三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

スケールの小さな人たち、スケールの小さな国

2007年12月28日 | 政治・社会・会社

座骨神経痛を患っていると、たとえば電車に乗るとき、腰が痛くて踏ん張りが利かないので、後ろから押されると押されるがままになってしまいます。朝の二子玉川駅は田園都市線のホームに人が溢れて警備員が身体を張って整理するほどですが、そんな状況では座骨神経痛でなくても前の人を押してしまいます。押したくなくても押してしまうのです。後ろから押されるので仕方がないとはいえ、直接押しているのは私ですし、私がその場にいなければ押すこともなかった訳で、やはり申し訳ない気持ちになるので「すみません」と言います。たいていの人はそういう状況がわかっているので私の「すみません」に対して特に何の反応もしないか、僅かに頷いて見せる程度です。私自身もそういうときは同じ反応をします。「いいえ、いいえ、大丈夫です。こういうときはお互い様ですから」と大きな声で言うのもわざとらしい気がしますし、やはり黙って頷くくらいが適当でしょう。

しかし中には心の狭い人もいます。先日、いつも以上に混雑した二子玉川駅で、いつも以上に後ろから強く押されたため、いつも以上に前の人を強く押してしまいました。前にいたのはカーキ色の作業服風のジャケットを着た大柄な中年男性で、体格だけで言えばどっしりと安定感のある人でした。ドドーッという感じで後ろから押されて否応なしに前にいたその男性を押してしまったのですが、男性が何度も後ろを振り向いて、私がわざと押していると思っている様子だったので、勢いが一段落したときに「すみません」と謝りました。普通ならそれに対して頷いて終わりの筈です。
ところが男性は大柄でどっしりとした外見に反して、小さくて不安定な心の持ち主らしく、振り向きざまに左腕で私の肩をググーッと強く押しました。叩いた訳ではなく押したのですが、すごい力でした。周りの人もびっくりしていました。腕の長さ一杯に約50センチほど押され、踏ん張りが利かない私は、押されるがままに上半身が後ろに反る格好になって、その格好が一番神経痛に響くものですから、悲鳴を上げるほどではなかったものの、痛みに顔が歪みました。男性はそれを見て満足したのか、さらに何かしてくることもなく、次の用賀で降りていきました。
顔からすると50代前半といったところで、50歳と言えば孔子の論語では知天命です。一般人に孔子の精神性を求めるわけではありませんが、大の男がちょっと押されたくらいで、しかもそれがわざとではないことがわかっているのに、相手を押し返すというのは、人間が小さすぎるのではないでしょうか。精神年齢で言うと、幼稚園児並みということになると思います。何十年も人間をやっているのだから、もう少しおおらかさというか寛容さというか、いわゆる人間としてのスケールの大きさがあってもよさそうなものです。
格差社会の賜物なのか、それとも昔からそうなのか、日本人は不寛容で狭量でスケールの小さな人間ばかりだという気がします。


有馬記念~今年もドリームパスポート

2007年12月23日 | 競馬
有馬記念です。
前走1000万で5着のレゴラスは一体何故出てきたのか不明ですが、それ以外はそれなりのメンバーです。ウオッカダイワスカーレットの3歳牝馬2頭の取捨が問題ですし、キャリア5戦で菊花賞1番人気、それも騎手がもう少しうまく乗っていたら勝っていたかもしれないロックドゥカンブや距離が微妙に気になるダイワメジャー、もしかしたら走ってしまうかもしれないインティライミなんかもいますが、ここは例年通り4歳牡馬中心と見ます。普通なら武豊メイショウサムソンからというのが王道なんでしょうが、地脚が売りのサムソンはもしかしたらハイペースで末が甘くなる可能性もあると見て、人気薄のドリームパスポートから。高田潤騎手が久々の手綱で大仕事をやってのけるかもしれません。

◎ドリームパスポート
〇メイショウサムソン
▲マツリダゴッホ
△ウオッカ
△ポップロック

怖いのはやはりキネーンとデムーロの両外国人騎手、それにアンカツが乗るダイワスカーレットですが、どうも展開的に先行争いが厳しくなってまとめて馬群に沈みそうな気がするので思い切って切りました。ドリームパスポートから3連単をマルチで。穴馬マツリダゴッホから馬連を買ってみます。


不寛容でヒステリック

2007年12月18日 | 政治・社会・会社

毎日会社で苦情処理をしていますが、このところ気のせいか日に日に苦情の度合がヒステリックになってきているように感じます。

最低だった。
最悪だった。
最低最悪だった。
自分は客である。
自分は被害者である。
自分には何の落度もない。
責任はすべてそちらにある。
納得のいく説明をしろ。
そちらには説明をする義務がある。
何月何日までに説明しろ。
納得がいかない場合は訴える。

気持ちは分かりますが、もう少し精確な言葉を使ったらどうでしょうか。「最低」だとか「最悪」だとかは本来、ひとつのグループの中で最も劣っている要素を言う言い方で、「森内閣の支持率はこれまで支持率調査を行った内閣の中で最低だった」や「ブッシュJr.は歴代で最悪の大統領だ」という使い方が正しい使い方です。また、客であるというだけで、どこまでも要求できる訳ではありません。説明を求めるのは構いませんが、期限を区切るのは相手に負担を強いることになり、強要罪が適用される場合があります。「訴える」というのも、安易に使ってはいけない言葉です。「訴える」と言って、間もなく実際に訴えるのであれば問題ないのですが、実際に訴えるのではなく、何かを要求して、さもなくば「訴える」という使い方をすると、間違いなく脅迫行為に該当します。

飲食店の苦情の中には次のようなものもあります。

最低だった。
最悪だった。
最低最悪だった。
自分は客である。
そちらの商品を食べて体を壊した。
自分は被害者である。
そちらは加害者である。
ついては治療費、交通費、慰謝料を払ってもらいたい。
ついでに料金も返金して欲しい。
さもなければ、保健所に報告する。
マスコミにも言う。
場合によっては訴える。

最近はウィルス性の感染性胃腸炎が流行しているようで、一次感染はたいてい二枚貝から、二次感染はウィルス保菌者からの感染です。発症した人の原因が一次感染なのか二次感染なのかは判定が難しく、二次感染が一次感染に比べて少ないとは限りません。しかし多くの人は二次感染を意識せず、一次感染だけを考えます。そしてたいていの場合、最後に食べたもののせいにしがちで、それが外食なら尚更です。
感染性胃腸炎は文字通りウィルスに感染することで発症するもので、たとえばノロウィルスであれば12時間から72時間の潜伏期間があります。だからランチを食べて夕方に吐気や下痢の症状が出たのであれば、そのランチで感染したのではなく、朝食か前日の夕食か、またはそれ以前に食べたものが原因であるか、あるいは食べ物ではなく、たとえば感染した人の吐瀉物が乾燥して空気中に漂っているのを吸い込んだといった二次感染であるかのいずれかです。また、病院で食中毒と診断した医師は、24時間以内に保健所に通告しなければならず、通告を受けた保健所は直ちに当該の事業所を検査しなければなりません。だから医者に罹れば食中毒かどうかはっきりしますし、食中毒の場合は自動的に保健所に通告してもらえる訳で、飲食店としては是非医者に行ってもらいたいのですが、思い込みの激しい人は一度あのランチのせいだと決めつけてしまうと、どんなに説明しても納得することはありません。そして厄介なことに苦情を言い立ててくる人のほとんどが、そういう思い込みの激しい人たちなのです。自分が食中毒やウィルスに関する正しい知識を持っていないことを素直に認めて苦情を撤回する人など、先ずいません。逆に言えば、思い込みが激しいからこそわざわざ苦情を言ってくるのです。誰しも、自分が100パーセント正しいと思っていなければ、苦情なんて言えるものではありません。中には確信がなくても連絡をしてくる人もいますが、そういう人は他にも似たような症状が出た客がないかどうか確認するために連絡してくるもので、苦情とは少し違います。また、嘔吐や下痢の症状の他に治療費だの休業補償だの交通費だのといきなり請求してくる人もいます。これまでの経験ではそういう場合、ほとんどが詐欺まがいの不当要求でした。そういう不当要求に対しては、毅然とした態度で応対することで、必ず撃退できます。
厄介なのは、何も要求するでもなく、ただ言葉遣いが悪かったとか、それが客に対する態度かとか、客商売のこちらが逆らえない理屈を延々と言い続ける人たちです。ただ怒りたいだけ、ただストレスを発散したいだけ、傷ついたちっぽけなプライドのために報復したいだけという、極めて不寛容な人たちです。どうしてこれほど不寛容な人々が増えたのでしょうか。何でも訴訟の不寛容の国、アメリカの真似なのでしょうか。
自民党によるアメリカ追従の政治が生んだ格差は、経済的に貧しい人々を大量生産しただけでなく、他人を許すことのできない、心の貧しい人々も大量に生み出してしまったような気がします。デパートで年間数百万円も買い物をする高額所得者が、高校生のアルバイトの言葉遣いが悪いことを延々と言い立ててきたりします。社長名で謝罪文を出せとまで要求してきます。お金持ちだからといって、寛容とは限らないのです。貧しい人もお金持ちも、押しなべて心が貧しい国、日本はそんな国になってしまいました。


エイシンドーバーから~阪神カップ

2007年12月16日 | 競馬
阪神カップです。かなりの混戦で予想が難しいメンバーですが、先週の競馬を休んだので今週は少しだけ買ってみようかなと思っています。格なのか調子なのか微妙なところですが、重賞の実績から4頭、それに調子のよさから1頭。

◎7番エイシンドーバー
相手は
10番プリサイスマシーン
12番フサイチリシャール
16番ブルーメンブラット
17番スズカフェニックス

本命のエイシンドーバーを軸1頭で3連単のマルチ馬券を買います。


東京オリンピックに反対する

2007年12月08日 | 政治・社会・会社

エベレストでゴミ拾いをしたことで有名な野口健さんが東京オリンピックの誘致を正当化するようなテレビコマーシャルに出演しています。かつて環境問題について真っ当なことを言っていた筈ですが、一体どうしてしまったのでしょうか?
「自分で自分を褒めてあげたい」という発言で有名な有森裕子さんが、やはり同じテレビコマーシャルに出演しています。一体どうしてしまったのでしょうか?

オリンピックはその成立の過程から、代理戦争の意味合いが強く、平和時に必要のないイベントです。それがずっと続いてきたのは、世界が平和であったためしがなかったからなんですね。スポーツは優劣を決するもので、平和の概念と相反します。フーリガンと呼ばれるサッカーファンの様子を見れば明らかな通り、闘争本能を代替体験として満足させるものがスポーツです。人を殺す代わりにゲームをするようなものですね。人類がもう少し理性的で、争いを好まない生物であったら、スポーツは必要のないものです。人間という生き物のレベルが低いから、スポーツなんてものが必要なわけです。その最大イベントとして続いているのがオリンピックである訳で、現代ではそこに商業主義の利権が絡んで、オオカミやハイエナ、ハゲタカのような連中が寄ってたかって食い物にするイベントに成り下がってしまいました。

東京でオリンピックをやれば巨額のお金が日本の関連企業に入るというのは、中学生でもわかる理屈です。そのお金の出所が国民の税金であることも、明々白々です。人殺しの道具で企業と政治家の両方が国民の税金を食い物にしている防衛利権と同じ構造です。オリンピックを東京に誘致したいのがどういう連中なのか、誰にでも凡その見当はつきます。
しかしそのあたりの事情をあからさまにしては身も蓋もなく、都民や国民の賛同を得られるはずもありません。そこで、悪の部分を覆い隠す言い訳や、誘致を正当化する大義名分がどうしても必要です。だからオリンピックのスポーツという側面ノミを強調している訳です。
スポーツ=(ひたむき、真面目、一直線、スポーツマンシップ、フェア)=善である、というイメージは、割合と世界的に共通していると思います。そのイメージを利用して、東京都の場合は悪用して、テレビコマーシャルを打って都民や国民の賛同を得ようとしている訳です。悪質なイメージ戦略です。野口健さんや有森裕子さんがこの戦略を認識した上でテレビコマーシャルに出演しているのかどうかはわかりません。しかし利権に群がるオオカミやハイエナたちに協力していることは確かです。
プロのスポーツ選手はスポンサーによる主に金銭的な支援を受けています。スポンサーは商売で儲けたお金で選手を支援しますが、目的はあくまで商売で、企業や商品の印象をよくして増収増益を図ろうとするものです。選手はスポンサーの商売がうまくいくように協力しなければならない。スポンサーの商売と東京都の思惑とが一致して同じ方向を向いたのが東京オリンピックの誘致であると、そういう簡単な構造に過ぎない訳で、だったら、有森裕子さんたちがテレビコマーシャルに出演しているのも頷けます。所謂、利害の一致というヤツです。

結局オリンピックの誘致は、一部利害関係者による都民、国民不在の動きであって、政治ではなく商売、営業のたぐいです。都民、国民の税金を食いつぶしてしまおうというのですから、相当に悪質な商法といえるでしょう。間違ってもこんな商法に引っかかってオリンピック誘致に賛成してはいけません。消費者は真っ当に商売している中小企業に鬼のような怒りのクレームを入れて不当な要求をする前に、東京都の悪質商法に怒るべきです。

そういえば、みのもんたさんも同じテレビコマーシャルに出ていました。