三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「傲慢と善良」

2024年09月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「傲慢と善良」を観た。
映画『傲慢と善良』公式サイト

映画『傲慢と善良』公式サイト

辻村深月原作 2023年最大のベストセラー小説、映画化

映画『傲慢と善良』公式サイト

 人間関係は、本音を曝け出さないと深まらないが、本音というのは、なかなか言いにくいものである。そもそも人間は他人に対して自分を飾ろうとする。そうしている間は、上辺だけの付き合いで、相手の本性を知ることが出来ない。
 多くのカップルは、本音を言い合わないまま、相手に対して自分を飾ったままで結婚に至る。結婚生活はシビアな現実を突きつけられるから、否応なしに本音が出る。そこで相手の本性を初めて知る。すると、関係が深まる場合もあるが、相手を受け入れ難くなって離婚に至ることもある。多くの人が辿る恋愛と結婚、それに離婚の代表的なプロセスである。
 
 本作品はそのプロセスを前半と後半に分けて描いてみせた。前半のハイライトは、付き合って1年後にレストランでジュエリーケースを受け取るシーンである。期待と落胆があり、気持ちを隠そうとする微笑があった。奈緒の演技力が光る。
 後半のハイライトは、枯れそうになっていた木が元気になり、ぽっと花を咲かせるシーンである。その瞬間、ヒロインの心にも花が咲いたことが分かる。花は自分を飾ることはない。花の生命そのものが美しいのだ。やはり奈緒の演技が光る。
 
 あなたのためよと言って娘を束縛するパターナリズムの母親を、宮崎美子がびっくりするくらい上手く演じていた。上品で優しい母親の役が多かったが、こういう悪役もできる訳だ。おかげで、娘の人格がどうやって作られたのか、手に取るように分かった。嫌味な女友達二人も典型的で、トリックスターの役割をきちんと果たしていた。
 奈緒を筆頭に、女優陣の演技がとてもよかったと思う。翻弄される役の藤ヶ谷くんは、序盤から中盤にかけてやや表情に乏しかったが、終盤の表情は優しさがあって、本作品にあたたかみをもたらしていた。

映画「Cloud クラウド」

2024年09月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Cloud クラウド」を観た。
映画『Cloud クラウド』公式サイト

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映画『Cloud クラウド』公式サイト。絶賛上映中。

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「リア充」という言葉があるそうだ。ネット上ではなくて実生活が精神的に充実していることを言うらしい。普通に「幸せ」という言葉を使ってもよさそうだが、ネット民の用語らしく、ネットの中にも幸せがあることの対比として生み出した言葉なのだろう。

 そうはいっても、ネット上の幸せは、結局は自分の思い込みに過ぎない。現実の充足に比べれば、哀れで儚い幸せなのだ。いいねがたくさん付いて喜んでいる人も、それだけで腹が一杯になる訳もなく、最後はアフィリエイトの収入増を望む。
 本作品はネットを通じてリア充を図る者たちの被害妄想と憎悪を描くのだが、それだけでは退屈だなと思っていたら、後半になって目を瞠る展開が待っていた。面食らいながらもワクワクして鑑賞できた。
 菅田将暉はいつもどおり見事だったが、正体不明のアルバイト佐野くんを演じた奥平大兼も、これまでの作品よりも存在感を増していた。古川琴音も、いつもの嫌味たっぷりな馬鹿女を上手に演じていて、申し訳ないけれども、ラストシーンにはスカッとした。
 かなり楽しめる作品に仕上がっていると思う。次は佐野くんが主役の続編を観てみたい。

映画「憐れみの3章」

2024年09月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「憐れみの3章」を観た。
https://www.searchlightpictures.jp/movies/kindsofkindness

 正義の味方には理解できない作品だと思う。ここで言う正義の味方とは、パラダイムに精神を蹂躙されていることに気づかないまま、そのパラダイムで他人を非難したり排除したり、場合によっては迫害する、愚かな人々のことである。戦前の自警団や愛国婦人会の人々などがその代表だ。現在でもパラダイムに寄りかかって、ネットで他人を叩く人々がいる。そういう単純な精神性の人々にとっては、本作品で表現された人間のありようは、おそらく理解の外にあるだろう。

 本作品を端的に言えば、支配とセックス、それに死だ。人間は他人を支配しようとする一方で、支配されることを好む。矛盾した存在なのだ。「哀れなるものたち」のランティモス監督とエマ・ストーン、ウィレム・デフォーのトリオは健在で、究極の演技力で、矛盾を孕んだまま生きている人間の赤裸々な本性を描き出してみせた。見事の一言である。

 それにしても「ラ・ラ・ランド」で上手な踊りを披露したエマ・ストーンが、微妙にリズムのずれたぎこちない踊りをやってのけたのは、ある意味でケッサクだった。喜びも悲しみも、すべてひっくるめて滑稽な、人間という存在の本質を示した踊りだったのかもしれない。

映画「パリのちいさなオーケストラ」

2024年09月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「パリのちいさなオーケストラ」を観た。
映画『パリのちいさなオーケストラ』公式サイト

映画『パリのちいさなオーケストラ』公式サイト

パリの名門音楽院へ編入を認められた少女が、世界中で6%しかいない女性指揮者への夢に挑む 9/20(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテほか全国順次公開

映画『パリのちいさなオーケストラ』公式サイト

 久保田早紀の有名な歌「異邦人」に、次の歌詞がある。

 祈りの声、蹄の音、歌うようなざわめき、私を置き去りに過ぎてゆく白い朝

 もともとこの歌のタイトルは「白い朝」だったという話を聞いたことがある。しかしインパクトに欠けるので「ちょっと振り向いて見ただけの異邦人」という歌詞から「異邦人」にしたそうだ。サブタイトルの「シルクロードのテーマ」に合わせて、歌詞も改変されたという話を聞いている。
 ピックアップした歌詞は、石畳で微かに砂埃が舞っている市場みたいで、アラブの国のどこかの街の様子を描写したものだろう。この歌詞に注目したのは、声、音、歌という、耳に入ってくる情報が、情緒を引き起こすところだ。

 そこで本作品だが、主人公のザイアが街を歩くと、街の音がリズムやメロディとして聞こえてくるシーンがいくつもある。ベートーヴェンのように、音楽がすべてだとは思わないが、音はすべて音楽だとは思う。ドボルザークの「新世界より」の冒頭がその典型で、力強く走り出す機関車が誰でもイメージできる音だ。
 心の奥に残っている最初の風景のことを「原風景」というが、音楽についても「原音楽」とでも言うべき音が、心に残っていると思う。音楽家それぞれに「原音楽」があり、そこから演奏者や指揮者の個性が生まれる。
 ザイアはアラブ系のフランス人だから、もしかしたら生まれた土地や両親が口ずさむ歌が「原音楽」になっているかもしれない。だからザイアを教えた指揮者は、アラブ語で話しかけてみたのだろう。実に興味深いシーンだった。

 最初もボレロで、最後もボレロ。盛り上がる曲だから、使われるのも当然だが、ちょっとボレロに頼りすぎた面もある。17歳のザイアの冒険の顛末は、ラストシーンの実際のザイア・ジウアニの紹介で説明される。幼い頃から音楽教育を受けた人は、こと音楽に関しては、独立心や冒険心を持っているのかもしれない。自分で道を切り開いた見事な生き方だ。

映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」

2024年09月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ぼくが生きてる、ふたつの世界」を観た。
映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』公式サイト

映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』公式サイト

監督:呉美保 『そこのみて光輝く』 × 主演:吉沢亮 2024年全国ロードショー

映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』公式サイト

 以前、駅のホームで白い杖をついて一番前で待っている女性がいて、駅の警備員が手を引いて案内しようとしていたのを、やめてくださいと強く拒否している光景を見たことがある。
 当然だと思った。警備員は制服を着ているから、目が見える人にはすぐに鉄道の警備員だと分かるが、目が見えない彼女にとっては、見ず知らずのおじさんから突然腕を掴まれた訳で、拒絶するのが自然である。それに、もし鉄道の関係者だと分かっていても、彼女は杖でホームの一番前であることを自分で確認して立っている訳で、案内など不要だし、目が見えない人が先頭に立っているのは危険だと思うのは、目が見える人の驕りにほかならない。
 耳は聞こえるのだから、警備員はいきなり腕を掴んだりせず、自分の身分と名前を名乗って、それから手助けや案内が必要かどうかを聞くべきだった。しかしそれも実は大きなお世話で、目が見えるという自分の優位性で接するのは、目が見えない人の人格を軽んじていることにもなる。だから当方は、彼女の後ろに立っていたが、余計なことはしなかった。万が一、電車が止まる前に近づこうとしたときだけ、まだですよと教えてあげればよい。

 本作品は、聾者の両親の間に生まれた健聴者の男の子の話である。そういう子供のことを「コーダ」と呼ぶのは、アカデミー賞を受賞した映画「コーダあいのうた」で初めて知った。本作品の聾者にも、前述のエピソードと同じことが言えると思う。
 聞こえる人が、聞こえない人のことを軽んじたり、エラそうに教えたりするのは、よくないことだ。本人が自分でできることを代わりにやってあげようとするのは、子供を手助けしようとして子供から叱られる親に似ている。子供の人格を軽んじているから、手を出してしまうのだ。そっと見守るのが筋である。

 コーダの主人公は歌がうまくて、歌で生きていきたいと考え、彼女の家族は全力でそれを応援する。本作品の主人公長谷川大は、これといった才能もなく、やりたいこともないが、それでも母は息子を全力で応援する。どこまでも息子を許し、どこまでも息子の幸せを願う。母親の明子を演じた忍足亜希子が素晴らしくて、とても感動した。長谷川大を演じた吉沢亮も見事。母の愛を実感するラストシーンが本作品の山場だと思う。

 ハンディキャップは病気ではない。だから可哀想ではない。そこを理解して、尚且つハンディキャップのある人を、できる範囲でさり気なく助ける。そういう時代でなければいけない。ハンディキャップのある人は、軽んじられることに非常に敏感なのだ。
 本作品では、そこかしこに無音のシーンがあって、聞こえないとはどういうことかを実感する。演出もよかった。

映画「あの人が消えた」

2024年09月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「あの人が消えた」を観た。
映画『あの人が消えた』公式サイト

映画『あの人が消えた』公式サイト

配達員だけが知っている事件がある。「ブラッシュアップライフ」水野格監督が挑む、”先読み不可能”ミステリー・エンタテインメント 大ヒット上映中!

映画『あの人が消えた』公式サイト

 それなりに考えられたスリラーだと思う。高橋文哉の丸子は、通常の配達員だったらそこまで踏み込まないだろうと思う程度に、ややオタク気味だ。漫画好きが作者に執着するように、ネット小説の作者に執着する。
 ひとつのマンションで物語が完結するのだが、訪れるたびに情報が変化していくところがいい。北香菜のネット小説家小宮千尋を守りたい一心の丸子が、他の部屋の様子を窺ったり、話を聞いたりすることで、徐々に真相に迫っていくように見える。
 迫っていくのではなく、迫っていくように見えるのである。終盤の北香那の語る真相は、流石に小説家で、想像がどこまでも膨らんで、まさかと感じつつも、もしかしたらそんなこともあるのかもと思わせる。話に合わせたシーンが連続するところが、本作品の見せ場かもしれない。
 序盤で小宮千尋の小説のキーワードが披露されるが、それがそのまま本作品の真相のキーワードとして回収されるところも、よくできている。
 複雑なテーマや重い問題提起がなく、サクッと楽しく鑑賞できる、軽い作品である。ヒマな時間にピッタリだと思う。

映画「ソング・オブ・アース」

2024年09月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ソング・オブ・アース」を観た。
映画『SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース』絶賛公開中

映画『SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース』絶賛公開中

映画『SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース』絶賛公開中

 ノルウェー王国の人口は日本の20分の1程度で、面積は日本より少し小さい程度だから、ひとり当たりの土地の面積がとても広い。国のイメージとしては、フィヨルド海岸と雪深い山々である。北の方はフィンランドよりも北極に近いから、オーロラも見えるだろう。

 本作品では、ノルウェーの風光明媚な土地を、北欧人らしく長身碧眼の老人が元気に闊歩する様子が描かれている。似合う音楽は、やはりクラシックだ。自然の摂理の通り、あらゆるものは諸行無常に移り変わる。
 フィヨルドは山からの恵みを受け、沢山の魚が生息している。フィヨルドでの釣りは、とても楽しいに違いない。釣れた魚との一期一会を楽しむ。または山歩きの一歩一歩の一期一会を楽しむ。すべてが二度とこない時間の邂逅である。

 こういう体験ができなくなるのはとても悲しい。人間は自分たちの快適さのために、地球を破壊しつつある。人類もいつか絶滅する日が来るのだろうが、それが武力によるものであったら、人類最後の日を人類史上最大の愚かさで迎えることになる。
 政治家は自分の愚かさに気づかず、有権者は愚かな政治家に投票する。生活や通信が便利になったら、逆に人間が愚かになってしまった。そう思わせる作品であった。

映画「ヒットマン」

2024年09月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ヒットマン」を観た。
映画『ヒットマン』オフィシャルサイト

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世界中で大絶賛! 出演:グレン・パウエル/アドリア・アルホナ/オースティン・アメリオ/レタ/サンジャイ・ラオ/原題:Hit Man

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 なんともご都合主義で、しかもかなり端折ったストーリー展開だが、大人のラブコメ作品としては悪くない。
 科学捜査の時代に旧態依然としたおとり捜査をやっているのも無理があるが、なにせ三十年前の実話を現代で再現しようとしたのだから、時代錯誤の力業はどうしても必要になる。
 主役のグレン・パウエルは見事だったが、相手役のアドリア・アルホナがややパッとしなかった。能天気の低能に見えてしまうのだ。もう少し悲壮感や焦燥感のある演技でないと、真に迫ってこない。それに、彼女のファンには申し訳ないが、あまり可愛くも美しくもなかった。大学教授が好きになる女性としては、知性も足りない。
 人間が他人を性的に求めるときに、哲学や論理学は関係ないかもしれないし、大学の講義でもそんな内容の言葉が出ていたが、基本的に、人は尊敬できる人を好きになるものだ。単にワンナイトを求める相手は、結婚相手にはならない。

 哲学の講義内容は浅かったが、自分の概念を問い直すなど、それなりに形はできていた。笑えるところもあったし、それなりに楽しめたと思う。一番よかったのは、悪役?の刑事で、序盤の段階から、最後はこいつが始末されて終わりになるのだろうという展開が読めた。そう思わせるだけの演技だった訳で、演じたオースティン・アメリオが本作品で最も輝いていた気がする。

映画「シサㇺ」

2024年09月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「シサㇺ」を観た。
映画『シサム』大ヒット上映中 公式

映画『シサム』大ヒット上映中 公式

映画『シサム』大ヒット上映中 公式

 まず、映像の美しさに息を呑む。ドローンも含めたカメラワークが素晴らしい。登場人物の動きや表情が、とてもダイナミックに描かれる。

 江戸時代の武士にとって、北海道は征すべき土地であり、アイヌを蝦夷と呼んでカテゴライズし、原住民として蔑む。一方のアイヌも、勝手にやってきた武士たちを和人と呼んでカテゴライズする。そこには個人を個別に評価する姿勢が決定的に欠けている。
 個人を見ないで、集団として一方的にこうだと決めつけるのは、国家主義の思想だ。一部の外国人の行ないを見て、外国人はマナーが悪いと決めつけたり、逆に一部の日本人を見て、日本人は礼儀正しいと決めつけたりする。自分の国を美しい国と讃えるのも、カテゴライズの一種であり、やはり国家主義者の思想である。

 本作品は、相手をカテゴライズした者同士の争いに巻き込まれた主人公孝二郎が、これまで刷り込まれてきた武士道の精神が、実は役人の隷属精神であることに気づいて、変化していく様子を描く。平和とは何か、戦争とは何か。兄の無念を晴らすことより、大事なことがある。演じた寛一郎は見事だった。
 アイヌの村長(むらおさ)を演じた平野貴大の演技も、迫力満点だ。原始共産制の平和な暮らしを営み、歌と踊りを娯楽とする小さな集団は、カムイから預かった自然の恩恵によって生活を維持している。コタンごとに政(まつりごと)があり、他のコタンの政には口を出さない。
 松前藩の小隊が迫ってきても、村長は少しも動じず、誰にも迷惑をかけずに暮らしている我々が、どうして逃げる必要があるのだ?と、孝二郎に迫る場面には、アイヌ(人間)としての尊厳をかけた覚悟があった。本作品の白眉である。

 中島みゆきが朗々と歌い上げる主題歌「一期一会」は、思わず聞き惚れてしまう名曲で、エンドロールが心地よかった。
 本作品は、戦争がどれほど無辜の人間を蹂躙してしまうのかを端的に表現している。戦争や紛争が多発して、先進国でも国家主義の右翼が政治勢力を増長させている国際情勢が、第三次世界大戦の予兆を感じさせるいままさに、観るべき作品だと思う。人生は一期一会なのだ。戦争で壊されるべきではない。

映画「スオミの話をしよう」

2024年09月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「スオミの話をしよう」を観た。
映画『スオミの話をしよう』公式サイト

映画『スオミの話をしよう』公式サイト

脚本・監督 三谷幸喜 5年ぶり待望の最新作にして最高傑作!主演長澤まさみと贈る、三谷ワールド全開のミステリー・コメディ!〈大ヒット上映中!〉『スオミの話をしよう』

映画『スオミの話をしよう』公式サイト

 三谷ワールド全開の愉快なコメディである。スオミという正体不明の女に執着する5人の夫たちの相関関係も面白いし、それぞれの力関係がどんどん変化するダイナミックな演出もいい。

 自論で恐縮だが、ほとんどの人間は一生、本当の自分をさらけ出さない。むしろ悟られないように隠していると言ってもいい。
 本作品の登場人物は皆、うわべを取り繕って、言葉を選び、行動を選ぶ。しかしスオミという共通の対象については、負けたくない気持ちを隠さない。ところどころで本心が見え隠れするところが、本作品の見どころで、笑いどころでもある。
 IT関連で少し儲けているはずの松坂桃李の十勝が「イケメン」ではなく「二枚目」という言葉を使うのも面白い。つまり夫たちの心は、いまだ昭和の浪花節なのだ。