三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「祈りの幕が下りる時」

2018年01月31日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「祈りの幕が下りる時」を観た。
 http://inorinomaku-movie.jp/

 前作の「麒麟の翼」では中井貴一が主役を脅かすほどの存在感のある役を演じていたが、本作ではそれほど強烈な存在感のある役はなかった。しかし主人公に縁のある人物たちがスポットを当てられていて、それぞれのエピソードが次第につながっていくという、なかなか目の離せない仕上げになっている。特に小日向文世は流石の演技で、誰も恨まず、泣き言も言わず、言い訳もしない京都の男を、人間の存在の儚さを見せつけるように演じていた。
 刑事物だから殺人事件の犯人を追うのがストーリーの中心だが、見つけたはずの証拠が目論見と違っていたりして捜査が二転三転する。主人公が真実に迫るにつれて、母の晩年や犯人の過去が明らかになっていく。それがなんとも物悲しい内容なのだ。
 泣けるほどではないが、良くも悪くも人々が一生懸命に生きたのだというカタルシスがある。見終わるとスーッと肩の荷が下りるような感じがした。それはまさにタイトルの通り、悲劇の幕が下りたのであった。


映画「DETROIT」

2018年01月31日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「DETROIT」を観た。
 http://www.longride.jp/detroit/

 いまでも人種差別が日常的に続くアメリカ。その傾向は、白人至上主義のトランプが大統領になって更に助長されつつある。
 この映画は1967年のデトロイトが舞台だ。マルコムXが暗殺された後、マルティン・ルーサー・キングが黒人の人権運動をしている真っ最中である。黒人社会がそれなりの地位を獲得し、文化的にも花を咲かせつつある時期で、当時の白人社会は、黒人の社会的文化的な台頭を面白く思わない人々が多数を占めていた。それは当時だけでなく現在も同じなのかもしれない。
 アメリカはそもそも先住民族を駆逐した移民の国で、建国から300年も経っていない若い国である。文化もテクノロジーも世界の最先端だが、人々の精神性が追いついていない。去年の大統領選挙の様子や差別主義者たちの街頭暴力報道を見てもわかるように、アメリカ人は同調圧力が強く、多様な価値観を認めない。
 中でも人種差別は峻烈で、南北戦争で奴隷制度の存続を主張した南部地域は、いまだにKKKが白昼堂々と白人の優位性を元に意味不明の儀式を繰り広げている。バラク・オバマが大統領になるなど、全米ベースでは民主的になった現在でもこうなのだから、差別が激しかった1960年代は、考えるだけでも恐ろしい。そして差別する側に権力が加わると、もはや差別を通り越して弾圧となる。
 この映画の警官たちは当時の世間というものの象徴的存在だ。個々の警官が悪者であるというよりも、世の中に蔓延する差別的な空気に感染したと考える方が正確である。日本でも、軍国主義の復活の目論む暗愚の宰相や、そこかしこに見られるヘイトスピーチなどのニュースを見ると、弾圧の時代の到来が近いように思われる。人間はどこまでも愚かで、同じ間違いを無限に繰り返す。


舞台「近松心中物語」

2018年01月26日 | 映画・舞台・コンサート

 新国立劇場中劇場で堤真一、宮沢りえ主演のシスカンパニー公演「近松心中物語」を観た。
 https://www.chikamatsu-stage.com/

 女郎役の宮沢りえはオペラグラスで見るアップの表情がとてつもなく色っぽい。特に堤真一を奥の部屋に誘う場面では、仕種といい声といい、ゾクゾクさせるものがあった。かつて書店で買った「Santa Fe」を思い出す。
 堤真一は滑舌よく台詞をつなぎつつ、声のトーンや抑揚を自在に変化させていて、主役の喜怒哀楽と気分がわかりやすく伝わってくる。この人はテレビや映画でも独特の個性を発揮しているが、芝居でも堂々としていて、舞台映えのする俳優である。
 小池栄子がコメディタッチの弾けた演技で笑わせくれる。この人にコメディエンヌの才能があったとは驚きだ。一方で、幽霊なのに「おっぱい吸ってもいいのよ」という妙に艶かしい台詞も言ったりする。グラビアアイドルだった小池栄子にその台詞を言わせたことにも驚いた。
 演出はとても工夫されている上に凝っている。変幻自在の店のセットがとても面白い。回転すると様々な舞台に早変わりする。賑やかな街の群衆として大勢の役者が庶民を演じているのが、当時の風俗をさりげなく表現できている。端役の人たちも演技に手抜かりがない。
 先週の土曜日に観た蒼井優の「アンチゴーヌ」も深くて重いテーマで非常に見ごたえがあったが、こちらの舞台は分かりやすい人情もので、笑いあり悲しみありで心から楽しめる芝居であった。

 しかし新国立劇場の中劇場に来るたびに思うのだが、椅子の固さは何とかならないものだろうか。途中で必ずお尻が痛くなる。


映画「嘘を愛する女」

2018年01月23日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「嘘を愛する女」を観た。
 http://usoai.jp/

 長澤まさみはよほど気が強くて負けず嫌いの性格なのだろう。どんな役をやってもそういうところが色濃く出てしまう。一度、気が弱くて周囲に蹂躙されるだけの悲劇のヒロインを演じるのを観たい気がするほどだ。
 本作ではバリバリのキャリアウーマンを演じていて、キャリアウーマンと言えば自信と自己主張と気の強さの塊みたいなものだから、前半はほとんど素で演じられた感じがする。
 しかしキャリアウーマンといえども人間的な弱さは持っている訳で、そのあたりの表現が彼女なりに難しい役柄だったのではなかろうか。そんな感じがした。
 同病相憐れむというが、この作品では最初は高橋一生が憐み、次いで長澤まさみが憐れむという構造のプロットになっている。互いを理解するという面ではある程度成功しているし、観客にも伝わってくる。
 現代の経済では、人は自分をスポイルして他者にサービスすることで生活の糧を得ている。つまり仕事だ。生きるために仕事をしている筈が、いつの間にか仕事をするために生きているように変わってしまう。仕事が大義名分を獲得したのである。だから、仕事だからと言えば大抵のことは大目に見られる。
 仕事によって束の間の承認欲求は満たされるが、人間は仕事の面だけでできているわけではない。個性や経験は評価の外だ。愚かなキャリアウーマンは仕事の評価だけを自分の拠りどころとする。だから底の浅い薄っぺらな人格になってしまう。
 しかし現実世界の違う側面と触れ合うことで、仕事で評価されることよりも大事なことがあることに気づくことがある。女の幸せとは何なのか。
 この作品では、愚かだが可愛い女ごころを長澤まさみなりに懸命に演じていて、そこがとてもいい。瀬戸内を巡りながら、自分を騙していたた腹立たしい男が、いつしか愛しい存在に変わっていく。最後の方では少し泣ける場面があった。近い将来もっともっと深い女の情を表現できる日が来るだろう。


舞台「アンチゴーヌ」

2018年01月21日 | 映画・舞台・コンサート

 新国立劇場の小劇場で蒼井優主演の芝居「アンチゴーヌ」を観た。蒼井優は声も通るし滑舌もいい。何より存在感たっぶりで舞台映えがする。
 http://www.parco-play.com/web/play/antigone/

 今回の舞台はかなり変わっていて、劇場中央に十字架の形に舞台があって、空いた四角に客席がある。これほど舞台に近い芝居は初めてだ。
 共演は生瀬勝久とその他の役者さんたち。みな大柄の人ばかりだ。劇中で何度も「小さなアンチゴーヌ」という台詞が出てくるので、それに合わせた配役とも言えるが、むしろ悪法にひとりで立ち向かう、弱々しくも秘めた強さを持つひとりの女性を際立たせるのが狙いだろう。
 蒼井優はエネルギーとパワーに満ち満ちて、生身の人間が演じる迫力が凄まじい勢いで押し寄せてくる。映画ではこうはいかない。芝居の醍醐味である。
 二十年の短い人生を生きたアンチゴーヌだが、立場にも世間にも悪法にも負けず、自分の感性に忠実に生き、そして死んでゆく。人生とは何か、幸福とは何なのか、テーマは幅広く、深い。それを二時間十分ノンストップの芝居で一気呵成に演じきる。
 重々しいテーマの一方で、こんな風に生きた女性がいたのだという爽快な感動がある。蒼井優。名演であった。


映画「Kingsman The Golden Circle」

2018年01月15日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Kingsman The Golden Circle」を観た。
 http://www.foxmovies-jp.com/kingsman/

 ビシッと決めたスーツ、いろいろな仕掛けのある車や小物など、ジェームス・ボンドを彷彿させる秘密組織活劇だ。イギリス映画だから007に対するオマージュは当然あるだろうが、新たな切り口もあり、ハッキングやドローンが普通に扱われている。そして主人公は必ずしもスーパーマンではない。
 こういう作品が陳腐にならないためには、情に流される場面を入れないことだ。どこまでもドライにスマートに物語を進めることで痛快な作品となる。
 本作品では、それに加えて英国風の辛口のユーモアとグロテスクな場面をスパイスのように入れ込んでいて、楽しく笑えるけれども底流には非日常の非情さが厳しく横たわっているという、生真面目なイギリス紳士みたいな映画に仕上がっている。笑えてそしてスカッとする、娯楽作品の傑作である。