映画「Collateral Beauty」(邦題「素晴らしきかな、人生」)を観た。
http://wwws.warnerbros.co.jp/subarashiki-movie/
ドストエフスキーの「白痴」を思い出した。ストーリー的にはまったく重なるところはないが、主人公同士が似ている気がする。それは、せわしない現実世界にたいするアンチテーゼみたいな存在という位相だと思う。
ウィル・スミスは前回の「コンカッション」の演技もとてもよく、今回の演技も気合が入っていた。もともと感情表現の豊かな俳優で、アクション映画よりも文学作品の方が向いていると思っていた。能天気なアクションヒーローはトム・クルーズに任せておけばよい。
さて、主人公は娘を亡くし、妻とも離婚して、人生のすべてにやる気をなくしてしまう。普通の勤め人なら本人だけの問題で、周囲に与える影響は少ないが、成功した会社の創業者でオーナー社長であることから、悲嘆に暮れ続ける主人公の状態が現実世界の経済的問題を直撃する。
類型的な主人公であれば、現実と自分自身の双方に対して少しずつ折り合いをつけながら、不本意な人生を平凡に歩むことになるが、物語は典型を要求し、主人公はただひたすら娘の死を嘆き悲しむことになる。この無理やりな設定を、ウィル・スミスが力わざで演じていて、しかも成功している。ヒュー・ジャックマンやジョニー・デップでは演じきれなかったであろう純粋な悲哀を、臆せずに直球で投げかけるところに、この俳優の演技の凄みがある。
ストーリーはファンタジーだが、ヘレン・ミレンが変幻自在な演技でクリスマスの贈物ともいえる作品に昇華した。この年配の女優は「マダム・マロリー」の誇り高いレストラン経営者から、「トランボ」の底意地の悪い老婆まで、見事に演じ分ける。
部下の役のケイト・ウィンスレットは「愛を読むひと」で彼女の人生最高の演技を見せたが、この作品でも現代的な女性の優しさを上手に表現している。ニューヨークのキャリアウーマンもただ利益だけを追求するための存在ではないという面を見せることで、たくさんの共感を得ることができたのではないかと思う。
総合的に評すると、ストーリーは単純なのに展開は強引で、無理やりファンタジーに仕上げたような映画だが、ひとつひとつのシーンが丁寧に作られ、役者陣の渾身の演技が加わって、感動的な作品に仕上がっているといえる。
この映画は往年の名画「素晴らしき哉、人生!」(原題「It's a Wonderful Life」)のリメイクで、クリスマスのニューヨークを舞台にしたファンタジーである。配給会社が同じ邦題をつけたくなった気持ちもわかる。しかし制作者が原題を「Collateral Beauty」と変えたのだから、配給会社による邦題も違うものにしてほしかった。
「Collateral Beauty」という言葉は作品中にも台詞として出てきていて、「幸せのおまけ」と訳していた。「Collateral」は翻訳に苦労する言葉であることは確かで、それなりにいい翻訳だと思う。邦題もそのまま「幸せのおまけ」でよかったのではないか。
余談だが「Collateral」には広告に使う媒体という意味合いもある。そして主人公の会社は広告代理店だ。言葉の多義性を上手に活用した洒落た伏線である。