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四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

忍城主阿部忠秋公が再建した『髙城神社』(埼玉県熊谷市)

2020年12月16日 | 神社仏閣
◇延喜式内社◇


社 号:髙城神社(たかぎじんじゃ)
旧 称:高城大明神・高木大明神
主祭神:高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)
創 建:不詳・(伝)奈良時代以前
社 格:延喜式内小社・旧県社
例 祭:6月30日 胎内くぐり・12月8日  酉の市
指 定:指定有形民俗文化財(名称:常夜灯 昭和45年〔1970〕11月3日指定)
鎮座地:埼玉県熊谷市宮町2-93

髙城神社は、平安時代延喜5年(905年)の『延喜式神名帳』に「大里郡1座髙城神社」と
記載された式内社で、大変古い神社です。熊谷郷の総鎮守のお社として崇敬されている。
熊谷市の中心部に鎮座する当社は、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原の北条征伐に
おいて、忍城(現・行田市)が攻められた際、髙城神社も災禍に遭い社殿を焼失しました。
その後の寛文11年(1671)に、忍城主であった阿部豊後守忠秋が「髙城神社は式内社」で
あることから社殿再興を図ったことがきっかけで再建されました。この時に再建された本
殿と拝殿は、今も当時の面影そのままに残されています。




国道17号に面して建立されている『社号標』【髙城神社】と刻まれています
ここから長い参道が続きます




『一の鳥居』  正面の杜が髙城神社




『二の鳥居』
寛文10年(1670)旧忍城主、阿部豊後守忠秋公によって献納された【旧・二の鳥居】は、
平成10年(1998)事故によって貫の部分が破損したことから翌11年に新しい新調されま
した。この由来を後世に伝えるよう残った柱と笠木とともに碑を建てて、境内に安置され
ています。




『三の鳥居』  ここから境内です


        

『社号標』 【旧県社 髙城神社】と刻まれています
旧社格の廃止により社号標にある県社・郷社・村社の部分を消しているのはよくあります
が、逆に旧県社と入れているのは珍しいです




『高城神社略記』  ※ここでは「はしご高」でなく「高」が使われています




『手水舎』




境内参道




『亀の石像』
東日本大震災の復興祈願と第62回式年遷宮の奉祝事業として平成26年に建てられた石像
亀は長寿や幸運の象徴




『拝殿』




『拝殿』




『扁額』 【髙城神社】と揮毫されています




新型コロナ感染拡大防止のために本坪鈴の「鈴緒」に触れないように柱に括りつけられて
います




拝殿を斜め前から




拝殿屋根




向拝屋根の鬼飾りには「左三つ巴」




拝殿を横から




『拝殿』と『隙塀』




透塀の間から『本殿』を




本殿主棟にも「左三つ巴」




本殿背後から拝殿方向に




本殿背後




『戸隠山車庫』




末社 社名?




『熊谷酉の市起原碑』




境内社『熊野社』 御祭神:伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 




末社『天神社』 御祭神:少彦名神(すくなひこなのかみ)




『社務所・高城記念館』




拝殿手前左側には六社(七社)を納めた末社殿

 


左から 伊奈利大神・香取大神・鹿島大神・大國主大神・八幡大神・琴平大神・白山大神




『青銅常夜燈』




『青銅常夜燈』説明板




『御神木』  樹齢800年ともいわれる巨大なケヤキ




近年洞(ウロ)が広がり、中から外の光がはっきりみえるようになった




境内のもよう(拝殿前)




境内は玉垣で周囲を囲んでいます




ちょっとだけ離れて鎮守の杜を

参拝日:令和2年(2020)10月20日(火)