座骨神経痛を患っていると、たとえば電車に乗るとき、腰が痛くて踏ん張りが利かないので、後ろから押されると押されるがままになってしまいます。朝の二子玉川駅は田園都市線のホームに人が溢れて警備員が身体を張って整理するほどですが、そんな状況では座骨神経痛でなくても前の人を押してしまいます。押したくなくても押してしまうのです。後ろから押されるので仕方がないとはいえ、直接押しているのは私ですし、私がその場にいなければ押すこともなかった訳で、やはり申し訳ない気持ちになるので「すみません」と言います。たいていの人はそういう状況がわかっているので私の「すみません」に対して特に何の反応もしないか、僅かに頷いて見せる程度です。私自身もそういうときは同じ反応をします。「いいえ、いいえ、大丈夫です。こういうときはお互い様ですから」と大きな声で言うのもわざとらしい気がしますし、やはり黙って頷くくらいが適当でしょう。
しかし中には心の狭い人もいます。先日、いつも以上に混雑した二子玉川駅で、いつも以上に後ろから強く押されたため、いつも以上に前の人を強く押してしまいました。前にいたのはカーキ色の作業服風のジャケットを着た大柄な中年男性で、体格だけで言えばどっしりと安定感のある人でした。ドドーッという感じで後ろから押されて否応なしに前にいたその男性を押してしまったのですが、男性が何度も後ろを振り向いて、私がわざと押していると思っている様子だったので、勢いが一段落したときに「すみません」と謝りました。普通ならそれに対して頷いて終わりの筈です。
ところが男性は大柄でどっしりとした外見に反して、小さくて不安定な心の持ち主らしく、振り向きざまに左腕で私の肩をググーッと強く押しました。叩いた訳ではなく押したのですが、すごい力でした。周りの人もびっくりしていました。腕の長さ一杯に約50センチほど押され、踏ん張りが利かない私は、押されるがままに上半身が後ろに反る格好になって、その格好が一番神経痛に響くものですから、悲鳴を上げるほどではなかったものの、痛みに顔が歪みました。男性はそれを見て満足したのか、さらに何かしてくることもなく、次の用賀で降りていきました。
顔からすると50代前半といったところで、50歳と言えば孔子の論語では知天命です。一般人に孔子の精神性を求めるわけではありませんが、大の男がちょっと押されたくらいで、しかもそれがわざとではないことがわかっているのに、相手を押し返すというのは、人間が小さすぎるのではないでしょうか。精神年齢で言うと、幼稚園児並みということになると思います。何十年も人間をやっているのだから、もう少しおおらかさというか寛容さというか、いわゆる人間としてのスケールの大きさがあってもよさそうなものです。
格差社会の賜物なのか、それとも昔からそうなのか、日本人は不寛容で狭量でスケールの小さな人間ばかりだという気がします。