名 称:今宿遺跡(いまじゅくいせき)
形 態;集落跡
時 代:奈良・平安時代(8世紀~10世紀)
指 定:狭山市指定史跡(名称:今宿遺跡 昭和51年〔1976〕4月1日指定)
所在地:埼玉県狭山市広瀬台1丁目22番
狭山市広瀬台の団地の中の公園に、奈良・平安時代の住居跡である今宿遺跡があるとのことで訪ね
てみました。
今宿遺跡のある公園を北側から 遺跡保存エリアへは立ち入りできません
公園内東側に建立されている「入間市指定史跡 今宿遺跡」石碑
碑陰には、今宿遺跡発見の経緯と遺跡の説明が全面委刻まれており
末尾に 昭和46年4月1日 狭山市教育委員会 とあります
【今宿遺跡説明板】
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狭山市指定文化財 史跡
今宿遺跡
所在地 狭山市大字上広瀬
指定年月日 昭和51年4月1日
この遺跡が発掘調査されたのは昭和44年(1969)4月で、大規模宅地造成に伴うものでした。発掘面積は約78,
000平方メートルで、そこから48軒の竪穴住居跡が見つかり、3軒が保存(うち1軒は復元)されています。
発掘された住居跡は正方形かそれに近いもので、地面を掘り下げて床とし、その周囲には溝を掘って板を埋めて
壁としました。竈は住居の北側または東側の壁に築かれ、煙り出しの煙道(えんどう)は住居外に設けてあります。
住居の大きさは縦横とも4メートル前後が多く、なかには7メートルを超えるものもありました。住居が築かれた
年代は、8世紀台がもっとも多くて25軒、8~9世紀にかけてが1軒、9世紀台が11軒、10世紀台が2軒、不明が9軒で
す。
出土品は土器がもっとも多く、このほかに鉄製品・銅製品、炭化したコメ・ヒエがあります。土器は土師器(は
じき)・須恵器(すえき)が主体を占めていますが、なかには灰釉陶器・緑釉陶器といった釉薬のかかったものも
あります。
鉄製品は鋤・鎌といった農具や、刀子(小刀)、矢の先端に取りつけた鏃などが出土しています。また銅製品は、
簪が見つかっています。
平成18年2月
狭山市教育委員会 狭山市文化財保護審議会
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北側道路から遺跡エリアを
復元された住居と竪穴式住居跡の窪み
復元住居を西方から
復元住居を西方から
「メタセコイア古木株」
今宿遺跡とは関係のないもので、昭和49年に笹井堰下流の入間川河床で見つかったものを、ここに
保存展示されているもの
詳細は省きます。
散策日:令和3年(2021)5月30日(日)