三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

妊婦クレーマーと母親クレーマー

2011年07月16日 | 政治・社会・会社

電車の中で座っていると、関西弁のスーツの男と女が大声で話しながら乗ってきました。聞こえてくるのは誰かの悪口です。老若男女、みんな人の悪口が好きですね。私も人のことは言えませんけど。
次の駅で私の隣が空いて、スーツの女性の方が座りました。男は吊革につかまりながらずっと女性と喋っています。もちろん悪口の続きです。自分が喋るのは気にならないのに、知らない人が知らない人の悪口を言うのを聞くのはいい感じがしません。人間は自分勝手な生き物です。
その次の駅でお腹の出た女性が乗ってきて、バッグを見るとマタニティマークがあったので、私は立ちあがって「どうぞ」と言いました。その妊婦さんがどうもという感じで頭を下げて座ろうとしたら、緩慢な彼女の動きの隙を突いたようにスーツの関西男が座りました。
「あなたじゃないんですけど」と私が言うと、男は妊婦さんを見て、ああ、とすぐに席を立ったのでことなきを得ました。私の降りる駅はもう少し先でしたが、次の駅で降りました。

この妊婦さんがどうのという訳ではないのですが、最近の店舗のクレームが妊婦や幼児の母親からのものが急激に多くなっているので、知らず知らずのうちに街で妊婦やバギーを見かけると気にするようになりました。
クレームはすべて、妊婦なのに、あるいは小さな子供がいるのに、心遣い、気配りが足りないという内容です。

同じ妊娠している女性でも、お腹の目立つ人と目立たない人、太っている人と痩せた人では見た目の分かりやすさが違います。だからマタニティーマークを探したりするんですね。マタニティーマークもそれほど大きいものではないので、もし目立たせたいのであれば風船のように頭の上に浮かべているといいと思います。

妊婦からのクレームは妊娠5カ月なのに心配りがなかったというものでした。ハッキリ言いましょう。意味が分かりません。店舗の従業員は誰も、その女性が妊娠していたことに気づかなかったので心配りも何もありません。それに一体、どのように心配りをすればいいというのでしょうか?
そもそも、何故妊婦に心配りをしなければならないのでしょうか?

心配りをしなければならないのは、全ての来店者です。誰も平等に扱わなければならない。しかし個人の事情まで踏み込んで気を配ることはできません。ベビーバギーを押してきた女性なら、小さな子供がいるのは明らかですから、なるべく子供が安全な場所に案内するのは当然です。しかしそれ以上はできません。他と平等に扱わなければならない。対価に相応する価値を提供するのが商売です。それ以上は不当な要求であると言わざるを得ません。
また、見た目では何もわからない場合はどうしようもありません。来店客の中には病気の人もいるでしょうし、身動きのままならないお年寄りもいます。介護で鬱になった人もいるかもしれません。明日自殺するので最後の食事を取りに来た人もいるかもしれない。そういう人の個人的な事情まで配慮するのは不可能ですし、そんなことは不必要でもあります。配慮される側も迷惑でしょう。

ところが妊婦と小さな子供連れは、自分たちにもっともっと配慮せよ、心遣いせよと主張します。そして心遣いが足りない、気配りが足りないと本部にまでクレームを言ってきます。
そのあと彼女たちが何を言うか分かりますよね。
「菓子折りを持って謝りに来い。そして全額を返金しろ」
ここまできたら本物のクレーマーです。恐喝に近い。当然警察に届けます。こちらが対決姿勢を見せると、たいていの場合は汚い罵り言葉を言いますが、それで引きさがります。

もしかしたらと思うのですが、彼女たちはどんな店を利用しても、そのあとでクレームを言っているのではないでしょうか。うまくいけば菓子折りは貰えるし、代金も返してもらえます。タダで買い物や飲食ができればいうことはありません。こうなると職業的な詐欺師に近いものがあります。

悪い事例ですが、自分で自分に水をかけて、従業員がかけたと大騒ぎする女性がいました。従業員が横を通りかかるタイミングを計ってやった確信犯です。この女性が自分出かけたのは分かっていましたが、それでも衣類などは弁償せざるを得ません。従業員がかけていないという証明ができないからです。常識では、自分で自分に水をかけることはないと判断されてしまうのです。モノ盗りだなと分かっていても、濡れたものは弁償せざるを得ないのが店舗側の事情なのです。

客の立場はそれほど偉くないのだと、どこかで歯止めをかけないと、この先詐欺が横行することになります。ごく一部の妊婦、ごく一部の母親だけだとは思いますが、店舗を運営する側にとっては深刻な事態ですね。