三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「おまえの親になったるで」

2024年06月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「おまえの親になったるで」を観た。
劇場版「おまえの親になったるで」 | TVO テレビ大阪

劇場版「おまえの親になったるで」 | TVO テレビ大阪

2024年劇場公開! 壮絶な過去を持つひとりの男性の10年間の決意を通じて、元受刑者の生き直しや教育・社会の問題も浮き彫りにした、ヒューマン・ドキュメンタリー。

劇場版「おまえの親になったるで」 | TVO テレビ大阪

 日本の再犯率は2022年の統計で50%弱だそうだ。覚醒剤犯罪に限定すると、同じ2022年の数字は68.1%に跳ね上がる。薬物依存は繰り返す傾向にある。芸能人が何度も覚醒剤で逮捕される報道から、その実感がある。

 本作品でフィーチャーされている草刈健太郎さんの奮闘には頭が下がる。「男が泣くな」という家父長制度みたいな差別的な発言はちょっと気になったが、再犯率50%弱の出所者たちの面倒を見て、裏切られてもチャンスを与えつづける寛容は、凡人には真似のできない姿勢である。

 そもそも薬物に限らず、依存症からの脱却は難しい。以前は中毒と呼んでいた。アルコール中毒、麻薬中毒、賭博中毒、ニコチン中毒、セックス中毒。他にもたくさんあるが、中でもアルコール中毒はアル中、麻薬中毒はヤク中と省略されて、一般化していた。中毒ではないが、四六時中熱心に仕事をする人が仕事中毒と呼ばれることもあって、日本人のことをWorkaholics living in rabbit hutches と揶揄する表現が伝わってきたことがある。

 依存症という言い方になってからは、治療が可能な症状として捉えられている。といっても、病気と違って、本人が進んで取る行動だから、基本的には本人の意志でやめるしかない。
 私見だが、依存症は人間だけに特有の症状だと思う。猿やチンパンジーは、何かに夢中になることはあるだろうが、依存症になることは考えづらい。それ以下の動物はそもそも能力的に不可能だ。動物は無駄なこと、危険なことはしない。
 ということは、ちょっと飛躍するが、怠惰な人は依存症になりにくいと言えるのではないか。ストーカーも依存症だが、かなりの行動力が必要である。相手をつけ回したり何度も電話やメールをしたり自宅を訪ねたりするのは、怠け者にはとてもできない行動だ。
 小人閑居して不善を為すとは、人間を差別的に分類した世界観の諺で、小人(しょうじん)も大人(たいじん)も、客観的には存在しない。不善は単なる人間の行為である。

 犯罪の成立要件の中でもっとも重要な項目は「人の行為であること」である。行為をしなければ、犯罪は成立しない。怠け者は依存症になりにくいだけでなく、犯罪も犯しにくいという訳だ。「頑張らない勇気」が肯定されるなら、怠けること、行動しないことも肯定されていいと思う。生産性がない人間が否定される世の中は、犯罪を助長する世の中だ。

映画「幽霊はわがままな夢を見る」

2024年06月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「幽霊はわがままな夢を見る」を観た。
幽霊はわがままな夢を見る グ スーヨン監督による下関ムービー

幽霊はわがままな夢を見る グ スーヨン監督による下関ムービー

幽霊はわがままな夢を見る ⼥優を夢⾒て東京に出ていくも上⼿くいかないユリ(深町友里恵)。祖⺟の死をきっかけに故郷・下関に戻り⽗・冨澤(加藤雅也)の地元FM局の仕事を...

 終映後の舞台挨拶で、グ・スーヨン監督が客席にいる二人の知人を紹介した。ひとりは安倍昭恵で、当方のひとつ置いた隣にいた。もうひとりは林芳正で、当方のひとつ後ろの列に座っていた。下関で小学校から高校までを過ごした官房長官は、下関出身のグ監督の古くからの友人らしい。安倍昭恵は山口県が選挙区のアベシンゾー繋がりだろう。当方の記憶が正しければ、ふたりは犬猿の仲だったはずだ。

 プロデューサーも兼ねている加藤雅也が「本作品は下関が舞台の映画ではなく、下関映画だ。第二弾をやりたい。一緒にやってくれる人いますか」と発言すると、林が「やりましょう」と答え、加藤雅也が苦笑しながら「お金がかかります」と言うと、林は「お金はあります」と言っていた。
 不景気で物価が上がって国民の生活が苦しいときの政府要人の発言としては、実に不適切で不愉快だったが、映画は作品だけで評価されなければならない。

 その評価だが、意外に面白かった。グ監督は、自分の作品はストーリーが展開するというよりも、一枚の絵画みたいなもので、眺める人によって見え方が異なっていいと言っていたが、それなりにストーリーはあった。
 面白かったのはラジオドラマで、アホなドラマがいくつか紹介されて、それなりのおかしみがあった。耳なし芳一のターンが一番で、尺も長い。ラフカディオ・ハーンの原作に力があったということなのだろう。

 主人公の富澤ユリが作品ではブスにしか見えないのだが、登壇した深町友里恵は割と美人だった。グ監督も、実物はほっそりした美人ですと伝えてくださいと言っていた。美人なのにブスに見える演技ができればいい女優という当方の基準に照らすと、深町友里恵は今後の活躍が期待されることになる。ほんまかいな。

 帰りの階段の窓の下には、黒塗りの高級車が止まっていて、人相の悪いSPたちが周囲に睨みを効かせていた。官房長官が乗り込む。ずいぶん予算のかかる映画鑑賞だ。我々の税金が使われていると思うと、むかっ腹が立つ。

映画「プロミスト・ランド」

2024年06月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「プロミスト・ランド」を観た。
映画『プロミスト・ランド』公式サイト - 飯島将史 監督<邦画>

映画『プロミスト・ランド』公式サイト - 飯島将史 監督<邦画>

原作 飯嶋和一「プロミスト・ランド」を映画化。映画『プロミスト・ランド』公式サイト - 飯島将史 監督<邦画>

映画『プロミスト・ランド』

 終映後に舞台挨拶があった。飯島将史監督、杉田雷麟、寛一郎の3名。珍しく面白い話が聞けた舞台挨拶だった。

 撮影の前に杉田雷麟と寛一郎とで猟友会の熊狩りに同行したのだが、3日間、熊は見つからなかった。ところが、撮影に入ってから、ちょうど双眼鏡で熊を探すシーンで寛一郎が本物の熊を見つけたそうだ。寛一郎が「熊がいる」と叫ぶので、台本にない台詞に杉田雷麟は戸惑ったようだが、どうやら本当に熊を見つけたことが分かって、自分も双眼鏡で見てみたら本当に熊がいて、興奮したと言っていた。寛一郎によると、もっと興奮していたのが、マタギ監修していた猟友会の人で、熊がいた場所が別の猟友会の管轄下だったのを残念がっていたらしい。

 映画のタイトルにちなんで、約束を披露してもらいたいとの司会者のフリに対して、杉田雷麟は映画の監督をしたいと約束。寛一郎はマヨルカ島に行くと約束していた。初監督作だった飯島将史監督は、いい映画作りをすると約束した。

 本作品はマタギの人々がどのような世界観で熊を撃っているのかを紹介する。鶏の世話や庭師の仕事をしながら、雪崩を待つ。雪崩は雪融けを意味し、啓蟄の季節を知らせてくれる。狩猟の時期のはじまりである。熊は山の神様からの授かりものだ。山に感謝し、熊に敬意を払う。皮も肉も内臓も、余すことなく有意に役立てる。マタギの仕事は、熊との真剣勝負で、同時に伝統文化の継承でもある。

 熊を見つけてからは、聴力に優れた熊が警戒しないように、声は出さない。二手に分かれて、ひとりは熊の向こう側に回り込む。大口径のライフルを構えて待ち伏せする相方のほうに、大声を出して熊を追いやるのだ。熊狩りのシーンは緊迫感があって、とてもよかった。

映画「クワイエット・プレイスDAY1」

2024年06月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「クワイエット・プレイスDAY1」を観た。
映画『クワイエット・プレイス:DAY 1』公式サイト

映画『クワイエット・プレイス:DAY 1』公式サイト

シリーズ最新作『クワイエット・プレイス:DAY 1』大ヒット上映中 舞台は大都市・ニューヨークへ!生存はほぼ不可能に!?世界が

映画『クワイエット・プレイス:DAY 1』公式サイト

 アメリカ映画にしては珍しく、家族第一主義が顔を出さないと思っていたら、主人公がピッツァにこだわる理由の種明かしで、家族第一主義が少しだけ顔を出す。共同体も人間関係も流動的な時代だ。家族第一主義から脱却しないと、アメリカ映画の未来はない。ただ本作品の主人公には、家族は大切だが、過去よりも未来を優先しようとする、健気な姿勢があって、好感が持てる。

 クリーチャーの造形があまりはっきりしないのは、前2作を踏襲しているのかもしれない。逃げることに必死で、観察する余裕がないのだ。
 いいところは、表情に乏しいエミリー・ブラントから、表情豊かなルピタ・ニョンゴに主演が変わったことだ。物語に奥行きができたと思う。若くして病魔に蝕まれた孤独な女性というだけで、かなりの位置エネルギーがある。物語は進むべくして進んでいく。前の作品よりもずっと面白かった。

 ホラー映画らしく、ところどころにジャンプスケアがあって、何度かビックリした。映画の怖いシーンは現実のそれとは違って、パニックになったり五感をシャットアウトしたりすることなく、楽しむことができる。ジェットコースターの怖さと同じようなものだ。多分だが、脳にいい。

 主人公の飼っている猫は、自由でしなやかで存在感がある。ピンチのシーンのあとは、まず猫が無事だったかが気になった。犬は人につき、猫は家につくと言われるが、本作品の猫は、移動する主人公にそれとなくついていく。気ままな猫だが、主人公にとっては大切な家族である。猫にとっても、同じだったのかもしれない。

「あの素晴しい歌をもう一度」コンサート

2024年06月30日 | 映画・舞台・コンサート
 有楽町の東京国際フォーラムホールAの「あの素晴しい歌をもう一度」コンサートに行ってきた。
 森山良子とクミコは相変わらず歌が異常に上手い。白鳥英美子さんの美しい声は健在だ。この3人が際立っていた。
 今回は、映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」が5月末に公開されたこともあって、後半では加藤和彦が作曲した歌が歌われた。
 盟友だった北山修が加藤和彦の自殺の真相を話していた。加藤は常に新しい音楽をやる。古いものはやらないという信条だったそうだが、亡くなる前に、もう新しいものができないとこぼしていたらしい。音楽に生き、音楽に死んだ人生だった。
 タブレット純という新しいキャラクターも登場している。若そうに見えたが、今年で50歳のおじさんで、マヒナスターズの最後のボーカルだったらしい。話し声が高くて歌の声が低いという珍しいパターンの歌手でお笑い芸人でもある。モノマネも得意で、裏声も出せる。「帰って来たヨッパライ」を早送りなしで披露していたのは面白かった。

映画「ザ・ウォッチャーズ」

2024年06月30日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ザ・ウォッチャーズ」を観た。
映画『ザ・ウォッチャーズ』大ヒット上映中!

映画『ザ・ウォッチャーズ』大ヒット上映中!

映画『ザ・ウォッチャーズ』大ヒット上映中!M・ナイト・シャマランの娘、イシャナ・ナイト・シャマラン衝撃の長編監督デビュー作。

映画『ザ・ウォッチャーズ』公式サイト

 柳田國男の「遠野物語」を読んだことのある人は、言いしれぬ不気味な話に背筋が寒くなる思いをしたと思う。人智の及ばない力があるのは知っているし、意味不明な理不尽や悪意があることも知っている。別々に考えるだけだと、それぞれ単なる認識に過ぎないが、そのふたつが一緒になると、途端に怖くなる。

 説明過多と主人公の幸運は、ホラー映画には徒(あだ)となる。本作品は、途中からはサバイバルゲームの様相を呈してきて、ホラーではなくなってしまった。理解不能の謎は、謎のままでなければならない。遠野物語の容赦のない残酷さと怖さがそこにある。

 アメリカのホラー映画の限界かもしれない。主人公に幸運がなければ、アメリカの観客は納得しないのだろう。しかしそれではホラーの面白味が半減してしまう。本作品には、ご都合主義の解釈や説明があって、些か残念だった。説明を省かないと、どんどん怖さが減ってしまう。

 ダコタ・ファニングの主演映画は、6年前の「500ページの夢の束」以来だと思う。随分大人になって、随分ふくよかになったものだが、自閉症気味の繊細さは健在。本作品は主人公の視点が少なく、内面の葛藤が形式的になってしまって、彼女のポテンシャルが十分に発揮できていなかった。

映画「つゆのあとさき」

2024年06月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「つゆのあとさき」を観た。
映画「つゆのあとさき」公式サイト

映画「つゆのあとさき」公式サイト

映画「つゆのあとさき」2024年6月22日ユーロスペースにて公開!!出演:高橋ユキノ、西野凪沙、吉田伶香、渋江譲二、守屋文雄、松㟢翔平、テイ龍進、前野朋哉...監督:山嵜晋平

映画「つゆのあとさき」公式サイト

 実物の女の子が並んで顔を見せて、客が選んで遊ぶシステムは、江戸時代の吉原の遊女みたいだ。本当にこんな店が渋谷にあるのか、寡聞にして不明だが、ありそうな気もする。
 今も昔も男の遊びといえば、女と酒である。それ以上にやりたいことがある人は、何事かを成し遂げる。何も成し遂げられない男は、女と酒に逃げる。

 そんな男たちが落とすカネで生き繋いでいる女たちがいる。客も女も同じレベルだ。説教される謂れはない。友だちがいないことなど、最近では当たり前で、非難される理由にならない。
 遊女に対して「どうしてこんな仕事をしているの?」と聞く男に対しては「あんたみたいな男がいるからさ」と答えるしかない。つまらない男にもプライドがあることを知っている女は、何も答えない。バカを刺激してもいいことは何もない。

 稼げるのは若いうちだけだと、女たちは知っている。そしてこの世はバカばかりで、何の価値もないと思っている。ある意味で正解だ。
 勢い、刹那的な生き方になる。その場だけの会話、その場だけの関係、そしてその場だけのカネ。仕方がない。貨幣経済の社会だ。生き延びるためにはカネが要る。
 それでも好き嫌いはある。信じる信じないもある。いまのところ信じられるのはカネだけだが、もしかしたら信じられる人や言葉に巡り会えるかもしれない。

 本作品は遊女たちのデスパレートな日々を淡々と描くが、それなりの出会いと別れがある。さくらは聖書を読んで中の言葉を紙に書く。変わった女子大生だった。
 それでも言葉には力がある。琴音も気づかないうちに影響を受けている。そんな微妙な関係性に、本作品の面白さがあった。
 さくらの聖書にひっかけたのか、琴音が着ているTシャツの背中には「Tenjotenge」とプリントされている。漢字だと「天上天下」で、次に「唯我独尊」と続けば、仏教の言葉になる。
 監督の遊びなのかもしれないが、救われない彼女たちが、どこかで救いを求めている気がした。

映画「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」

2024年06月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」を観た。
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』公式サイト

『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』公式サイト

『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』公式サイト

 レミーマルタンルイ13世は、バカラのボトルに入っている高級ブランデー(コニャック)で、日本ではかつて100万円のブランデーとして有名だった。今は値が下がっているようだが、それでも50万円は下らない。この高級酒でうがいをする人はまずいない。

 舞台は1970年の年の瀬だ。クリスマスから新年の休暇に学校に残ることになった生徒と教師と給食係の人間模様が描かれる。
 アレクサンダー・ペイン監督の作品では、2011年製作のジョージ・クルーニー主演「ファミリー・ツリー」を映画館で鑑賞したことがある。やはり少人数の人間模様のドラマで、ややキリスト教寄りの世界観だった記憶がある。
 本作品も同じようにキリスト教寄りだが、クリスマスを祝うだけの行事としてのキリスト教の意味合いが強い。説教をする牧師には威厳がなく、どちらかと言うと下衆っぽい印象に描かれている。

 一方、古代史の教師であるハナムには、教養と、教師の矜持がある。古代史の人々を崇め奉るのではなく、現代人と同じ悩みを持つ卑近な存在として捉えている。生徒のタリーは、その話を聞いて、そういう教え方をしてほしいと言う。その方がわかりやすいし、覚えやすい。それに日常生活に役に立つ。
 ハナムの精神性はフレキシブルだ。いくつになっても悩み、成長する。それを生徒と共有すれば、それだけでいい教師になれるのに、ハナムには妙なプライドとコンプレックスがあって、なかなか心を開けない。
 クリスマス休暇でタリーは成長し、ハナムはそれ以上に変化する。人生を見つめ直す物語はペイン監督の得意技だ。高級酒を崇める精神性は、捨て去らねばならない。

映画「九十歳。何がめでたい」

2024年06月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「九十歳。何がめでたい」を観た。
映画『九十歳。何がめでたい』|大ヒット上映中!

映画『九十歳。何がめでたい』|大ヒット上映中!

社会現象を生んだ、人気エッセイが映画化。「生きづらい世の中」に悩むすべての人に贈る、笑いと共感の痛快エンターテイメント!あなたの悩みも“一笑両断”!

映画『九十歳。何がめでたい』|大ヒット上映中!

 前田哲監督の作品は、過去に5本鑑賞した。近い順で並べると、
「大名倒産」2023年
「水は海に向かって流れる」2023年
「ロストケア」2023年
「そして、バトンは渡された」2021年
「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」2018年
 いずれも原作のあるヒューマンドラマで、殆どは演出に専念しているが、松山ケンイチが主演した「ロストケア」では、脚本も手伝っている。この中でもっとも社会の病巣に踏み込んだ作品だ。

 本作品は主人公が実在の作家だから、それほど社会問題に切り込むことなく、ほのぼのとしたタッチのドラマになっている。
 とはいっても、完全に能天気かというとそうではなく、主人公が高齢ということが、そのまま高齢化の問題提起になっているところがある。身体の耐用年数を過ぎて、あちこちにガタがきて、そのうち頭の方も故障することになるんだろうという不安と諦めを抱えて、老年を生きる。
 一方、編集者のキッカワは50代の昭和男で、こちらは歩くハラスメント製造機みたいに見られている。さり気なく、現代的な問題を盛り込んでいる訳だ。

 喋ったり、短い文章を書いたりするのは誰でも日常的にやっているが、まとまった文章を書く機会は少ないかもしれない。仕事上の稟議書や報告書、メールなどは、大体がビジネス定型文になっているから、自分で単語を選んだりしなくていい。
 しかし作家は自分で言葉を紡ぎ出さなければならない。人生に意味など求めてはいけないが、好きなことと嫌いなことはある。なぜ好きなのか、なぜ嫌いなのかを掘り下げていくと、自然に文章ができる。優れた作家の文章には無理がない。難解な単語を使っていないのに内容が深くて、しかもわかりやすい。

 本作品も、同じように深くてわかりやすかった。佐藤愛子の原作をうまく生かしきっている。主演のふたりも見事だった。

映画「朽ちないサクラ」

2024年06月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「朽ちないサクラ」を観た。

 小説が原作だけあって、起承転結がしっかりと纏まっている。序盤で事件が起きて、その捜査の過程で人間関係が徐々に明らかにされていく。無理のない展開で、次にどうなるのかを考えながら鑑賞することになる。よく出来た作品だ。

 公安警察は、治安の維持を目的とするが、内実は国家体制に反対する人物や組織の監視と違法捜査が主な仕事だ。戦前の特高(特別高等警察)と似ている。かつて「蟹工船」で有名な小説家小林多喜二を、治安維持法という反共の法律に基づいて拷問死させた人権無視の組織だ。
 治安維持法は破防法(破壊活動防止法)と名前を変えたが、実質的に反共活動は続いている。やはり反共であるアメリカの反共組織であるCIAの影響を受けていると、当方は睨んでいる。
 日本の反共組織である公安警察は、各都道府県警察に設置されたが、財布は別だ。すなわち国家予算によって運営されている。だから警察庁が直接指揮する。その警察庁のホームページには、日本共産党は暴力革命の組織だと、堂々と書かれている。
 公安警察の基本は反共だが、現状の国家体制を揺るがす勢力の取り締まりにも余念がない。そのひとつがカルト教団である。松本サリン事件や地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は言うまでもないが、意外と反共のカルトである統一教会(勝共連合)も監視対象なのではないかと、当方は思っている。
 アベシンゾーは別の人間に射殺されたという主張がある。アベシンゾーは統一教会に深入りし過ぎて、韓鶴子に阿るような発言をしていた。それが公安警察の危機感を煽った。また、アベが憲法を変えて日本を戦争のできる国にしようとしていたことが、反体制的とみなされて、山上徹也を監視していた公安警察が、山上の銃撃に乗じて高性能の狙撃銃で殺した。総理大臣を辞めてただの人になったから、抹殺してもいいと判断されたという説だ。強ち陰謀論で片付けられないかもしれない。

 杉咲花が演じた主人公森口泉は、公安警察の実態など何も知らなかったという設定で、警察学校は出たものの、警察官ではなく警察事務として働いている。捜査の経験はないが、いくつか浮き上がったヒントから、どこに行って誰に話を聞けばいいかの勘所がある。

 泉の仕入れた情報で捜査が進むのだが、どこか違和感がある。調子がよすぎるのだ。豊原功補が演じた人のいい梶山刑事は、泉の捜査能力を評価するが、泉本人は素直に喜べない。もちろん自分の不信が原因で友人を死に追いやったのではないかという罪悪感もある。しかしそれ以上に、罪のない友人が殺された理不尽に対する怒りがある。
 つまり泉の感情が、物語を引っ張る原動力になっていて、演じた杉咲花は見事だった。突き進む彼女は、持ち前の分析力と洞察力によって、ついに真相を描き出す。それは果たして正解なのか。
 原作がそうなのかはわからないが、本作品には強権に対するそこはかとない確執が感じられる。その雰囲気がとてもいい。地方の県警本部が舞台だが、スケールの大きな物語だった。