三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「神は見返りを求める」

2022年06月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「神は見返りを求める」を観た。
映画『神は見返りを求める』オフィシャルサイト

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見返りを求める男♡恩を仇で返す女 出演:ムロツヨシ 岸井ゆきの 若葉竜也 吉村界人 淡梨 栁俊太郎 監督・脚本:𠮷田恵輔 配給:パルコ 宣伝:フィノー 制作プロダ...

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 心に引っかかるものがたくさんある。それはある種の感動ではあるが、心が洗われるような気分のよさではない。本作品で感じるのは「いやな感じ」だ。もちろん何も感じない作品よりはずっといい。しかしここまで人間の浅ましさと愚かさを並べ立てられると、いささかげんなりする。
 人間に深みなんてもともとないのかもしれないが、本作品で繰り広げられる会話は、これまでに聞いたことがないほど、中身がない。中身のない人間は、中身のない言葉を話す。本作品の登場人物は誰にも中身がなかった。

 最近になって初めて耳にした言葉に「ディスる」や「マウント(合戦)」や「イタい」などがある。いずれも対人関係を表現する言葉だ。新しい価値観が生まれた訳ではない。むしろ古い価値観に逆戻りしている感がある。
 他人を否定したり、自分のほうが立場が上だと主張するときの基準となるのは、発言者の尺度であり価値観だが、発言が簡単に否定されないためには、基準となる価値観も容易に論破されないものである必要がある。勢い、依拠する価値観は古い社会のパラダイムになってしまう。
 つまり、これらの言葉を使うということは、価値観そのものの論争ではなく、古い価値観の上で相撲を取るような会話をすることなのだ。そこには最低限の礼儀さえない。自己主張の強い人を「イタい」と表現して「ディスる」。本人には見えない、聞こえない安全な場所で発言することが多いように思う。自分を安全圏に置いておきたいのだ。

 吉田恵輔監督は、そういう人々に容赦がない。ムロツヨシが演じた田母神は、古臭い人付き合いをするタイプで、お礼の品は何度か断ってから受け取る。一旦お断りしたと、自分の立場を安全にしておきたい訳だ。下心は田母神のポリシーに反するのである。
 対して、岸井ゆきのが演じた優里ちゃんは、そういう昭和のノリが理解できない。要らないと言われれば要らないのだと理解する。自分は矛盾していても平気だが、他人の矛盾は認めないのだ。二人の付き合いが平行線を辿るのは必然である。

 親しき仲にも礼儀あり。魚心あれば水心。そういった価値観が崩壊した様子を描いたのが本作品である。ユーチューブには含蓄は必要ない。直接的に興味を持続させる映像と音響と文言があればいい。含蓄などユーチューブには百害あって一利なしなのだ。昭和は遠くなりにけり。

映画「ザ・ロストシティ」

2022年06月26日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ザ・ロストシティ」を観た。
映画『ザ・ロストシティ』公式サイト

映画『ザ・ロストシティ』公式サイト

主演サンドラ・ブロック、共演チャニング・テイタム、ダニエル・ラドクリフ、ブラッド・ピットとハリウッドが誇る豪華スター競演。予測不能な謎解きアドベンチャー映画。大...

映画『ザ・ロストシティ』公式サイト

 全体に安っぽさが漂う。主演のサンドラ・ブロックの衣装は敢えてチープ感を出したのだろうが、プロットやストーリーといった肝腎の部分の世界観が安っぽいのはどうにもならない。職業が恋愛小説家であっても、還暦近い女性が純愛物語に簡単に感動するのはリアリティに欠けるのだ。
 かといってスラップスティックにしては破茶滅茶ぶりが足りない。終始、不完全燃焼の鑑賞となってしまった。この作品の製作予算は7800万ドル。その大半がロケーションとブラピのギャラに消えたとしてもおかしくない。面白さには反映されなかったようだ。

映画「峠 最後のサムライ」

2022年06月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「峠 最後のサムライ」を観た。
映画『峠 最後のサムライ』公式サイト 大ヒット上映中!

映画『峠 最後のサムライ』公式サイト 大ヒット上映中!

脚本・監督:小泉堯史 主演:役所広司『峠 最後のサムライ』大ヒット上映中!司馬遼太郎の名著が、初の映画化!坂本龍馬と並び称された、“知られざる英雄”河井継之助を描く...

映画『峠 最後のサムライ』公式サイト

「自由と権利、リバティとライトだな」と、唐突に英語が出てくる。福沢諭吉の著書にある言葉だと紹介されている。なるほど、河井継之助は福翁以上の西洋かぶれで新しもの好きだった訳だ。絵画も音楽も聞きかじりである。
 同じ役所広司が主演した映画「山本五十六」を想起した。和平や講和を望んでいるにも関わらず、軍事に邁進するところが似ている。覚悟のなさの現れだ。「常在戦場」という主君の言葉に感心するなど、人間的な深みに欠けるところも、山本五十六にそっくりだ。

 役所広司の演技はもちろん悪くなかったのだが、満41歳で死んだ武士にしては歳を取りすぎている。思い切って若い役者を使うのもありだったのではないかと思う。若気の至りということであれば、官軍の浅ましさに怒って徹底抗戦をしたことにも納得できる。
 領民のためを思う老練な役人なら、一銭にもならない武士のホコリなど捨てて、長岡が戦場となることを防ぐのが最善だった筈だ。老人に謝っている場合ではない。このシーンに一番がっかりした。

 明治維新はクーデターである。本作品で河井継之助が看破しているように、薩長は権力亡者の集団である。継之助が上手く立ち回れば領民の血を流さずに済んだ。これからは教育だというなら、軍事よりも教育に予算を注ぎ込むのが筋だ。どうにも一貫性がない。
 薩長の官軍もクズばかりだが、継之助も褒められたものではない。登場人物の底が浅ければ、必然的に作品の底も浅くなる。今も昔も、維新に人物などいないのだ。

映画「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場 オリジナル・ディレクターズ・カット版」

2022年06月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場 オリジナル・ディレクターズ・カット版」を観た。

 とてつもなく重い作品だった。180分という長さもさることながら、登場する兵士たちが命の危険にさらされながら、常に最前線で戦い続ける緊張感に、観ているこちらまで疲れ果ててしまう。
 国内外の戦争の記録を分析している作家の保阪正康さんによると、戦場に行ったことのある軍人は、なるべく戦争を避ける傾向にあるそうだ。そういう軍人にとって軍事力はどこまでも抑止力でなければならない。実際に戦争に向かおうとするのは戦争体験のない人間ばかりだ。
 役所広司が主演した映画「山本五十六」では、日露戦争の日本海海戦に参加した経歴のある山本五十六は、戦勝よりも講和第一を何度も口にしていた。ヒロシマ・ナガサキの被爆者や沖縄戦で生き残った人々は、言うまでもなくみんな戦争反対である。

 そして本作品に登場する兵士の多くも、やはり戦争反対である。兵士は殺人マニアでもシリアルキラーでもない。ソ連の国民を憎んでいる訳でもヒトラーと同盟したい訳でもなく、人を殺したい訳でもない。ただ命令された場所に行く。そして戦闘になる。殺されたくないから敵を殺す。
 兵士にとっても民間人にとっても戦争は理不尽だ。国際紛争を解決するために戦争という手段を取ることそのものが理不尽なのである。

 家族間で揉めたら殺し合うだろうか。もちろんそういう事件もある。しかし大抵は互いに相手の権利を認め、話し合って妥協点を探す。国際紛争でもおなじだ。相手国の権利を認めて話し合う。
 話し合いができない暴力的な国がいたらどうする?というのが国家主義者たちの論理だ。しかし国の構成員は個人である。大抵の個人は殺し合いより話し合いを選ぶ。それが国家になるといきなり戦争に飛躍するのはおかしい。戦争したい人間が政治を決めているからに違いない。
 戦争したくない人間を政治家に選べば、当然ながら戦争は減る。この自明の理がわからない人が世界中にたくさんいる。他国が攻めてくると考えるのは、現代ではほぼ被害妄想である。
 戦争は、頭の悪いヤクザみたいな政治家が、国民に被害妄想を植え付けることからはじまる。自分の権力維持のためである。外敵を想定すれば国民は一致団結すると思っているのだ。人間は弱いから、被害妄想に抵抗できない。そして国には軍事力が必要だと考える。軍事力のエスカレーションは戦争への一本道だ。
 しかし話し合いに軍事力はいらないという当然のことに世界中の人間が気づけば、戦争でたくさんの人が死なずにすむ。非軍事化の道にこそ人類の未来はあるのだが、現実はその逆の道に進んでいる。人類はよほど早く絶滅したいようだ。

映画「ナワリヌイ」

2022年06月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ナワリヌイ」を観た。
ナワリヌイ オフィシャルサイト|6月17日(金)、新宿ピカデリー、渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほか緊急ロードショー!

ナワリヌイ オフィシャルサイト|6月17日(金)、新宿ピカデリー、渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほか緊急ロードショー!

「ロシア反体制派のカリスマ」を襲った衝撃の毒殺未遂事件。奇跡的に一命を取り留めた男は自らの手でその真相を暴き出す

ナワリヌイ オフィシャルサイト

 ロバート・ラドラムやトム・クランシーのスパイ小説を読むと、ソ連は恐ろしい国だったというイメージである。KGBやGRUがどれほど容赦のない暴力的な組織であったかが事細かに描かれていて、西側のスパイに協力するソ連の小役人の恐怖の日々を我がことのように感じた。
 しかしソ連崩壊後のロシアは、ゴルバチョフによる情報公開や自由化の流れで、規則でがんじがらめの社会主義国から、金儲け優先のギャング国家になったように感じた。ロシア人女性は若い頃はとても美しくて、国際結婚をした日本人男性が知り合いに何人かいた。恐ろしいソビエト連邦が開発途上国ロシアに変わった感じだった。

 ところが元スパイであるプーチンのせいで、ロシアが再びソ連に戻りつつある。せっかくゴルバチョフが民主化への道筋を引いたのに、陰謀論者が国を牛耳ると、こんなふうに疑心暗鬼の国に逆戻りしてしまうのかと、再びスパイ小説で味わった恐怖が蘇る。
 その恐怖をものともしないナワリヌイ氏とその家族の精神的な強さには恐れ入った。プーチンは役人や警察官に一定の権限を与える。それは役人や警察官にとって国家権力の行使そのものである。無防備の国民を弾圧しても罰せられないとわかれば、人間はどこまでも残虐になれるのだ。

 日本国民の我々が注意しなければならないのは、プーチンと親しいアベシンゾーは、プーチンと同じ精神性の持ち主だということだ。「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見ている」と言ったのは脳足りんのお調子者の発言だとばかりは決めつけられない。ふたりとも国家主義者だし、不勉強な陰謀論者である。
 何より恐ろしいのは、国会で100回以上も嘘を吐いた男が、未だに逮捕もされず、それどころか現政権に意見まで言っている状況と、それを許している国民だ。アベシンゾーとその一派がプーチンのような恐怖政治の実現を望んでいるのは間違いない。それが「同じ未来」だ。マスコミと検察を操作して圧力をかける。頭を押さえつけられたNHKは、いまや大本営発表に堕してしまった。

 ひとたび国家主義に捉えられてしまうと、指導層にいる人間たちは全能感に酔いしれる。部活の後輩みたいに何でも言うことを聞かせられると勘違いする。だから言うことを聞かない人間がいると激怒する。
 しかし部活に入るのは、学校生活を充実させるためだったはずだ。部活のために学校生活を台無しにしたのでは、本末転倒である。国と国民の関係も同じで、国民のために国があるのであって、国のために国民があるのではない。国民は部活の後輩ではないし、政治家は先輩でもない。
 日本国憲法に書いてある通り、政治家を含む公務員は、指導者ではなく奉仕者である。それを勘違いするとプーチンみたいな化け物が生まれる。そして世界はいま、確実に化け物が増えつつある。個人が自由と権利のために戦い続けなければ、あっという間に前世紀に逆戻りだ。本作品はその警告でもあるように思えた。

映画「君たちはまだ長いトンネルの中」

2022年06月21日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「君たちはまだ長いトンネルの中」を観た。

 何度か、プライマリーバランスという言葉が出てくる。悪名高き御用学者がアメリカから持ち込んだ言葉である。この似而非経済学者は相当のアメリカかぶれで、同時に市場原理主義も持ち込んで、日本を徹底的な格差社会の貧しい国にした。
 経済オンチの小泉純一郎やアベシンゾーはこのお調子者に踊らされた格好だが、諫言を聞く耳を持たない彼らの自業自得である。いや、国民の声など聞かない彼らにとっては、自業自得だという自覚さえないだろう。アベシンゾーは未だにアベノミクスを否定されると怒るらしい。本人だけは、アベノミクスが失敗だということを理解できないようだ。

 現在進行形の政治の話なので、正解かどうか怪しい主張もあったが、アベノミクスが失敗であることと、消費税の逆進性、それにプライマリーバランスよりも国民の生活が優先することについては、正しいというより自明の理だ。
 給付金は不正受給を恐れてチェックを厳しくせざるを得ず、チェックのための無駄な予算を使うという馬鹿げた政策だ。消費税の廃止や税率の削減なら予算は不要だし、逆進性の反対だから貧乏人に優しい。
 それがわかっていれば貧乏な人は消費税を減らす政治家に一票を投じそうなものだが、本作品が指摘している通り、マスコミが大本営発表を繰り返すものだから、自分で調べたり勉強したりしない人はマスコミに騙されて与党やゆ党に投票したり、または選挙権を放棄したりする。

 格差を自覚している人も多いはずだが、小泉政権のときに例の御用学者が持ち出した「自己責任」という言葉の呪縛に捉えられている。生活が向上しないのは自分の努力が足りないからだと自分を責める。中には鬱になる人もいて、そうすると仕事ができなくなってますます困窮し、最後は自死を選ぶ人もいる。

 日本国憲法第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれている。選択ではなく、権利なのだ。にもかかわらず困窮している人がたくさんいる。国民の権利を侵害するのがいまの政治なのだ。それどころか、憲法を教えないようにしているフシがある。代わりに道徳を正規科目にして愛国心を植え付けようとしている。国のために死ねという訳だ。権利は教えず、義務だけを押し付ける政治である。日本の有権者は自分たちを食い物にしようとする政治家にせっせと投票している訳だ。こんなことで子どもたちの未来はどうなるのだろうか。

 とはいえ、本作品のようなある意味で過激な映画を製作した関係者と、上映している数少ない映画館の方々は、とても勇気があると思う。心から敬意を表したい。

映画「バスカヴィル家の犬シャーロック劇場版」

2022年06月21日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「バスカヴィル家の犬シャーロック劇場版」を観た。
映画『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』公式サイト

映画『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』公式サイト

大ヒット上映中!月9ドラマ「シャーロック」が映画になって帰ってくる!。

 ディーン・フジオカのいいところが全部出た作品である。頭の切れのよさを感じさせる滑舌のいい台詞回し、機敏でスタミナ抜群の身体能力。ファンはさぞ嬉しいだろう。

 ミステリーとしての話の進め方が面白い。テレビ電話を取り入れているのは現代的だ。最終的に問題を解決するのはオンラインではなくオフライン、つまり現実の人間の行動だというところにリアリティがある。
 島に古くからある魔犬の言い伝え、遺伝子操作による巨大犬の都市伝説、資産家の娘の誘拐未遂事件、それに16年前の未解決の誘拐事件が重なり、さらには地震予知学者も登場して、物語は複雑な様相を見せる。シャーロック・ホームズばりの優れた頭脳の持ち主でなければ解決するのは難しい。ワクワクする展開だ。流石にコナン・ドイル原案だけのことはある。

 役者陣は概ね好演。椎名桔平は貫禄の存在感だったし、西村雅彦は、変な言い方だが安定の怪演だった。広末涼子はおばさんの役だが、コケティッシュな魅力は健在である。
 アホなユーチューバーが意外と常識人なところが笑えた。人は見かけによらないという真実は、本作品のもうひとつのリアリティでもある。

映画「メタモルフォーゼの縁側」

2022年06月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「メタモルフォーゼの縁側」を観た。
映画『メタモルフォーゼの縁側』|大ヒット上映中

映画『メタモルフォーゼの縁側』|大ヒット上映中

17歳の女子高生と、75歳の老婦人―二人をつないだのはボーイズ・ラブ。数々の漫画賞を受賞したあの傑作漫画が芦田愛菜と宮本信子で実写映画化!

映画『メタモルフォーゼの縁側』|大ヒット上映中

 ほっこりするいい作品である。やはり宮本信子は大した女優だ。本作品での市野井雪の役割を完璧に演じ切った。
 芦田愛菜が演じた佐山うららは、何から何まで雪と対照的である。それは二人がレストランで名前を名乗りあったときに、雪がいみじくも言った「晴れている人と降っている人」という言葉に象徴される。
 雪は能動的でポジティブでブレない。しかしうららは受動的でネガティブで毎日がブレブレである。雪との出逢いはうららにとって幸運であった。雪が「応援したくなっちゃう」のはBLの登場人物だけではない。それ以上にうららを応援しているのだ。

 悪人がひとりも登場しない穏やかな作品で、光石研がさり気なく物語の要所を繋げる重要な役を演じている。この人もだんだん名人の域に入ってきた。
 芦田愛菜は、言いかけてやめたり、途中で口をつぐんだり、当世の内気な高校生うららを上手に演じている。こう見えてうららは、時に全力疾走もする頑張り屋さんだ。雪でなくても応援したくなるキャラクターである。
 やっぱり否定よりも肯定が受け入れやすい。否定するうららと肯定する雪。うららの人生を全力で肯定する雪に強く共感した。頑張れ、うらら。

映画「百年と希望」

2022年06月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「百年と希望」を観た。
映画『百年と希望』公式サイト

映画『百年と希望』公式サイト

日本共産党の”今”を追ったドキュメンタリー!2022年6月全国順次公開!

映画『百年と希望』公式サイト

 日本共産党のプロパガンダ映画だが、ちゃんとまともなドキュメンタリーになっている。その理由は長回しにあると思う。発言を切り取らずに前後の文脈も含めてひとつのシーンとすることで、発言者の人となりが見えてくる。ドキュメンタリーの王道の手法だ。
 最も多く映されているのは元衆院議員の池内さおりである。この人の主張はわかりやすくていい。主張以上にわかりやすいのが、国民から話を聞くという姿勢だ。従来の枠組みについての質問に従来の枠組みで答えるのは不合理であると、実にわかりやすい主張をする。
 彼女を応援しているのが、社会活動家の仁藤夢乃(にとうゆめの)で、TBSテレビのサンデーモーニングに出演しているのを何度か見たことがある。とても頭がよくて弁が立つ。ただ、既存の抵抗勢力を「おじさん」や「おじさんたち」と一括りに表現するところがあって、個人を救済しようとする彼女が他人を一括りにするのはよろしくない。石原慎太郎の「ババア」と同じである。

 個別の発言についてレビューすると共産党の応援みたいになってしまうのでここでは控えるが、総選挙のときの自民党の当時経産大臣の萩生田光一の選挙応援演説には、その低劣さに胸が悪くなった。こういう人間が当選するのが日本の選挙だ。本作品のタイトルは「百年と希望」だが、こんな日本に希望などあるのだろうか。

映画「スープとイデオロギー」

2022年06月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「スープとイデオロギー」を観た。
映画『スープとイデオロギー』

映画『スープとイデオロギー』

『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』ヤン ヨンヒ監督待望の最新作『スープとイデオロギー』6月11日全国公開

映画『スープとイデオロギー』

「私はアナーキストだからどこの政府も信じないけど」とヨンヒ監督は言う。しかし母がこれほど韓国政府を憎んでいたとは、今度のことではじめて知った。
 ヨンヒ監督の母親は北朝鮮の熱狂的な信奉者だ。その理由がやっとわかったのである。つまり母の北朝鮮への熱狂は韓国への憎悪の裏返しであり、その怒りが国家主義の熱狂に共振したのである。北朝鮮のイデオロギーに共感したのではない。
 母自身もおそらくそのことに気付いている。北朝鮮の政治では、国民はいつまで経っても貧しいままだ。熱狂に任せて北朝鮮に三人の息子を送ったが、決して幸せとはいえない生活をしているに違いない。だから借金をしてまでも、息子たちに仕送りをする。それは母の後悔であり、罪悪感だ。
 ヨンヒ監督は、しばらく母の気持ちが理解できなかった。どうして息子を北朝鮮に送ったのか、還暦前後の息子に何故いまだに仕送りをするのか。今回、済州島を訪れてやっと母の苦しみが理解できた。
 途方もなく苦しい人生だった。済州島での虐殺を目の当たりにした母は、南朝鮮の権力を心の底から憎んだ。そして朝鮮総連の熱心な活動家となる。燃えたぎる憎悪の炎が活動の源となっていた。

 しかしいま、母は明るく笑いながらスープを作る。親鳥のお腹の中にニンニクや朝鮮人参やナツメを詰めて、水でひたすら炊く。多分料理名は参鶏湯だ。滋味と旨味に溢れた料理で、調味料なしでも十分に美味しい。
 恐怖と絶望の体験、南朝鮮の政治権力に対する憎悪、息子たちを北朝鮮に送った悔恨、そして罪悪感。ヨンヒ監督の母は、これらのことを60年以上、一度も口にすることなく黙って耐えてきた。北朝鮮のイデオロギーは母の心を救うことができなかった。しかし熱いスープは母の心の澱を洗い流してくれるかもしれない。ヨンヒ監督はそれを心から願っている。