AKB48の旅

AKB48の旅

村山泰弘著「AKB48の透視図」

2014年07月29日 | AKB
実は一気読みで、短時間で読了してしまった。と言うのも、この本の内容は、本ブログで私が述べて来たことと大枠で近似してると言えると思うんで、内容的にはさくさく理解できてしまった面がある。けれども同時に、読んでる間も、読み終わってからも、ちょっとした違和感というか不思議な感触が残る。そこら辺を詳説しても良いんだけど、なんか躊躇してしまう。

「AKB48の透視図」という本の具体的な内容としては、主に「AKB48ヒストリー研究生公式教本」に準拠する形で、これに「金スマ新春スペシャル AKB48の波瀾万丈」とかその後の要素を加えたものが骨子になってるように思うんだけど、とりわけ初期チームAとチームKの確執、そして当時のヲタさんの描き方が直截で具体的になってるのが、とても印象に残る。まるで著者の村山氏自らがリアルのヲタさんなのかと思わされるくらいなんだけど、ググってみてもプロフィールとかよく分からないな。

このあたりの濃密なAKBの内部物語要素はリアル度が高いものと感じられ、多くの引用とともに正確に活写されてると思われる一方で、全体としてのAKB物語の俯瞰像は、ほぼ「オフィシャル設定」サイドに準拠するという、フィクション度の高い描き方になってるのが、なんとも奇妙なものに感じられる。確かにそういう軸でのリアルヴァーチャル連続体という視点はありかも知れないけど、私的には馴染みがたいかな。

かと思うと「唯物論に基づく西洋思想」と「インド思想」という対立軸が唐突にはめ込まれてきて、まあ言わんとすることは分からんでもないけど、やはり私的に、ここに持ってくるべきは「キリスト教に基づく西洋思想」と「仏教思想」の方ではないかと思うし、そこは既述の通りなんで繰り返さない。

「躊躇」を少しだけ踏み越えて言い切ってしまうなら、AKBという現象の事実関係がほぼ共通認識になってて、そこから導き出される意味や価値といったレイヤにも共通点があるのに、その間を繋ぐ議論の形が違ってしまってるという、著者と私の認識の微妙とは言いがたい差異が、隔靴掻痒のごとき居心地悪さを醸し出してるという理解になるんだろう。

AKBGという同一のデータベースを前にして、しかもここは同一度が極めて高いだけに、感動と共感を共有できるはずだし、実際に読んでて出来得ると思わされるのに、まったく異なった思想背景と微妙に異なったストーリーという、ある意味些末な部分が邪魔する感じとでも表現すれば良いんだろうか。もうちょっと違ったアプローチも可能なんだけど、なんか言葉に詰まってしまう。