三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

新潟記念~七夕賞組中心で

2009年08月30日 | 競馬
朝は総選挙の投票に行ってきました。どうなることでしょう。

さて、久しぶりの競馬です。実は先週の札幌記念も馬券を買いました。ブエナビスタの頭から3連単を買ったので、馬連は当たったものの、ほぼ元取り程度でした。
今日は新潟記念G3です。エアシェイディは久々が不利でしょう。小倉記念のホッコーパドゥシャは左回りと夏の使い詰めが心配で、ダンスアジョイは高齢と前走の勝ちっぷりがそれほどでもなかったので、中心は七夕賞組と見ました。中心はアルコセニョーラデストラメンテトウショウシロッコは前走で24キロ馬体が減っていたのが気になりますが、結果を見れば特に夏ばてでもないでしょう。それに前走準オープンを1番人気で勝って絶好調のサンライズベガ、復調したと思われるメイショウレガーロも有力。

◎アルコセニョーラ
〇デストラメンテ
▲サンライズベガ
△メイショウレガーロ
△トウショウシロッコ

今回は馬連だけ。ボックスを買います。


ドコモ解約のすすめ

2009年08月11日 | 政治・社会・会社

グーグルのピカサを使ってウェブ上にアルバムを作成しました。既にたくさんの人が利用しているようで、いろいろなアルバムが公開されています。私の会社では遅れ馳せながら各店舗の情報を画像で集めることになりまして、本社と各店舗とで画像を共有するのにグーグルのウェブアルバムを使おうということになりました。最初は各店舗ごとにアカウントを作成してそれぞれにアルバムを作ることを考えたのですが、ひとつの店舗の画像を見ているときに別の店舗の画像を見ようとすると別のアカウントでログインし直さねばならず、煩雑です。そこでログインのアカウントをひとつにしておき、ひとつのアカウントで店舗ごとのアルバムを店舗の数だけ作りました。後はアルバムごとのメールアドレスを当該の店舗に教えて、そこに画像を送ってもらえばいい訳です。アドレスは長くなりますが、私のau携帯で送信してみると上手くいきました。問題ないようです。早速店舗の人たちにアドレスを教えて画像を送って貰おうと思ったのですが、念のために他の人間の携帯でもスムーズに送信できるか確かめることにしました。実際に何人かにアドレスを教えて画像を送信させてみたところ、これが上手く送信できません。いろいろやってみたところ、au携帯では送信できるのにドコモ携帯では送信できないことがわかりました。ドコモ携帯で送信できない理由は、送信先アドレスに長さ制限があるためでした。やむを得ず、各店舗のアルバムに直接画像を送信して貰うのは諦めて、共同のドロップボックスに送信して貰うことにしました。このやり方だと、ドロップボックスの画像を本社の人間が各店舗のアルバムに振り分けなくてはなりません。煩雑ですが仕方ありません。ドコモ携帯はこれ以外にも不自由な点があります。デフォルトの設定でパソコンからのメールを拒否する設定になっていて、社用の携帯を渡したのに会社からのメールを拒否してしまう不具合があります。設定の変更は�モードに接続しなければならず、パケット代を要します。考えが浅いとしか言いようがありません。考えてみるとドコモはNTTです。NTTは電話加入権という債権を発行しておきながら、いざ返せと言われたら政府と一緒になって債務を果たさない泥棒の会社です。ドコモはドコまでいってモ泥棒一族の携帯電話なんですね。改善など望むべくもないので、日本中のドコモユーザーが一日も早くドコモを解約してくれることを切に希望します。


日の丸を背負うスポーツ馬鹿

2009年08月09日 | 政治・社会・会社
バレーボールの全日本女子チームに選ばれた狩野舞子という選手が8月5日のテレビで「日の丸を背負って」という発言をしていました。バレーボールに限らず運動競技の世界選手権の日本代表に選ばれた選手は誰もが同じようなことを言います。そしてそれを報じるマスコミも視聴者読者も、こういった発言を当然のように受け入れています。日本の代表なのだから日の丸を背負うのは当り前だろうという意識です。
しかし私は強い違和感を覚えます。それは共同体と個人の係わり方についての違和感です。
どんな共同体も目的はただひとつ、共同体の存続です。それ故に共同体の存続のために有意でないあらゆるものを排除します。体制に反対する者、権力を否定または無視する者、秩序を乱す者、異質なもの、過激なものは、共同体と権力の存続にとって邪魔物なのです。しかし共同体の中の個人にとっては、必ずしも邪魔物とは限りません。むしろそういったものが人生を豊かにしてくれることもあります。運動競技の多くも、元はと言えば個人の遊びから生まれたと思います。そしてそれがいつしか共同体に取り込まれて、団体が立ち上げられてルールが決められて、他の共同体にも競技が伝搬し、共同体同士の対戦がはじまって、そして勝ち負けに極端にこだわるようになります。最初の個人の遊びに比べると競技の意味合いがまったく違ってくるのです。何故そうなるかというと、共同体にとってその競技が役に立つからです。娯楽の提供、ガス抜き、ビジネスの立ち上げ、権力の人気取りや外国相手の国威の発揚など、ろくでもないことばかりですが、とにかく共同体の存続に役に立つ。だから役に立つ競技は生き残り、そうでない競技は邪魔者扱いをされて排除されていきます。チキンレースが共同体の公認を得ることは永久にないのです。
役に立つ競技の競技者は、言うなれば共同体に踊らされているマリオネットです。だから運動競技の世界はどうしても共同体寄りの考え方になります。かつて数百人の部員を擁する大学剣道部がありましたが、そこでは天皇のことを「天皇陛下様」と呼んでいました。どうしてもそちらの方向になってしまうわけです。シンクロの小谷実可子が盲目的に東京オリンピック誘致のために活動しているのも同じ理由です。
ただ、運動競技の競技者でない一般人までが、「日の丸を背負って」という発言を当たり前に受け入れる社会は、やはりおかしい。おかしいのだけれども、それを言葉に出してしまうと顰蹙を買ってしまう可能性があります。そういう社会なのです。そしてそれはとても危険な社会、権力者だけがほくそ笑む社会です。私たちはどこかで権力者の暴走を止めて、個人の権利を取り戻さなければなりません。「日の丸を背負って」一億玉砕に突き進むことは、なんとしても避けねばならないのです。