三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Totem」(邦題「夏の終わりに願うこと」)

2024年08月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Totem」(邦題「夏の終わりに願うこと」)を観た。
8/9 公開・映画『夏の終わりに願うこと』公式サイト

8/9 公開・映画『夏の終わりに願うこと』公式サイト

8月9日(金)公開『夏の終わりに願うこと』公式サイト。最愛の父の誕生日。少女がたどる一歩に、誰もが“初めての別れ”を思い出す――

8/9 公開・映画『夏の終わりに願うこと』公式サイト

 ラテン系のノリはちょっと苦手だったが、なかなか逢えない病気の父を想う少女ソルの気持ちの変化は、十分に伝わってきた。おばあさんの死を知っているソルは、時間の流れが人の命の流れでもあることを理解している。それは病気の父を迎える運命でもある。今日は父の誕生日。いまの時間は、いましかないのだ。
 父の実家にいるのは、おじいさんと、父の姉とその娘と息子、父の妹とその娘と夫、それに父の介護担当者だ。実家を仕切っているのは姉だが、霊媒師を呼んだシーンは、姉の教養を疑わせる。妹は、幼い娘の世話と愚かな姉との軋轢で、精神的に少し参っている。夫はメトロノームを使った怪しげな療法にハマっていて、少しも助けてくれない。おじいさんは精神科医で、診療がない時間は、盆栽の手入ればかりしている。理由は終盤に明らかになる。友人たちは思い出を美化するばかりだ。
 動物がたくさん登場する。犬と猫、蝸牛と小さな淡水魚。エンドロールには、象、熊、猿、豹、蝙蝠などが登場する。おそらく原題の「Totem」に関係するに違いない。
 治療に関する省略語がたくさん登場するのは、家族がそれについて議論を重ねたことを示している。当然ながら、カネの話も出てくる。これまでのカネと、これからのカネ。先行きは明るいとは言い難い。

 人の我儘と人の優しさの両方が感じられるリアルな作品ではあったが、一箇所だけ、とても気になるシーンがあった。介護の年配女性が呼んだらしい業者が、トラックに絵画を積み込むシーンだ。パーティの裏で、誰にも知られずに業者を送り出す介護女性。病気の父の職業は、おそらく画家である。

 父の誕生日に父の実家を訪れる午後から、その翌日の朝までの短い時間を描いた作品だが、物語は濃厚で、情報が多い割に、説明が極端に少ない。翌日の静かな朝は、すべての関係性が終了した印象だ。関係の要だったソルの父がいなくなったら、家族も友人たちもバラバラになった。
原題の「Totem」は、動物を象徴とする環境と、時の流れ、その中での人間関係を意味するのだろう。家族とは何だろう。友人に何の意味があるのか。そんな疑問が巡る作品だった。

映画「Bolero」(邦題「ボレロ永遠の旋律」)

2024年08月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Bolero」(邦題「ボレロ永遠の旋律」)を観た。
映画『ボレロ 永遠の旋律』公式サイト

映画『ボレロ 永遠の旋律』公式サイト

その音は魂を奪う 映画『ボレロ 永遠の旋律』2024年8月9日(金)公開!

映画『ボレロ 永遠の旋律』公式サイト

 2019年製作の映画「Crescendo」(日本公開2022年 邦題「クレッシェンド音楽の架け橋」)は、イスラエルとパレスチナの若者たちの混成オーケストラの話だった。いろいろとモメるが、最後に空港で「ボレロ」を演奏してハーモニーを醸し出すという展開だった。「ボレロ」は、誰もが知っている通り、最初は小太鼓のリズムのみから始まって、徐々に楽器の数が増えて、最後はすべての楽器の大合奏となる。曲自体が大きなクレッシェンドだから、最も盛り上がるクラシック曲のひとつだ。

 本作品は「ボレロ」がどのようにして生み出されたのか、作曲者のモーリス・ラヴェルの人となりに光を当てる。産みの苦しみというやつだ。
 音楽が頭の中にあるのに、それを五線譜にするのが難しいと、ラヴェルは言う。作曲の苦労は多くの音楽家に共通するようだ。頭の中から溢れ出す音楽を書くのがもどかしいみたいに五線譜に早書きをしたモーツァルトでさえ、作曲は大変な努力の結果だと吐露している。なぐり書きのような五線譜を残したベートーヴェンも同じだろう。
 本作品を観る限りでは、ラヴェルの時代の音楽家は、先人たちの時代に比べれば、芸術の一ジャンルとして認められ、社会的地位も高かったように思える。といっても、ラヴェルの人生が幸せな人生だったかどうかは、本人以外に知りようがない。
 ただ、モーツァルトやベートーヴェンの例を出すまでもなく、音楽家は個人的に不幸のどん底にいても、前向きで明るい曲を紡ぎ出すことができる。それは、意識と無意識の精神世界の広大さを物語る。心の中は、誰にも支配されないのだ。
「ボレロ」が人気なのは、一定のリズムに様々な楽器の音が収斂する構造の中に、解き放たれた精神の自由が感じられるからだろう。自由は混沌よりも形式の中に、より強く存在する。それが音楽家の精神世界なのだ。とても感心した。