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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

畠山重能・重忠父子も崇敬した『皆野椋神社』(埼玉県皆野町)

2020年12月05日 | 神社仏閣
◇延喜式内社〔論社〕◇


社 号:椋神社(むく じんじゃ)
通 称:皆野椋神社
御祭神:・猿田彦大神( さるたひこのおおかみ)
    ・大己貴命(おおなむちのみこみ)
    ・八意思金命(やごころおもいかねのみこと)  
創 建:(伝)景行天皇40年
社 格:延喜式内小社〔論社〕・旧村社
例 祭:10月7、8日
指 定:ー
鎮座地:埼玉県秩父郡皆野町皆野238

『延喜式』の神名帳における「武蔵国秩父郡」の式内社は、秩父神社と椋神社の2社です。
しかし、秩父郡市内には5社の椋神社(別名の神社がもう1社)があり、何れが神名帳に
搭載の椋神社か定かでないことから、5社の椋神社を式内社(論社)としています。その
うちの1社皆野町皆野に鎮座する椋神社(皆野椋神社)を訪ねてみました。

御祭神と由緒
【概略】 ヤマトタケルノミコトが東国を巡見され秩父山中に出でられた時のこと。御矛を立てて
秩父国造の祖神ヤゴコロオモイガネノミコトを遥かに拝されると、たちまち光が放たれ西の隅の森
にある椋の木の下に老翁が現れ、あなたを導き守りましょうと言われた。その老翁に名を尋ねると、
私はサルタヒコノミコトなり、と言われて姿を消された。よって、その地に神籬を立て、サルタヒ
コノミコト、オオナムチノミコト、ヤゴコロオモイガネノミコトの三神が祀られ椋神社の創始とな
った。                     (皆野椋神社ホームページから引用)




『一の鳥居』  大きな鳥居です 明神鳥居でしょうか
この鳥居の少し先の右側に皆野椋神社は鎮座します




皆野椋神社境内入り口 『二の鳥居』は両部鳥居のようです




『社務所』




『椋神社 御由緒』
畠山重能・重忠親子も崇敬したとあります。また、阿部豊後守とは忍藩主を務めた阿部
忠秋のこと




正面に『社殿』 右手の赤い屋根の建物は『神楽殿』 社殿と神楽殿の間に『護国神社』
が少しだけ見えます
社殿は南東を向いて建てられています




境内の参道左手にある『手水舎』




『拝殿』 屋根は【千鳥破風】と【唐破風】(向拝部)




『向拝』




扁額『椋神社』と揮毫




長押(?)に社紋の『三銀杏』(三つ組銀杏)が装飾されています




拝殿内部 幔幕にも『三銀杏』(三つ組銀杏)紋




社紋入りの御神燈




社殿を横から 右側が『本殿』




『神楽殿』




『護国神社』




本殿背後の境内社




『祖霊社』 『八坂大神』 『伏見稲荷大神』『太宰府天満宮』『4社合殿』『6社合殿』

※4社合殿=『産泰大神』『愛宕大神』『秋葉之大神』『八幡大神』
※6社合殿=『山之神大神』『諏訪大神』『摂社末社之大神』『駒形大神』『金刀比羅大神』『秩父彦之大神』





拝殿に向って本殿の右側にある石祠群

『高良玉垂大神』 『天児屋根神社』 『斎主大神』 「神明大神』 『菊理姫大神』『事解男大神』 『雷電大神』
『善女龍王大神』 『句々馳智大神』 『河菜姫大神』 『埴山姫大神』




境内入り口左側の石碑群
しめ縄のある左2基は『猿田彦大神』 右の大きな石は『石神様』




『猿田彦記念碑』

椋神社の主祭神猿田彦命は貞観十三年従五位上に叙せられ 延喜式神名帳に秩父
郡二座とあるうちの一社と伝えられる  椋神社は郡下に同名社五社をかぞえ明治政府はいずれも式内
社と称することを許したという その中で平将平・平重能の 墓がある円福寺が鎮守として崇敬し付近
に古墳の多いことなどからわが椋宮が本社であるとの説もある
 当社の草創をたずねれば景行天皇四十一年皇子日本武尊が 東国御巡見の折この地に至り猿田彦命の
お導きによっての御創祀と伝えられる 新篇武蔵風土記稿に「村ノ鎮守」と載せ られ小作地を持ち氏
子から社地参道寄進のあったことからも 崇敬の深さが知られ元禄年間以前より舞われている獅子舞を
始め神代神楽の奉納が今なお盛んなことにもあらわれている
 爾来氏子一同熱心な奉仕を続けて昭和六十二年十月十九日 伊勢本宮参拝を果たし 永代御祈祷御神
符拝受を畏み 今年 あたかも平成の御大礼を奉祝しこの由緒を誌し後世に伝える

『平重能の墓・平将平の 墓』⇐当ブログ記事にリンク




『皆野椋神社の獅子舞』説明板 と 『獅子舞之碑』




『皆野椋神社の獅子舞』説明板 

埼玉県指定 無形民俗文化財  皆野椋神社の獅子舞   昭和五四年三月二四日 指定

 明治一五年の大火で記録類が焼失し、詳しい縁起はわかりませんが、児玉町小平の石神神社獅子
舞の起源に、「元禄十二年皆野に伝わる獅子頭が小平に分けられ‥‥」と伝えられています。これ
が皆野椋神社獅子舞に関する、最も古い記録です。
 獅子頭は塗獅子で、狛犬型、龍頭型とがあり、髪は栗毛のたてがみで、大狂い、女獅子、小狂い
の三頭を一組として四組一二頭あります。
 演目は一八庭で、神前に子どもたちの舞うお神楽三拍子に始まり、ひきま、わせ、おく、弓掛り、
まり掛り、みいれ、ひょうたんまわし、幣掛り、竿掛り、花掛り、お神楽ざさら、輪掛り、橋渡り、
下妻、宿割、天狗拍子で終わります。三頭の獅子の足が腰鼓にあわせてぴたりぴたりときまるのが
特徴で、師匠ざさらといわれる「宿割」はその特色を最もよく表しています。
 一日の行事の中ほど、中入りには二人立ちの大神楽獅子二頭が勇壮に舞い、道化たちがからみま
す。また、演目の最終には一二頭の獅子に、中立四人が加わり、一六人ざさらともいわれる天狗拍
子が舞われます。
 古くは上郷組、下郷組とに分れ、交代で九曲ずつを受持って演じていました。また、今は行われ
ていませんが、椋神社と土京遥拝所の間にご神幸に供奉した道中または行列といわれた儀式は荘重
なものでした。
  実施期日 一〇月七日 土京遥拝所 
       一〇月八日 椋神社
 平成三年三月三一日              埼玉県教育委員会  皆野町教育委員会




もうひとつの『皆野椋神社の獅子舞』説明板 

参詣日:令和元年(2019)11月29日(金)