三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「時々、私は考える」

2024年08月20日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「時々、私は考える」を観た。
映画『時々、私は考える』公式サイト 7/26(金)ロードショー

映画『時々、私は考える』公式サイト 7/26(金)ロードショー

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映画『時々、私は考える』公式サイト 7/26(金)ロードショー

 最初の職場のシーンでは、同僚たちが繰り広げるくだらない会話に、主人公がうんざりしているように見えるのだが、ラストシーンでは、職場の会話を聞いて、みんな一生懸命に生きているんだなと思っているように感じる。その変化はどこからきたのだろうか。

 フランは、死にたい訳ではないが、ときどき自分の死を夢想する。それはフランだけではない。人が自分の死を考えるのは、至極当然のことだ。人生で何回、死について考えるかは人それぞれだが、少なくとも1回、多い人は何千回、何万回も、自分の死について考えると思う。
 今日と同じ明日が来ると信じていなければ日常生活は送れないが、突然の危機や突然の死が来る可能性があることは、誰もが心の片隅で思っていることだ。天災地変や戦争は、今日起きてもおかしくはない。

 明日は生きて目覚めないかもしれないと思っていると、人付き合いは少ないほうがいいことになる。フランにとって、朝は自分の生の確認のようなものだ。目覚めたら、自分はまだ生きている。では今日と明日のために仕事に行こう。
 世間がどんな常識を求めているかは分かっているから、他人との軋轢を生むことはしない。日常生活は至って平穏だ。僅かな楽しみは、帰宅して飲むワインと、暇つぶしのナンバープレイスである。それでいい。他人と関わることは楽しいかもしれないが、傷つくかもしれない。
 そんなフランの日常を異化させるトリックスターが、新入社員のロバートであり、その前に定年退職したキャロルだ。ロバートは優しいが、独善的で、自分の価値観を押し付けようとする。キャロルはペシミスティックで、人生にちょっぴり期待をしているが、世界を信じてはいない。

 人それぞれ、常識の仮面の下に怒りや悲しみを抱えつつ、日常のささやかな幸せを雲梯のように掴みながら時間を過ごしていく。掴み損ねることもある。落ちる人もいれば、やり直す人もいる。中年に差し掛かったフランは、漸く、他人にも自分と同じ苦悩があることを知る。そして、小さな楽しみを他人と共有する幸せを知る。

 不思議な味わいのある作品だった。