

「満徳寺旧本堂」(復元)

「満徳寺旧本堂」説明板

「中門」(復元)を本堂側から

「中門」を駆込門側から

「駆込門」(復元)

園の外から竹垣越しに見た「満徳寺旧本堂」
散策日:平成30年(2018)10月6日(土)