映画「拝啓、永田町」を観た。
日本の選挙制度のおかしさがよく解る作品である。勿論どの国の選挙制度も民主主義の観点からすれば多かれ少なかれ不備があると思うが、本作品で紹介された参院選の立候補者の大変さは、国民を立候補から遠ざけているとしか思えない。
供託金が300万円や600万円と高いのが民主主義の理に適わない。貧乏人は選挙に出るなと言っているようなものだ。これでは政治はいつまでも金持ちのものであり続ける。
会社法が変わって資本金1000万円という条件がなくなり、資本金1円からでも会社を設立できるようになったのは、多くの人にチャンスを与えて日本経済の活性化を図るためであった。政治も同様に立候補のハードルを下げて議会を活性化すべきではないかと思う。少なくとも10万円程度に下げるべきだ。
そんなことをすると多数の立候補者が乱立して事務手続きが膨大になるという議論は言い訳に過ぎない。日本の官僚は全世帯にマスクを2枚ずつ配るという馬鹿なこともやってのけたくらいだ。立候補者が多くなったら事務手続きを簡略化するか、最近の霞ヶ関が得意としているネットにすればいい。
そうしないのは、永田町の住人たちが他所者の参入を拒んでいるからである。貧乏人が当選してTシャツとGパンで国会に来られたら困るのだ。自分たちの築いてきた品位が実は無意味だとバラされるのも嫌だが、一番嫌なのは貧乏人が当選したら、その分自分たちがはじき出されることである。これは与党も野党も同じだ。
日本の政治家の最大の目標は政治家であり続けることである。政策も公約も実はどうでもいいのだ。国会はパフォーマンスの場であり、質問と答弁は国民に向けた巧言令色である。この点についても与党も野党も同じだ。
国会が下手な田舎芝居であることは多くの国民の知るところだが、国会を変えようとするのは至難の業だ。選挙制度を変えて立候補のハードルを下げるという公約を掲げる候補者を、一気に大量に当選させる以外に策はない。しかし日本の選挙民にそんな大胆な投票行動は望めないし、そもそもそういう立候補者が出現する筈もない。さらに言えば、当選したら公約も何も関係なくなる可能性が非常に高い。政治家予備軍たる官僚たちが、永田町を庶民に明け渡すことを拒むのだ。かくて金持ちのための政治が脈々と続いていく。日本に未来はない。