AKB48の旅

AKB48の旅

「どうや、ランクインしたで」

2018年07月21日 | AKB
(古都ものがたり 奈良)AKB・大西桃香、亡き父と朱雀門 不器用な愛で見守ってくれた

思春期のころから父とうまくいかなかった。トラック運転手の父は家を空けがちで、顔を見ると憎まれ口ばかり聞かされた。大島優子に憧れてオーディションに挑み、合格したときも「おまえでいいのか、ぶさいくやのに」とつれなかった。

 2014年春、高校に通いながらアイドルとして活動し始めた。自宅がある奈良と東京を行き来し、さらに父とすれ違う日々が続いて半年。不意に別れが訪れた。数日前から体調が悪そうだった父が自宅で倒れ、逝ってしまった。44歳だった。ステージに立つ娘を一度も生で見ないまま。AKBに入って初めて迎えた誕生日、大勢のファンに祝福されるはずの14年9月20日が葬儀の日になった。

 しばらく後、形見の携帯電話を渡された。保存されていた動画に、どこかの居酒屋か、店のテレビが映っていた。テレビには「AKBで頑張ります」と話す大西の姿。その画面を撮りながら、「めっちゃかわいいやん」とはしゃぐ父の声が収められていた。「速報 我が家に芸能人誕生」。喜々と文字が躍る友人あてのメールもあった。

 「そんな言葉を聞いたのは初めてで、思いもよらなかったし、ものすごく後悔した。もっと話せばよかったって」。真意に触れて、幼いころの父との思い出がよみがえってきた。

 特に、印象に残っているのは朱塗りの朱雀門(すざくもん)だ。710年の平城京遷都当初からあったとされる朱雀門は、宮城(きゅうじょう)の正門として築かれた。門の前は外国の使者を迎えたり、男女が歌を詠み合ったりして、にぎわったという。大西が生まれた翌1998年、高さ約22メートル、幅約25メートルの二重門として復元された。幼い大西は度々見上げて、威容に圧倒された。

 家が近く、門の周辺は身近な遊び場だった。父や母、兄と出かけて、ボール遊びをしたり、カマキリを捕ったり。「門の敷居は踏んではだめ」と教えられ、両手を敷居について小さい体で乗り越えた。そんな自分を楽しげに見守ってくれた父。

 仏間にある遺影は、随分若いころの写真で俳優の阿部寛に似ている。「どうや、ランクインしたで」。総選挙後に自宅に帰って、そう告げた。憎まれ口を言わず、じっと聴いてくれた。=敬称略(桝井政則)


合掌。