三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

安田記念~荒れないで!

2007年05月31日 | 競馬
 ダービーは、期待したドリームジャーニーが5着に負けて馬券も外れました。4コーナーを回ってほぼ最後方の位置から大外をよく伸びてきましたが、レースの上がりタイム34.4を差し切るのはやはり無理でした。最近の競馬は芝コースの上がりタイムが35秒を切ることが珍しくなく、後ろからしか行けない脚質をなんとかしないと今後G1で活躍するのは難しいでしょう。ディープインパクト並みに3コーナーから大外を回ってさらに直線で伸びるという芸当ができる訳でもないし、かといって小柄な馬だけに馬群に突っ込んだらはじき飛ばされるし、なんとも勝つのが難しい馬です。少頭数で展開がバラけるか、ハイペースになって直線で前が止まるかすれば、ドリームジャーニーにも勝つチャンスが巡ってくるかもしれません。
 フサイチホウオーは2コーナー過ぎでヴィクトリーに外から抜かれたときに、馬がかかったことがすべてでした。テレビで岡部幸雄さんもそう言っていました。人気になっていたこともあってある程度は前に行かざるを得なかったことと、馬に気合が乗り過ぎていたことで、外から上がっていったヴィクトリーに反応してしまいました。ヴィクトリーが出負けせず、もう少し前半のペースが普段のダービーのように速ければ、また違った結果になっていたでしょう。その場合はゴール前の脚色から見て、ドリームジャーニーアドマイヤオーラ、引っ掛からなかったときのフサイチホウオー、それにウオッカの4頭の争いになったと思います。
 将来性を占えば、ドリームジャーニーはそういう訳で展開に注文がつくし、フサイチホウオーは精神力に課題があるということで、牡馬の中ではアドマイヤオーラがもっとも安定した成績をあげそうです。勝ったウオッカは馬群の真ん中から出走馬中最速の末脚を披露して後続に3馬身差という完璧な内容。常に勝った馬が強かったとしか言えないのが競馬ですが、この勝ちっぷりならシーザリオ以上の活躍は間違いないでしょう。 それにしてもアサクサキングスの2着には驚きました。血統的には長距離も大丈夫だとは思っていましたが、前走の負け過ぎからの巻き返しは予想できなかった。大荒れのダービーの2着に逃げ粘った馬というと、メリーナイスが勝ったときのサニースワローを思い出します。大西騎手が乗って最内を粘り込み、大穴をあけましたが、その後の活躍については記憶がありません。他に人気薄のダービー2着馬というとシンボリルドルフのときのスズマッハ、ダイナガリバーのときのグランパズドリーム、スペシャルウィークのときのボールドエンペラーを思い出しますが、いずれもその後パッとした活躍はなかったと思います。唯一、ミホノブルボンのときに16番人気で2着したライスシャワーだけがその後菊花賞、天皇賞を勝つなど活躍しました。残念なことに宝塚記念で予後不良になってしまいましたが。今回のアサクサキングスはどうでしょうか?
 このところ生活まで危うくなりそうなくらい負けが込んでいますから、安田記念はなんとか当てたい。しかし200万円馬券は取れそうにないので、出来ればあまり荒れないで欲しいと願っています。


有力馬と期待馬~日本ダービー

2007年05月27日 | 競馬
 いよいよ日本ダービーです。日本も国際格付けでパート1の国の仲間入りをしたことから、ローカルのGⅠをJpⅠなんて表現をすることになりました。ジャパンカップをはじめ国際招待競争は普通にGⅠなのにダービーやオークスはJpⅠで、少し興醒めの感はありますが、それでも競馬の目標はやっぱりダービーなので、今日は出走各馬の関係者にとってはやはり年に一度のお祭りです。
 で、大方の予想通り、フサイチホウオーが一本かぶりの一番人気になっています。単勝が2倍を切った馬の連対率は9割以上ですから、3着以下に落ちることは考えづらい。血統や脚質や東京コースの適性から言っても不動の本命馬ということになります。しかしダービーですから、好きな馬に期待してしまう部分もあって、有力なのはフサイチホウオーだが買いたいのはドリームジャーニーで、今日の馬券は非常に悩ましい。この2頭以外にも気になる馬がたくさんいます。タスカータソルテは前走の京都新聞杯が3勝目。ただその前はナムラマースに0.7秒差、さらにその前はアドマイヤオーラに1.2秒差をつけられていますから、比較から言って逆転は困難かも。ゴールドアグリは調教の動きが非常によくて、叩き2走目でひょっとすると、とは思いましたが、それでも前走の1.4秒差はちょっと負けすぎで、やはり仕上がり途上かなと。ウオッカは1600mしか勝ったことがない点と、やっぱり牝馬は不利なのかなという点。ゴールデンダリアは前走のプリンシパルSでいい勝ち方をしたし勝ち時計も速かったのですが、重賞未経験というのがどうもね。トーセンマーチは前走の15番人気というのと松岡からの乗り換わり、それに一勝馬という3点が引っかかる。マイネルフォーグは連闘の後のNHK惨敗後というローテーションが疑問。フィニステールも一勝馬で青葉賞3着からの巻き返しは難しい。ドリームジャーニーは皐月賞を大外を回って34.1秒の上がりならフサイチに対抗できる可能性があるが、なにせ小柄な馬に57キロがこたえるかもしれません。しかし弥生賞が2番人気3着、皐月賞が3番人気で8着、今回は大きく人気を落としそうなので狙いごろではあります。ヒラボクロイヤルは2着の多い馬でゴール前の瞬発力に欠ける気がしていましたが、前走の青葉賞では後ろから行って突き抜けました。一皮剥けたかもしれません。プラテアードは連闘で臨んだプリンシパルSで流れ込んで出走権を得ただけの印象。ここでは足りないでしょう。ナムラマースは毎日杯でヒラボクロイヤルに完勝。比較から言って有力でしょう。サンツェッペリンは松岡が引き続き乗りますが、速い末脚がなく、平均ペースで直線坂下からヨーイドンになりそうなこのレースでは馬群に沈みそう。ローレルゲレイロは一勝馬。皐月賞からNHKと善戦しましたが、ここでは距離が長そうな気がします。アドマイヤオーラフサイチホウオーは、最も上がりタイムの遅かった馬が勝って2番目に遅かった馬が2着したという特殊なレースだった皐月賞で33.9秒という上がりタイムで突っ込んできましたが、惜しくも4着と3着。アグネスタキオン産駒がやや短い距離向きな感じがするのと、岩田への乗り代わりが裏目に出そうな感じ。アサクサキングスはホワイトマズル産駒でイングランディーレが天皇賞を逃げ切ったくらいだから距離は大丈夫な気もするがNHKの負け方がどうもね。ヴィクトリーは噂通りの気性難が出たら、いくらなんでも2400mは持たないでしょう。フライングアップルは皐月賞で底を見せた感じ。ということで、

◎ドリームジャーニー
○フサイチホウオー
▲ヒラボクロイヤル
△ナムラマース
△ゴールデンダリア
△ウオッカ

 ドリームジャーニーからの馬券を買います。フサイチホウオーから買うほどお金持ちではないので。それから、書いている途中で気がつきましたがウオッカはウォッカではないんですね。ま、そのことと桜花賞が外れたこととは無関係ですけれども。


生きがい?

2007年05月25日 | 政治・社会・会社

 駅のホームに立っていて通過列車が迫ってきたとき、あるいは大通りの長い歩道橋から真下を走る自動車を眺めているとき、またはマンションの高層階の手摺から下を見下ろしたときなど、思い切って飛び降りてしまおうかという衝動に駆られるのは私だけではないと思います。機会があれば早く自殺したい。十代の頃は四十歳を超えて生きていることはないと思っていました。歳を取ってなお生き続けるのは生に執着する浅ましさそのものだと考えていたのです。しかしその頃はまだ、人生は生きるに価するものだと思っていました。
 その後のさまざまな経験を経て人生に意味などないことや、人間が度し難く救いがたい存在であることをつくづく実感した後も、依然として生き続けている私自身は、なんとも整合性に欠ける間抜けな存在です。そして間抜けなりに考えることは、何故私は生き続けているのか、ということです。何故私は生き続けているのか?
 オーパスワンというワインを買いました。フルボトルで1本23,940円。結構な高級ワインです。まだ飲んでいません。帰宅が夜中の12時ですのでその時間からフルボトルのワインを飲む気にはなりません。シャワーを浴びてビールを一杯飲んでインターネットのニュースを少し見て寝るのが精一杯です。そうやってオーパスワンを飲む楽しみが先延ばしされる訳です。実は私が性懲りもなく生き続けている理由がこのことに象徴されていまして、本当に他愛もない、つまらないことにすがりついて生きているのです。仕事然り、人間関係然り、競馬然りです。ドストエフスキーだったと記憶していますが、ワインの利き酒ができることを生涯の自慢、生きるよりどころとしていた男について書いていました。それがなかったら生きていけなかったであろうと。
 馬券が当たったとか、ゴルフのスコアが上がったとか、仕事がうまくいったとか、新しい洋服を買ったとか、家を新築したとか、そんな僅かな些細なつまらないことを生きがいにして、何とか自殺せずに生きているわけです。人間はクズですが、クズなりに生きがいがないと生きていけません。それをわざわざ奪い取るものではありません。だから法で禁じています。曰く、人を殺してはいけない、泥棒してはいけないという具合です。
 しかしこの国の政府は僅かな生きがいさえも奪い取るんですね。それも見境なしです。身体障害者や高齢者といった社会的弱者も例外ではありません。身体障害者自立支援法という天下の悪法を作って、身体障害者を追い詰めています。援助を減らせば自立するだろうという理屈ですから、常識と精神構造を疑いたくなります。老人についても然りです。援助を減らせば自分で頑張るだろうという見殺し政策なのです。沖縄の辺野古基地について、キュウマとかいうバカが「戦争をするための基地ではなく、戦争をしないための基地だから」という論理的に破綻していることが明らかな発言をいけしゃあしゃあとしていました。
 そんなバカの集まりに、一生懸命働いて収めた税金を託さねばならないのかと思うと、月に向かって吼えたくなるくらい頭に来ます。人間はみなクズで、私もクズのひとりですが、他人のささやかな僅かな些細な生きがいを奪うことは決してしないつもりです。せめてそれくらいの矜持を、クズなりに持って生きていたいなと、そう思っています。
 明日はオーパスワンに合うローストビーフでも作って、ゆっくりダービーの予想をしようと計画しています。ローストビーフがうまくいったらダービーも当たりそうな気が・・・・


オークス~結果

2007年05月21日 | 競馬
 ローブデコルテが差し切ってベッラレイアが2着と、桜花賞組とフローラステークス組で割と順当に収まったオークスでした。それにしても改めて、競馬においてスタートがどれだけ大事か、よくわかりました。ローブデコルテのスタートはそれはもうロケットスタートのようで、ハナに行かんばかりの出足がつきましたが、そこをやんわりと抑えて脚をためたことがゴール前の追い比べでわずかに余力で上回ったことにつながりました。桜花賞の比較から、カタマチボタンはもっと前に来れるはずだったのに、大負けしてしまいました。4着以下に負けたことのなかったこの馬が思いもよらない13着とは、ダンスインザダークもびっくりでしょう。ピンクカメオの5着には感心しました。血統といい、ローテーションといい、かなりの不利があったと思うんですが、それでも5着。この無理使いがたたらなければ今後も活躍するでしょう。
 馬券は当りませんねえ。こう長いこと当らないと、馬券というものは当たらないものであるという格言でも作りたくなります。次週のダービーが終わったら、競馬界は一段落ですから、私も少し馬券を控えようかと思ってしまうくらいです。


オークス~少しだけ穴狙い

2007年05月20日 | 競馬
 先週のヴィクトリアマイルはもう少しで買えそうな気がしたんですがねえ。最後の最後でコイウタを切ってしまいました。ピックアップしたのは5頭。3番アサヒライジング16番デアリングハート17番ジョリーダンスの3頭はもともと買う気でした。特にアサヒライジングはここ2戦人気を裏切って、ここが休み明け3戦目で人気落ち、絶好の狙いごろだと思っていました。残り2頭を選んでいるときに苦情の電話が入りまして、相手をしているうちに15時半近くになってしまい、慌てて決めたのがやはり人気の2頭、2番ディアデラノビア7番スイープトウショウになってしまったのは仕方のないところ。4番コイウタが東京コース走るのはわかっていたんですが、残念でした。

受付番号:0001  受付時刻:15:25   受付ベット数:60
受付内容
件数 場名 レース 式別 馬組 金額 的中
(1) 東京(日) 11R 3連単 BOX 02,03,07,16,17 各1,000円(計60,000円)   
購入金額 60,000円   払戻金額 0円
結果はご承知のように4-3-16で2,283,960円。

 ということで気を取り直して今日のオークスも先週と同じく5頭をピックアップして3連単と馬単を買います。7番ベッラレイアはここ2戦、すごい勝ち方をしていますが、どうも気に入りません。あんな勝ち方ができるのはGⅡまでではないかと。鞍上の秋山も自信を持ちすぎの気がします。5番ミンティエアーは1勝馬だしね。9番レインダンスはスイートピーSが余計だったかな。8番ピンクカメオはやっぱりローテーションがきつい。12番ラブカーナは1勝馬の上に今年6戦目であがり目がなさそう。2番ローブデコルテはチューリップ賞で1秒以上負けているところがちょっと気になりますが、相手がウォッカだから仕方なかったのかな。桜花賞の上がりタイムを評価。11番カタマチボタンは桜花賞後に書きましたが、血統的にも脚質的にも距離伸びてよさそう。10番トウカイオスカーは前走大外を回って上がり33秒9ならここでも通用しそう。18番ザレマは前走勝ちと大崩のないところを素直に評価。4番ハロースピードはブライアンズタイムのよさがここで出そうな気がします。

◎11番カタマチボタン
○10番トウカイオスカー
▲4番ハロースピード
△18番ザレマ
△2番ローブデコルテ

受付番号:0001   受付時刻:12:14   受付ベット数:80
受付内容
件数 場名 レース 式別 馬組 金額 的中
(1) 東京(日) 11R 馬 単 BOX 02,04,10,11,18 各2,000円(計40,000円)   
(2) 東京(日) 11R 3連単 BOX 02,04,10,11,18 各1,000円(計60,000円)   
購入金額 100,000円   払戻金額 0円 

というわけでやはり自信がないのでボックスを少しだけ買いました。


いじめっ子対策~学校で

2007年05月20日 | 政治・社会・会社

 学校に行くときは登山靴を履いていきます。踝の上まであって履くのに苦労するタイプのものがいいでしょう。履くのも大変なくらいですから容易には脱がされません。足首も守ってくれます。もちろん中には厚手の靴下を二枚重ねて履きます。登山靴というのは履いたことのある人にはわかりますが意外に軽くて丈夫ですし、大きな石などを蹴っても痛くありません。底と爪先が補強されているからです。それでどうするかというと、ご想像の通り人を蹴る訳です。無論相手は常日頃自分を苛める憎き者たち。手加減はいりません。予告も前置きも言い訳もいりません。人が見ていようがいまいが、授業中であろうがなかろうが、関係ありません。とにかく思い切り蹴飛ばすのです。相手は怯むかもしれないし、痛みを我慢して反撃してくるかもしれない。いずれにしろ、攻撃の手を休めてはいけません。相手の様子などお構いなしに蹴って蹴って蹴りまくるのです。どこまで蹴り続ければいいかというと、終わりはありません。死んでも蹴り続けなければなりません。このくらいでいいかと思いはじめた瞬間に相手の反撃がはじまるか周囲に取り押さえられたりします。だから脚が上がらなくなるまで蹴り続けるのです。 その後は無論、捕まったり補導されたりするでしょう。取り調べも受けるでしょう。このとき、言い訳も説明も申し開きも必要ありません。黙っているか、質問返しで対応します。「質問返し」はどんなときでも非常に有効で、どこまでも言葉に詰まることがありません。
 たとえば「黙っていたらわからんじゃないか」と言われたら、「どうしてわからなければならないのか?」と返します。「わからなければ解決ができないだろう」
「どうして解決しなければならないのか?」
「わかるだろう、お前のことを助けたいんだよ」
「何故助けなければならないのか? そもそも助けるとはどういう意味なのか? お前に助ける能力があるのか?」といった感じで対抗します。要は決してまともに答えないことです。質問返しの例としては、
「何故そんなことを聞くのか」
「どうして答えなければならないのか」
「お前は誰だ」
「生年月日はいつだ」
「家族はいるのか」
「子供はいくつだ」
「その子は男か女か」
「お前は本当に警察官なのか」
「その警察手帳が贋物でない証拠はあるのか」
「どうして脅迫するのか」
「どうして暴行するのか」
「どうして強要するのか」
 警官も役人です。役人というのは自分の立場や既得権益や許認可の縄張りとそれによるおいしい思いが守られ、且つ面倒に巻き込まれないことが一番の望みです。警官の場合は事件が起きたらさっさと犯人をこしらえて検事に渡したい訳です。そいつが真犯人である必要はなく、脅したりすかしたり拷問したりでとにかく自白させるか自白調書を捏造するかすれば、あとは御用裁判官が自動的に有罪にしてくれます。
 真実などどうでもよく自己都合最優先のそんな警官相手にまともに受け応えするのはまったくの無意味です。実はこのことは、相手が警官に限った話ではありません。誰に対しても同じことで、あなたの真実など他人にとってはどうでもいいことなのです。だからこれからは他人に理解してもらおうなどと思わないことです。この場合の他人とは自分以外の人間すべてを指していて、教師はもちろんのこと家族も友達も例外ではありません。
 よろしいですか? 基本的に人間は皆クズです。こんなことを書いている私自身も含めて、人間なんてものはもともとろくでもない存在です。暴力はふるうし人は殺すし、国家なんてエゴ丸出しの共同体を作って戦争の名の下に大量虐殺はするし、動物と植物を殺しまくって食べまくるし、地球にとってこれほど迷惑な生き物はありません。おまけに甘えん坊で他人との係わり合いの中でしか生きがいを見出せない、哲学的にも低レベルの知能しか持ち合わせていません。
 だから、金輪際、他人に理解してもらおうなんて思わないことです。誰もあなたを理解しようとは思いません。せいぜい、理解しようとしている振りをするくらいです。他人が自分のことを理解するなんてありえないと吹っ切ってしまえば、気持ちも楽になります。蹴る脚にも遠慮がなくなります。心をしがらみから解き放って、親も子も友達も他人も先輩も後輩も教師も生徒もない、国家も世界もないと関係性から自分を解放するのです。
 では早速、登山靴を買いに行きましょう。安い物で十分です。お金がなければ何とかして親にもらえばよろしい。泥棒や万引きはダメですよ。お店にいじめられているわけじゃないでしょ? では健闘を祈ります。


ダービーはウォッカ?

2007年05月06日 | 競馬
受付番号:0001   受付時刻:13:49   受付ベット数:80
受付内容
件数 場名 レース 式別 馬組 金額 的中
(1) 東京(日) 11R 馬 単 BOX 01,05,09,16,17 各2,000円(計40,000円)   
(2) 東京(日) 11R 3連単 BOX 01,05,09,16,17 各1,000円(計60,000円)   
購入金額 100,000円   払戻金額 0円

 NHKマイルカップの結果には驚きました。
 前走で2秒以上負けた馬が1着、1勝馬が2着に来て、連帯率2割5分の馬が3着に来てしまいました。混戦らしい結果と言えば言えます。ピンクカメオはただ1頭34秒台の末脚を使って見事な差し切り勝ちでしたが、この馬とローレルゲレイロを基準にすると、ダービーもウォッカで十分足りるということになってしまいそうな気がします。アドマイヤオーラを加えてダイワスカーレットとの比較も考慮に入れるとしても、やはり桜花賞で若干不利のあったウォッカでフサイチホウオーと渡り合える計算になります。
 フサイチホウオーはパソコンで入力変換すると「負債地方オー」となって現在の地方自治体の窮地を表している感じがします。だからあまり買いたくないので、ダービーはウォッカに頑張ってもらいたいと思っています。それにしても、今日の3連単馬券を取った方、おめでとうございます。こんな馬券は一生取れないだろうなあ。


NHKマイルカップ~小粒なメンバー

2007年05月06日 | 競馬
 ダービーの外国産馬出走枠ができたおかげで強力なマル外馬が出てこなくなり、このレースは限りなく普通の重賞に近いGⅠとなってしまいました。今回も例によってせいぜいGⅢ級の小粒なメンバーが揃い、どこから買っていいものか見当がつけづらいレースとなっています。
 大橋巨泉がかつて「一に格、二に調子」という予想の原則を著書に書いていました。実際のレースがその通りになるときとならないときはありますが、大まかに言えば正解だと思います。そこで今回のメンバーで重賞勝ち、GⅠでの好走があるメンバーというと、これがたくさんいすぎて、やっぱり絞れません。そこで休み明けの馬と1勝馬、前走500万条件を勝ったばかりの馬、連帯率5割未満の馬、前走で2秒以上離された馬をまとめて切ってしまいます。すると残りはたったの5頭。この5頭の組み合わせで馬単と3連単を買うことにします。

◎ 5番 マイネルシーガル
○ 1番 アサクサキングス
▲17番 ダノンムロー
△ 9番 ワールドハンター
△16番 シャドウストライプ

いやあ、当たりそうにありませんね。


憲法記念日~「殺し合い」からの脱却

2007年05月03日 | 政治・社会・会社

 憲法記念日です。世界大戦の後に「戦争放棄」と「武器の不所持」を謳った憲法を公布、施行したことは日本が最も世界に対して誇れる勇気のひとつでありました。1946年に公布、1947年に施行されたこの憲法を当時の人々がどれだけ重視していたかは、施行の翌年1948年の祝日法によって公布日の11月3日を文化の日、施行日の5月3日を憲法記念日と定めたことによっても明らかです。

 それが最初にケチがついたのが1951年の吉田茂による安保条約、次が岸信介による新安保条約です。米軍駐留を認めるこれらの条約は、憲法の理念である「戦争放棄」と「武器の不所持」を踏みにじるものでありました。岸の孫が安倍晋三、吉田の孫が麻生太郎で、隔世遺伝でもないでしょうに、いま再び憲法の理念を踏みにじろうとしています。

 憲法を変えようとするなら具体的に内容に関わる深い議論が必要なことは、すべての人が声を大にして言っていることで、「戦後レジームからの脱却」などと小泉流の二番煎じみたいなワンフレーズは何の理由にもなりません。「レジーム」という言葉は、かつて高校で世界史の授業を受けたときにフランス革命以前の体制を「アンシャンレジーム」と習った通り、「旧体制」を意味するものであって、戦後から政治体制が何も変わっていないこの国で何が「レジーム」なのか、さっぱりわかりません。戦後民主主義については詳しくは知りませんが、要は「もう人を殺したくない」という魂の叫びのようなものが雰囲気として充満している中で生まれたものであったはずです。だから戦後民主主義から脱却したいという安倍の魂の叫びは「再び人を殺したい」という悪魔のそれであって、見知らぬ人を殺す精神異常の殺人鬼と全く同じです。日本は殺人鬼を首相に戴いている異常な国なのです。
 ブッシュが史上最悪の殺人鬼であることは世界中の誰もが知っていることですが、安倍もまたそれに習おうとしているようです。それとも戦犯であったおじいちゃんの異常な意志を継ごうとしているのでしょうか。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/shindaotokono.html
 かつて谷川俊太郎が作詞し武満徹が作曲した「死んだ男の残したものは」という歌が語る戦争の本質について、いまや多くの日本人が理解を放棄しているようです。ジョンレノンがあれほど「考えても見てくれよ・・・」と言って世界に向けて歌った歌も、日本人の心に届くことはなかったのです。沖縄で安倍の応援する候補が参院補選に勝ち、石原慎太郎が大差で三選を果たすこの国は、再びあの悪夢に向かって走ろうとしています。

 国の防衛? たしかに誰もが人を殺したくないし、殺されたくもありません。しかしもし殺されそうになったらどうするか? そのために武装するんだと。しかし、考えても見て下さい。誰が殺しに来ますか? 北朝鮮が来る、中国が来る、もしかしたらイランやロシアが来るかも、そんなふうに考えるのであれば、日常の中で無差別殺人鬼に遭う可能性についても考えなければなりません。または無謀な運転者によって事故の犠牲になるとか、無茶な営業体制の中で仕事を強いられた電車やバスの運転手によって起こった事故の犠牲になる可能性についても、考えなければなりません。これらの確率は実は、北朝鮮が攻めてくる確率よりもずっと高いのです。ならば防衛するか。防衛するなら警棒やスタンガン、または催涙スプレー、ワイヤなどを持つとか、もっと手っ取り早く拳銃で武装するといった方法があります。でも日常的にそんなことは誰もやらないし、非効率的ですよね。警棒や拳銃を持っていても奪われたらどうしようもないし、持っていない方が却ってよかったかもしれない。小手先の防衛策を行うよりも、社会全体に犯罪を起こしにくい風潮を作る努力をした方が、回り道のように見えて、結局は根本的な解決に至る唯一の道かもしれません。また、世の中が物騒なことを政治のせいではないと勘違いしている人もいるかもしれない。政治のせいなんですよ。アメリカのように銃が解禁されたら日本での殺人は数十倍になるでしょう。誰もが使ったことのない道具を見たら使ってみたい衝動に駆られます。またこれまでよりも性能のいい道具があれば、やはり使ってみたいと思うでしょう。武器が暴力を誘発するのです。日本はこれからも銃を禁止し、警官を増員して取締りを強化し続けるべきで、アメリカのように殺人が日常茶飯事になることは断じて避けねばなりません。警察は行政なんです。アメリカの暴力社会は銃器武器のメーカーに動かされた政治が生み出したものなのです。合衆国大統領は就任の際に聖書に手を置いて誓います。その聖書の中には、どのような辱めも暴力も甘んじて受け、一切の抵抗をしないまま、自分を辱め暴力を加え果ては殺そうとする人々のために祈るキリストの話が書かれています。だから普通のクリスチャンならブッシュによって聖書が辱められ蹂躙されたと感じるでしょう。アメリカとはそんな嘘とごまかしで成り立っている自分勝手な守銭奴たちの国なのです。

 もし日本で防衛の必要性を言うなら、具体的に誰かが誰かに対して暴力を振るったり殺人を犯したりする必要があります。武器での防衛はすなわち暴力であり殺人であるという必然から逃れるすべはありません。では、誰に人を殺させますか? 自衛隊員ですか? それはもしかしてあなたの夫や息子の自衛隊員ですか? もしかするとまだ18歳のあなたの娘の自衛隊員ですか? その人たちに殺人を犯せと、誰が命令するのですか? 自分の夫が殺人を命じられて、妻はどうすればいいのでしょう? そもそもいったい誰が、見ず知らずの外国人を殺したいと思うでしょうか? 誰が外国までのこのこ出かけていって、見ず知らずの外国人に殺されたいと思うでしょうか? 「小規模の核兵器」でもって、見ず知らずの外国人を大量殺戮したいと、誰が思うのでしょうか? 自分の息子に銃を持たせて、外国に出向いて片っ端から殺してこい、と命ずる親がどこにいるでしょうか? これらの理不尽を実行することで始めて成立する国の防衛が、本当に必要なのでしょうか?

 国際社会から認められる「普通の国」になるのだと武装論者は言います。しかし、バイクにノーヘルで二人乗りして木刀やスタンガンを振り回す少年たち比べて、鞄に教科書を入れて登校する普通の高校生の方が人格的に劣っているという人がいるでしょうか? ポケットにスタンガンを忍ばせたりベルトにサーベルワイヤを仕込んでおいたり、あるいはホルダに入った特殊警棒を腰に下げたサラリーマンを、そうでないサラリーマンに比べて立派だと、そんなふうに思う人がいるでしょうか? 普通の人の普通の感覚ならば、護身用具を日常的に持ち歩いている人はちょっと異常な人でしょう。それが国の話になるととんと本質を見失ってしまう。武器を持っている国の方が持っていない国より立派でしょうか? 核兵器を持っている国は立派な国なのでしょうか?

 人類の歴史は「たたかい」の歴史でありました。今もそうでしょう。しかしそれが「殺し合い」の歴史であることから、そろそろ脱却してもよいのではないでしょうか。それこそが20世紀を支配して人類全体の品格を落とした「アメリカレジーム」からの脱却であると思います。その端緒となったのがとりもなおさず日本国憲法第9条であることを、私たち日本人は知っておく必要があります。9条は実は、2000年前も今も人類の最先端にある画期的な理念なのです。もし自分が殺されそうになって、殺されないために人を殺すしかないのなら、私たちは人を殺すことを拒否し、甘んじて殺されましょう。私たちは殺人者と同じ高さに自分自身を貶めることはありません。もしキリストが十字架にかけられることを拒否し、周囲の人を皆殺しにしたら、誰が彼を愛するでしょう? 誰が彼を尊敬し信仰するでしょうか?
 2000年前の勇気ある人の理念をそのまま理想として掲げた日本国憲法は、本来は聖書に手を当てて誓った男によってこそ守られねばならないはずなのです。