映画「Totem」(邦題「夏の終わりに願うこと」)を観た。
ラテン系のノリはちょっと苦手だったが、なかなか逢えない病気の父を想う少女ソルの気持ちの変化は、十分に伝わってきた。おばあさんの死を知っているソルは、時間の流れが人の命の流れでもあることを理解している。それは病気の父を迎える運命でもある。今日は父の誕生日。いまの時間は、いましかないのだ。
父の実家にいるのは、おじいさんと、父の姉とその娘と息子、父の妹とその娘と夫、それに父の介護担当者だ。実家を仕切っているのは姉だが、霊媒師を呼んだシーンは、姉の教養を疑わせる。妹は、幼い娘の世話と愚かな姉との軋轢で、精神的に少し参っている。夫はメトロノームを使った怪しげな療法にハマっていて、少しも助けてくれない。おじいさんは精神科医で、診療がない時間は、盆栽の手入ればかりしている。理由は終盤に明らかになる。友人たちは思い出を美化するばかりだ。
動物がたくさん登場する。犬と猫、蝸牛と小さな淡水魚。エンドロールには、象、熊、猿、豹、蝙蝠などが登場する。おそらく原題の「Totem」に関係するに違いない。
治療に関する省略語がたくさん登場するのは、家族がそれについて議論を重ねたことを示している。当然ながら、カネの話も出てくる。これまでのカネと、これからのカネ。先行きは明るいとは言い難い。
人の我儘と人の優しさの両方が感じられるリアルな作品ではあったが、一箇所だけ、とても気になるシーンがあった。介護の年配女性が呼んだらしい業者が、トラックに絵画を積み込むシーンだ。パーティの裏で、誰にも知られずに業者を送り出す介護女性。病気の父の職業は、おそらく画家である。
父の誕生日に父の実家を訪れる午後から、その翌日の朝までの短い時間を描いた作品だが、物語は濃厚で、情報が多い割に、説明が極端に少ない。翌日の静かな朝は、すべての関係性が終了した印象だ。関係の要だったソルの父がいなくなったら、家族も友人たちもバラバラになった。
原題の「Totem」は、動物を象徴とする環境と、時の流れ、その中での人間関係を意味するのだろう。家族とは何だろう。友人に何の意味があるのか。そんな疑問が巡る作品だった。