四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

稲荷塚古墳(埼玉県嵐山町)

2017年12月16日 | 古墳


名 称:稲荷塚古墳(いなりづかこふん)
墳 形:円墳
築 造:7世紀後半(推定)
指 定:町指定史跡(昭和36年(1961)10月1日指定)
所在地:埼玉県嵐山町菅谷

嵐山町菅谷地内にある「稲荷塚古墳」を訪ねてみました。
位置的には、埼玉県立嵐山史跡の博物館と国道254号バイパスを挟んだ北側にあり、町立菅谷中学校の南側に当たります。
嵐山史跡の博物館の隣にある国立女性教育会館入り口前の信号のところをそのまま北に少し進んだ左側にあります。
以前は、嵐山町や吉見町の史跡等によく建っている横に大きな看板も庚申塔の前に建っていたようですが、いつの間にか
撤去されていました。
また、色褪せて読むのが困難であると不評であった平成2年に設置された説明板も、新しい現在のものになっています。
見た目も大きなものではありませんし、このように木が茂っていますと、説明板(案内板)でもない限りは古墳とは気づ
かないかもしれません。




現在の説明板には築造時期の記載はありませんが、以前の説明板には、「古墳時代後期(七世紀後半)の築造と推定され
る円墳である」旨が記載されていたようです。




この位置あたりから見れば古墳だと何とかわかりますが、予備知識がなかったり興味ない方はやはり古墳とは思いもしな
いでしょう。




左側が稲荷塚古墳 右側のフェンス内側が菅谷中学校のグラウンド
小路突き当りに国道254号バイパスが走り、その道向かいに嵐山史跡の博物館があります。




開口部は南側の民家と接する場所にあります。




開口部には扉が設けられて保護されています。




開口部と民家との間が狭いため相当な広角レンズを使わないと全体を撮ることは無理なようです。




鉄扉の格子の間から撮影に挑戦です。
側壁には同じくらいの厚さの薄い緑泥石片岩を小口積みに積み上げています。上からの圧力が水平にかかるように隙間なく、
様々な大きさ・厚さの石を丁寧に積み上げています




玄室までははっきりと撮ることはできませんでした。




稲荷塚古墳とは関係ないのですが、隣の菅谷中学校の校舎側面にある校章。五三の桐紋がベースになっていますね。
直ぐ近くにある「菅谷館」は、畠山重忠の館跡と言われています。畠山氏の家紋は足利氏支流であることから「二つ引両」
ですが、桐紋も畠山氏の家紋であったようです。
そんな菅谷館跡のそばにあることから五三の桐紋を校章にしたのかと推測します。

散策日:平成29年(2017)12月7日(木)

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