
名 称:横塚山古墳(よこづかやまこふん)
別 名:―
墳 形:前方後円墳
規 模:全長約40m、後円部径22.5m、高さ後円部で3.2m、前方部で2.5m
築 造:5 世紀末頃(推定)
出土品:円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪など
指 定:市指定記念物 史跡 (名称:横塚山古墳 昭和44年(1969)9月11日指定)
所在地:埼玉県熊谷市大字中奈良字横塚
この横塚山古墳に面する妻沼バイパスは数え切れないほど通っていますが、車の往来が激
しい上に駐車場もありませんので中々寄ることが出来ませんでした。
今回思い切って少し離れた場所の田園の中の道端に駐車して古墳まで。
この横塚山古墳は下野国の国造の任を終えて当地を開拓した奈良別命の墓所だとの伝承が
奈良神社にあるようす。

古墳の南側裾に設置の『横塚山古墳』説明板
熊谷市指定文化財史跡 横 塚 山 古 墳 指定年月日 昭和44年9月11日 所 在 地 熊谷市大字中奈良字横塚 横塚山古墳は、古墳の形態として代表的な前方後円墳であり、長軸は東西方向を向いています。 墳丘は、一部消滅して現在では全長30m、後円部最大径22,5m、前方部先端幅12m、高さは後円部 で3,2m、前方部で2.5mです。 妻沼バイパスの工事に伴って、昭和46年と51年の二度にわたり墳丘部が調査され、周溝の幅が確認 されています。この周溝により、墳丘は本来東西40mの長さであったと推定されます。周溝の幅は、 後円部南側で、5,8mです。 本古墳の造られた年代は、周溝内から出土した円筒埴輪や朝顔形円筒埴輪によると5世紀末と考え られます。しかし埋葬施設が調査されておらず不明な点が多く明確ではありません。 本古墳の周囲は、現在、水田になっていて、他に古墳は見られませんが、付近で埴輪片や土器片が 採集されます。かつては、付近に数多くの古墳があり、横塚山古墳を中心とした古墳群があったこと が考えられます。 平成8年3月 熊谷市教育委員会 |

国道407号妻沼バイパスの建設に伴い後円部の一部が削り取られています

墳丘南側

墳丘北側

墳頂

墳頂にはこんな石が
散策日:令和2年(2020)10月20日(火)