三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ぼくの家族と祖国の戦争」

2024年08月21日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ぼくの家族と祖国の戦争」を観た。
映画『ぼくの家族と祖国の戦争』公式サイト

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2024年8月よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて全国公開『ぼくの家族と祖国の戦争』公式サイト。本国アカデミー賞観客賞ほか5部門ノミネート!第二次...

映画『ぼくの家族と祖国の戦争』公式サイト

 おそらくだが、世の中の多くの人々は、戦争など願っていない。にもかかわらず、戦争はなくならない。その理由のひとつを、本作品がリアリティたっぷりに描く。

 組織や共同体というのは、今も昔もおしなべて帰属意識を生む。学校や企業であれば、他の組織と競争になっても、武力で解決することはない。ところが国家という共同体になると、紛争がエスカレートすると、武力で解決することになる。ひとたび戦争になると、敵を憎み、自国を応援するようになる。愛国心というやつだ。腹黒い政治指導者の中には、わざと国際紛争を起こして愛国心を煽り、自分の立場を守ろうとする者もいる。軍国主義者である。日本の政治家の中にもたくさんいる。愚かな国民は、国家主義に熱狂し、指導者を支持する。「がんばれニッポン」と同じ精神性だ。

 本作品に登場するデンマークの市井の人々も、ドイツ人難民も、同じ精神性の持ち主である。共同体同士の紛争なのに、個人も共同体にカテゴライズして、ひとまとめに敵愾心を燃やす。ここで大事なのは、それがいじめっ子の精神性と同じだということだ。暴力が関係性を支配する。

 父親と母親と息子。国旗を掲揚するシーンからのスタートは、この親子も、共同体のパラダイムの例外ではないことを示唆している。ところが、父親が学長をしている学校が、ドイツ人難民を受け入れたことをきっかけに、親子それぞれの考え方や、立場がくるくると変化する。それが本作品の見どころと言っていい。
 国家主義の狂信者に何も言い返さない父親を見て、息子はがっかりするが、後に父親が正しかったことに気づく。狂信者に言い返しても、説得は不可能だ。逆上させる可能性もある。暴力よりも話し合いを優先しなければならないが、話しても無駄なときもある。かといって暴力にエスカレートするのは愚かだ。
 そういうときは、ペンディングが一番である。しばらく棚上げにしておくのだ。問題が発生したら、再び話し合えばいい。そういえば、日中国交回復の際に、田中角栄と周恩来は、尖閣諸島の領有権問題はそっとしておくことで合意した。だから日中関係は、しばらく良好だった。石原慎太郎という国家主義者が蒸し返すまでは。考えてみれば、国際紛争を引き起こすのは、いつも国家主義者である。
 人道主義は平和主義、国家主義は軍国主義に直結する。いまの世の中はキナ臭くなって、国家主義が蔓延しようとしている。この映画が製作された動機は、そのあたりにあると思う。国家主義は、弱い人を助けない。石原慎太郎を都知事選挙で4回も圧勝させた東京都の有権者は、いじめっ子の精神性の持ち主なのだろう。

 さて、母親の人道主義から始まり、父親の保身、いじめっ子からいじめられる側になってしまった息子の三者三様の考え方と立場の違いは、世の中が国家主義と人道主義に二分され、国家主義が優勢であることが明白になっていく。それを日常のシーンで描き出すところが上手い。特に息子が、迷いに迷った結果、他人を救う決心をして父親と対峙するシーンは、本作品のハイライトだ。人を助けたいという少年の真っ直ぐな心には、誰もが感動するだろう。少年は強くなったのだ。