真下飛泉 作詞
三善和気 作曲
ここはお国を何百里
離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて
友は野末の石の下
思えば悲し昨日まで
真っ先駆けて突進し
敵を散々懲らしたる
勇士はここに眠れるか
ああ戦いの最中に
隣に居ったこの友の
俄かにハタと倒れしを
我は思わず駆け寄りて
軍律きびしき仲なれど
これが見捨てておかりょうか
『しっかりせよ』と抱き起こし
仮包帯も弾丸の中
折から起こる突貫に
友はようよう顏上げて
『お国のためだ構わずに
遅れてくれな』と目に涙
あとに心は残れども
残しちゃならぬこの身体
『それじゃ行くよ』と別れたが
永遠の別れとなったのか
戦いすんで日が暮れて
探しに戻る心では
どうぞ生きていてくれよ
物なと言えと願うたに
空しく冷えて魂は
お国へ帰ったポケットに
時計ばかりがコチコチと
動いているも情けなや
思えば去年船出して
お国が見えずなった時
玄界灘に手を握り
名を名乗ったが初めてに
それよりのちは一本の
煙草も二人分けて喫み
着いた手紙も見せ合うて
身の上話繰り返し
肩を抱いては口癖に
どうせ命は無いものよ
死んだら骨を頼むぞと
言い交わしたる二人仲
思いもよらず我ひとり
不思議に命長ろうて
赤い夕日の満州に
友の塚穴掘ろうとは
隈なく晴れた月今宵
心しみじみ筆執って
友の最後をこまごまと
親御へ送るこの手紙
筆の運びは拙いが
行燈の影で親たちの
読まるる心思いやり
思わず落とすひと雫
映画「明日を綴る写真館」を観た。
https://ashita-shashinkan-movie.asmik-ace.co.jp/
脇役で豪華な俳優陣が登場するのは、平泉成の人脈と人徳だろうと感心したが、キャリア初の主演映画にしては、役柄が平凡だし、キャラクターの掘り下げも少ない。相手役である若いカメラマンの五十嵐の方は、その来し方を詳しく紹介されていた。肝腎の写真館の主人にも、それなりの波乱万丈があったはずだが、過去は殆ど描かれず、どんな心境なのかがわからない。
平泉成は脇役として長いから、もしかしたら主役然として自らの人生を表現するのが不得意なのだろうか、などとも考えたりした。それにしても、序盤で少しだけ登場する佐藤浩市でさえ、転勤が多くて苦労をかけた妻への愛を切々と伝えてくる。なのに主役の心のうちは、さっぱりわからない。
物語としては、世俗の人々の群像劇みたいな人情噺で、悪い作品ではないのだが、平泉成の大活躍を期待していただけに、ちょっと不満が残る。でも、あんなもんか。平泉成らしいと言えば、らしい。
本作品ではカメラマンという言葉を使っているが、巷ではこのところの風潮から、フォトグラファーと呼ばないといけないようだ。カメラ「マン」がよくないらしい。なんとも不自由な世の中になったものである。
ACジャパンのテレビCMでは、日常のシーンを紹介して、その行動の主体が男女のいずれだと思ったか、バイアスではないかという問いかけをする。正義ぶっていて、鼻持ちならないCMである。こういう思考回路をよしとする風潮が世の中に支配的になると、ますます人間関係が希薄になり、ますます少子化が進むに違いない。本作品に出てくる「ウェディングドレスを着たい」という台詞も、そのうちNGになりそうな気がする。面倒くさい。
人間は多かれ少なかれ、偏見やバイアスを持っている。それは個性でもあり、人格の構成要素でもある。物語で言えば、時代背景の表現でもある。だからこそなのだが、本作品の主人公はもっと偏屈で、平泉成がポテンシャルを最大限に発揮せざるを得ないような、難しいキャラクターであってほしかった。