映画「箱男」を観た。
安部公房の小説は「砂の女」と「箱男」を読んだ記憶があるが、内容は忘れてしまった。ただ、とにかくシュールだったことだけは覚えている。本作品もきっとシュールな映画なんだろうと予想しながら鑑賞した。
とは言っても、生身の俳優が演じるのだから、日常的で現実的になるのはやむを得ないだろうと想定していた。ところが豈図らんや、シュールでぶっ飛んだ作品になっていて、とても感心した。永瀬正敏をはじめとする名優たちの怪演で、見たこともない世界が展開する。
相対性理論では事象を計測する視点として、観測者という言葉を用いる。観測者は宇宙のどこにでも存在でき、質量と速度を計測して、記述する。神の視点と言ってもいい。
箱男の場合は、観測者ではなく観察者だ。他人から気づかれない箱の中に入って、世の中の細部を観察し、記述する。記述した内容が現実世界に影響を与える。箱男も、ある種の神の視点と言っていいだろう。
箱男は、安全圏から他人を観察して好き勝手なことを言う。相手構わず批判したり、想像を巡らせて、次の展開を記述したりする。箱に入っていれば安全だと思っているが、どうやらそれは幻想に過ぎないらしく、箱ごと攻撃される場合もある。
箱男が世界中の男女に蔓延した状況を考えると、そのまま現代のSNSの匿名性みたいだ。本人は安全だと思っていても、実はそうでないところもSNSと同じである。安部公房は、世界中の誰もが、見えない箱をかぶって現実世界から身を隠し、自分で安全だと勘違いした場所から、やりたい放題をしていると想定した訳だ。その先見の明には脱帽するしかない。リアリズムよりも更に世の中を穿つ、シュールレアリズムの作家としての面目躍如だと思う。