三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

8月15日~胸焼け

2008年08月23日 | 政治・社会・会社

7月のはじめくらいから、胸焼けが続いています。続いているといっても、休みなしでずっと胸焼けがあるわけではなく、1日の間で何度か起き、短いときは10分くらい、長くても2時間程度で症状自体は治まります。食べ過ぎや飲みすぎが原因だろうと考えてアルコールも食事も減らしましたが、変わらないペースで胸焼けが続いています。我慢できないほどではなく、強弱の波があって強くなったときに少し我慢すればその後は治まっていくので、医者にかかるほどではないと思っています。8月のはじめに強い胃痛があって、それも我慢できないほどではなかったのですが、朝痛みはじめてから夜まで10時間くらい痛みが続きました。強い胃痛はその一度だけだったので、やはり病院に行くほどではありません。

胸焼けが起きたときは症状が弱ければそのまま我慢しますが、症状が強いと胃がキリキリと痛むので何か水分を胃に入れないと我慢できません。最初は水を飲んでいましたが、水よりも牛乳を飲むと割と早く胸焼けが治まるので、最近では胸焼けの症状が出たら牛乳を飲むことにしています。昼間の仕事中に起こる胸焼けはあまりたいしたことがなく、ひどいのはやはり寝ているときに起こる胸焼けです。文字通り胸が焼けるように痛むので、飛び起きて牛乳を飲みます。一度牛乳を切らしていたことがあって代りに麦茶を飲んだら余計にひどくなったことがあり、そのときは真夜中にコンビニに走って牛乳を買いました。以来、冷蔵庫には必ず2本以上の明治のおいしい牛乳を常備しています。

横になって寝ているときに起こるということは、胃酸が食道に逆流しているということなのでしょう。それは胃の入口にある噴門の括約筋が衰えてきたということです。要するに歳を取ってあちこちにガタが来ているそのひとつが胸焼けの症状なのです。脊椎の椎間板が歳を取って衰えてつぶれてしまうように胃も若さを失って衰えていくのですね。
そうやって肉体が衰えていくときに、できれば怒りや悲しみの感情も一緒に衰えてくれればありがたいのですが、そううまくはいかないようです。敗戦の日に靖国神社に参拝する人々を見ると、戦争が国家による人殺しなのであるという認識が未だに行き渡らないレベルの低さに、腹立ちを禁じえません。

たとえば人を殺した青年がいて、その親に話を聞くと、大抵は罪を犯した自分の息子について「何かの間違いです。人殺しをするような、そんな子ではありません」と言います。それを聞いた私たちは、どう思うでしょうか。親はそういう風に思うものだ、しかしこの親にもおそらく問題があり、だからああいう息子になってしまったのだ、と思うはずです。親だからといって息子をかばうことは許されず、やったことはやったこととして認めなければなりません。決して正当化してはいけないのです。

日中戦争で中国人を殺した日本人兵士は、どんな理由をつけても人殺しに間違いありません。自分の先祖だからといってかばうことは許されず、人殺しは人殺しとして認めなければなりません。たとえ本人が戦死したとしても、戦死する前にやったことは強姦であり、略奪であり、破壊であり、殺人です。それが戦争というものです。戦争というものだからこそ、どこまでも個人の責任を認めなければならない。大学の先輩に命じられて万引きをした下級生は、力関係からいって仕方がなかったと無罪になるでしょうか。主犯ではないものの、実行犯として必ず罰せられます。二等兵が上等兵の命令で中国人女性の乳房を切り落としたとき、上等兵だけに罪があるのではなく、実際に切り落とした二等兵にも罪があるのです。戦争だから仕方がないという言い訳は通用しません。

利権争いをする権力者に命じられて略奪し強姦し破壊し殺すのが戦争です。現場は理不尽の極みで精神状態もまともではありません。だからといって責任を国家に帰すのでは、「何かの間違いです。うちの息子はそんな子ではありません」と弁明する母親と同じ幼児レベルの理屈になってしまいます。戦争に行った兵士は全員が人殺しなのです。決して祀り上げる存在ではありません。
8月15日の敗戦の日は、むしろ祖先が犯した罪を思い出し、個人の責任として二度と戦争を起こさない国家作りをする覚悟を国民全員がしなければならない日なのです。

靖国神社にいるのは人殺しと強姦魔と強盗と放火犯です。もちろんそうなりたくてなったのではない場合もあったでしょう。戦争という非日常が精神を異化して理性の鎖を断ち切ったのは誰でも知っています。知っているけれども、先輩に命じられて万引きをした後輩にもやはり罪があるように、彼らにも罪がある。そんな罪人たちを一生懸命にお祈りすることが靖国に行くということです。
政治家が行くのは圧力団体との関係で当然です。彼らは自分の利益しか考えていないから行くのです。しかし一般の国民が靖国に行くのはとても考えられません。

女性を強姦し子供を殺し家を焼き払ってその後自殺した息子を神社に祀る親がいるでしょうか。どんな厚顔無恥な親でもそんな息子のことは一日でも早く忘れたいし、息子の犯した罪について自責の念がいつまでも消えないはずです。日本兵が中国や東南アジアで虐殺しまくったことを考えれば靖国神社に行くなんてとんでもなく、彼らが犯した罪を思い出して被害者の無念を思いやらねばなりません。そうしなければ8月15日は反戦の日ではなく、戦争礼賛の日になってしまいます。日本人全員が居直り強盗の殺人者と同レベルになってしまうのです。にもかかわらず、靖国神社に参拝する大勢の恥知らずな日本人がいるのをテレビで見ました。また北京オリンピックに浮かれるノータリンの応援団も数多く見ました。視聴率さえ上がればいいヤクザなテレビ局の姿勢をたしかに確認しました。

8月15日は、日本人のレベルを思い知らされた日でした。あまりにも腹が立って落ち着いて記事が書けずにいました。当分胸焼けは治りそうにありません。


腰痛にダイエット

2008年08月16日 | 健康・病気
ここ2年ほど、日赤医療センターに通っていました。腰痛外来には定評のある病院です。特にヘルニアの手術が有名で、その高度な技術は新聞にも紹介されていました。

しかし私の場合は、ヘルニアと腰椎分離すべり症を併発しているので手術は簡単ではなく、骨と骨をすべらないようにボルトで固定しなければなりません。成功率はあまり高くなく、不成功の場合どうなるのか訊くと、もしかすると歩けなくなって車椅子生活になる可能性があると言われました。また、成功しても今度は隣の骨が分離すべり症やヘルニアを起こす可能性があるそうです。さすがにそう言われると、それでも手術してくださいとは言えず、医師が勧める保存療法を選びました。医師は物理的な療法ではなく薬を処方してくれました。ユベラNとノイロトロピン、それに胃薬のソロン、脚がつったときのためのテルネリンという筋弛緩剤です。最初は毎月1回通院しましたが、診察で「具合はどうですか?」と訊かれるたびに「同じです。よくもならない代わりにそれほど悪くもなっていません」と答えていると、日常生活にあまり困っていないという理由で、もう暫く同じ薬で様子を見ましょうと言われて、では次は2ヶ月後、では次は3ヶ月後というふうに間隔が伸びて、最後は半年に一度となりました。

しかしこのところ、たしかに自覚症状としては変化を感じないけれども、感じないままに悪くなっているような嫌な予感があり、このまま日赤医療センターに通い続けてもダメかもしれないと思うようになりました。最後に診察を受けてから半年後、薬がなくなりましたが、病院に行かないで薬なしで過ごすことにしました。そして1ヶ月後、症状も痛みの具合もまったく変わりません。薬を飲んでも飲まなくても一緒ということです。あるいは薬が私の症状には合わなかったのか、自覚症状がないけれども実際の症状は悪化しているのかもしれません。しかし医師は対症療法でいいと言っていました。自覚症状に改善が見られなければ、対症療法がうまくいっていないと思わざるを得ません。
そこで薬よりも理学療法が利くかもしれないと考えて、自宅近くにある治療院つきの整形外科に行きました。問診と簡単な触診を受けたあと、レントゲンを撮りました。すると、分離すべり症のすべり度合いが大きくなっていて、「このまますべりが広がると神経が麻痺します。神経が麻痺するというのは脳梗塞を起こすのと同じことで、簡単には元に戻りませんよ」と言われました。なるべくコルセットをつけるようにも言われました。そして日赤医療センターとは違う薬を処方されました。その後、階下の治療院でマッサージと、温めながらの牽引治療を受けました。牽引は別の接骨院で25kgくらいで何度かやってもらったことがあります。そのときは「まだ大丈夫ですか?」と訊かれながら調整したので、つい限界まで頑張ってしまいました。今回受けた牽引は10kg。微かに引っ張られているのがわかる程度で、物足りなく感じ、これで利くのかなと思いました。でももう少し通ってみようと考えています。

それからダイエット。コルセットをつけるにも、お腹の肉が邪魔で、ギューッと締め付けないとズボンが穿けないのと、締め付けたところに汗疹(あせも)ができて痒くなります。医師からも理学療法のスタッフの方からも、痩せた方がいいという意味のことを言われました。実際は
「重い物を持たない方がいいですよ」と言われただけです。
最初は、文字通り日常的に重い物を持たないように注意する意味にとっていましたが、あまりに何度も繰り返されるのと、それを言うときのニヤッという薄ら笑いを見て、なるほど痩せろということなのかと了解しました。

という訳で、このところずっと69キロ台で一定している体重を、なんとかあと10キロほど落とさなければなりません。体重計には毎日乗っていますが、やっぱり乗るだけでは痩せません。当たり前ですね。腰痛と坐骨神経痛があるので激しい運動は無理ですが、腕立て伏せと腹筋くらいなら、膝をついてやるとか、膝を立ててやるとかすれば腰に負担をかけずにやれそうです。大胸筋、広背筋、腹筋のトレーニングですね。様子を見てスクワットもやれば大腿筋も鍛えられるので、基礎代謝を上げることができそうです。運動はそれで大丈夫ですが、問題は食事。朝はドリンク剤を飲んで、昼は好きなものを食べて、夜はビールをやめて焼酎にし、食べるのはできるだけ我慢。どうしても我慢できないときは豆腐とかひじきとか豆とか、そういったものを食べる。

問題は、どれだけ続くかでしょうね。


3週間で180万円稼ぐ方法

2008年08月09日 | 政治・社会・会社

週に1日だけ働くアルバイトがいました。実働8時間で1時間の休憩を取ります。3日間働いてもらったとき、どうにもこの仕事に向いていないと判断し、やめてもらうことにしました。するとこの子は言うのです。
「わかりました。では、解雇予告手当を支払ってください」

慣れているな、と直感しました。

このアルバイトは週に1日しか働かないので3回目の勤務は初出勤を1日目としたら実に15日目の勤務でした。ということは、雇用期間が14日を超えているわけで、法的に言うと、解雇予告手当を支払わなければなりません。多分それを知っていたのだと思います。初日と2日目は、少し変わった子だなという印象でしたが、3日目の勤務で協調性のなさを思う存分発揮し、この子がいるおかげでみんなが迷惑しやる気をなくすような言動を続けるのです。これ以上働かせるわけにはいかず、即日解雇をしなければならない状況です。

では、解雇予告手当をいくら支払えばいいのでしょうか?

1.1か月分だから、週に1回の出勤として4日分の賃金。

2.そうではなくて、1日の平均賃金の30日分。

どちらだと思いますか?

常識的に考えれば、1が正しいように思えますが、実は週に1度しか働かないし実際のスケジュールもそうなっていたとしても、そんなことは一切関係なく、1日の平均賃金の30日分を解雇予告手当として支払わなければならないのです。

時給が1,000円のアルバイトだとしたら、解雇せずに普通に働いた場合の賃金は
1,000円×8時間=8,000円 ×日数(予定では月に4日)=32,000円。

ところが、即日解雇した場合の解雇予告手当ては、
1,000円×8時間=8,000円 ×30日=240,000円。

なんと7倍以上の給料を支払わなければならないのです。

そこでお芝居がうまい人に向けて提案です。

週に一日だけのアルバイトでも、繁忙日のある小売やサービス業では雇ってもらえる可能性が高いので、それで雇用を受け、最初の2回はそこそこ大人しく勤務しておいて、3回目の勤務、日数で言えば15日目にあたる勤務のときに、違法行為以外のあらゆる嫌がらせをやればよろしい。これ以上いられると迷惑だと強く感じられる程度の行為を演技するのです。

目論見どおり馘になったら、30日分の解雇予告手当を要求します。払わない場合は内容証明を送りつける。そして小額裁判を起こす。

週に一日だけのアルバイトですから、同時に7つの勤務先でこれを行なうことが可能です。3週間が経過したあとは、7つの勤務先からそれぞれ30日分の解雇予告手当を要求することができます。概算収入は次のようになります。

実際に働いた分の給料
1,000円×8時間×3(回)×7(勤務先)=168,000円

解雇予告手当の総額
1,000円×8時間×30日×7(勤務先)=1,680,000円

合計金額=1,848,000円

実に3週間(21日間)で恐ろしいほど稼げます。年に6回、応募手続なんかも入れて約半年間の実働で1,000万円前後を稼ぎ出すことができます。しかもこれは詐欺ではなくて、労働者の権利行使なのです。

ことほどさように現行の労働法は現実とかけ離れていますが、頭のいい人はこれを逆用することで企業からお金を掠め取ることができるのです。

昔の人は良心が邪魔をしてこんなことはできなかったと思いますが、今はヤクザもカタギも皆一緒で、自分が儲かることなら何でもします。現実に解雇予告手当で生活する人が出てくるのは、それほど遠い将来のことではないかもしれません。


Edyなんか要らない

2008年08月09日 | 政治・社会・会社

FeliCaという技術があって、SuicaやPASMOなどの非接触型の認証カードに利用されています。電子マネーEdyもそのひとつで、運営しているのはビットワレットといって、FeliCaを開発したソニーの子会社です。実はこのEdyには店舗の側にとって困った問題がいくつかあります。
店舗がEdyを導入すると、ビットワレットからオモチャみたいな端末読取装置が送られてきます。そしてその装置の使用料なのか分かりませんが、毎月3000円を請求されます。またお客さんがEdyで決済する度に代金の数%が手数料として天引されます。通信費もかかります。そういったランニングコストをかけてまで導入すべきだったのか、甚だ疑問があります。

店舗で困る点のひとつは、決済の結果について音声が一度しか出ないことです。忙しくて騒がしい店舗では、決済されたのかどうかわからない場合があります。決済されていなければビットワレットから代金が振り込まれません。かといってもう一度決済手続きをするのはお客さんから不信感を持たれます。もし二重に決済してしまったらクレームになります。詐欺呼ばわりされることもあります。ですから店舗では、決済されたかどうかわからない場合は決済されたものとして扱います。その結果二重取りのクレームはないけれども、貰い損ねが生ずることになってしまいました。
もうひとつ困ることは、残高不足の処理です。レジでは会計金額をEdyの端末に入力してからカードを翳してもらいますが、通信の結果で残高不足の場合があります。そのときはお客さんに残高不足だったことを告げ、チャージするなり他の支払い方に変更するなりをお願いする訳ですが、もっともミスが生じやすいのが、Edyの残高の範囲で会計金額の一部を支払い、残りを現金やクレジットカードで支払う場合です。
最初にEdyが残高不足だったときは決済されなかったのですから、会計は振り出しに戻った筈です。だから会計は伝票の合計金額がレジに表示された時点まで戻って、やり直さなければなりません。ところが操作をするうちにEdyの決済が終わっているように錯覚してしまうのです。Edyの不足分を現金で支払う際は、まずレジ機にEdyの残高の金額を入力してレジ機の「電子マネー」のボタンを押します。するとレジの画面に足りない金額が表示されるので、「では残りが〇〇円です」と伝えてその分を現金やクレジットカードで決済し、レジ機は精算されます。レシートが出てきますのでお釣りやクレジットカードの控えと共にお客さんに渡します。この一連の操作で、レジ上での電子マネーの処理と未払い残高の処理の両方が終わります。Edy端末の操作だけが何も行なわれていないのですが、レシートや釣銭を渡したら、それで会計手続が全部終了した気になるのは習慣的にやむを得ないことだと思います。かくしてEdyで決済するはずだった分の貰い損ねが生じます。Edyを再度読み取っていないので、ビットワレットに連絡しても追いかけようがありません。
クレジットカードの場合は残高不足や使用不可のカードの場合にも、レシートが出力されます。一度しか出ない音声を聞き逃した場合のリスクがないので、会計の最中に酔っ払いに絡まれても、振りほどいた後で会計作業に戻ることができます。Edyは音声で知らせるという一見斬新な方法に見えて、実は危険が一杯のカードなのです。

もともとソニーはクレジット会社ではないし、小売の経験値が高い訳でもありません。だから会計の際に生ずる様々な危険を想定することができなかったのです。それに、Edyでの貰い損ねはその店舗の損金になるだけで、ビットワレットの財布が傷むことはまったくありません。一度ビットワレットの担当者に電話で抗議したことがありますが、「ワレット関せず」という感じで、のらりくらりと交わされ、折り返しご連絡といいながら連絡などきやしません。
SuicaやPASMOは鉄道屋さんの涙ぐましい努力の結果、高速の読み取りが可能となり、使う側にとっても大変便利なカードとなりましたが、そもそものFeliCaを開発したソニーは、Edyについて何の努力もしていません。それはそうでしょう、他社がFeliCaを使うと、使用料として莫大な金額が黙っていてもソニーに入ってくる訳で、ビットワレットなんて会社は実はソニーにとってどうでもいい訳です。親会社にとってどうでもいい会社がいい加減に運営している電子マネーがEdyなのです。
そのいい加減さのために、日本中のたくさんの店舗でEdy決済による貰い損ねが生じています。ビットワレットにしてみれば、それは従業員の操作ミス、つまり店舗の責任でしょう、ということになり、どこ吹く風です。店舗が損をしないためには、Edyを中止するしかありません。日本中の店舗でEdyをやめたからといって、ソニー本体は安泰だしFeliCaの使用料収入が減るわけでもありません。せいぜいビットワレットが整理されて従業員が解雇されるくらいの話です。Edyの運営をいい加減にやっていた報いでしょう。それこそ、私たちEdyによる被害者にとってどこ吹く風で、「ワレット関せず」ということでしょうか。


殴る人、殴られる人

2008年08月02日 | 政治・社会・会社

既に解決した苦情のことで、社長にこっぴどく殴られました。

その苦情はテイクアウトの麺の量が値段の割りに少なくてお陰で一日中気分が悪かったと、社長の個人ブログのコメント欄に投稿されたものでした。社長室から私に回って来たので店舗に内容を知らせました。その翌日に店長に確認したところ、テイクアウトのコーナーは非常に忙しくてアルバイト2名をかかりっきりでつけているが、それでも追われる。そういう状況では麺の量をきちんと決めていないとまちまちになるのは当り前で、自分の指導が甘かった。今回のクレームを受けて、すぐに麺の量や盛付けを再検討し、本日からは改善した内容で販売している。ただ、麺は週替わり商品としてこの一週間だけの販売となる、とのことでした。そこで私はお客様に対して、内容を改善したという報告と謝罪のメールを送信しました。コメントをブログに載せるかどうかはわかりません。個人ブログだからそれは社長の問題です。

という訳で、もう販売期間も終了したことだし、私にとっては完全に解決した過去の苦情という認識でした。しかし別の店舗のテイクアウトの話から突然思い出したようで、急に社長室に呼びつけられました。そしていきなり、直したのか?直ったのか?確認したのか?自分で見に行ったのか?と矢継ぎ早に畳み掛けられて、答え方に戸惑っていると、机の上にあった巨大な靴べらみたいな木製のもので頭をゴン!とやられました。そして命じられるままに現場に行き、今は販売していない麺を、しかも改善前と改善後の2種類をわざわざ作ってもらって写真を撮り、パソコンでプリントアウトして見せて報告して、やっと一段落しました。そのときも何か怒鳴っていましたけど。

どんな理由があっても、無抵抗の人間に暴力を振るうのは人間のクズですが、ではどういう人が無抵抗の人間を殴るのでしょうか。2年ほど前に、中学生が書いた作文という設定で「いじめられているあなたへ」という記事を書きました。

http://blog.goo.ne.jp/hyperion88/d/20060706

この作文の中で「世の中の人間を、あなたは三種類に分けていないだろうか。いじめる人間と、いじめられる人間と、どちらでもない人間。そうではないのだ。世の中の人間は二種類に分けられる。いじめられる人間と、いじめられない人間の二種類だ。両者にどういう違いがあるのだろうか。何があなたをいじめられる人間にしているのだろうか。」という文章を書きました。
同じ書き方をするならば、世の中には殴られる人と殴られない人の2種類がいるということになります。しかし、人を殴ることについてはそうではなくて、他人を殴る人と殴らない人の2種類に分けられます。他人を殴る行為について考えるとき、私の場合は自分の手、または物を持って人を殴ることに物凄く抵抗を覚えます。どんなに頭に来ても相手を殴ろうとは絶対に思いません。というよりも、生理的に殴れないと言ったほうが正確かもしれません。飼っている子猫を殺すことができないのと同じです。それほど、人を殴ることについて激しい抵抗感があります。人を殴るくらいなら、小さなことで腹を立てた自分自身を切り刻む方が遥かに容易です。私自身は人を殴らない人間の部類に属していると思います。
では他人を殴る人はどういう人かと言うと、殴ることに抵抗を覚えない人ということになります。飼っている子猫を平気で殺せる人。原因がほんの些細なことでも、それどころか、まったく怒りを感じていないときでも、何の抵抗もなく人を殴ったり子猫を殺したりできる人。そういう人が人を殴る部類の人間です。
作文にも書きましたが、世の中の人間はみんなオオカミです。誰もが牙を持っている。しかし自分の牙を強調することで他人を脅して震え上がらせ、周囲の人間をオオカミからヒツジに変えてしまうことができる人間がいます。生まれながらの人たちです。子猫だろうが赤ん坊だろうが平気で素手で捻り潰し、殺すことができる人たち。
実は、文化が成熟するまでは誰もがそういう人間でした。世界中みんな、他人を殴る部類の人間でした。それがいつしか、「衣食足りて礼節を知る」という諺の通り、誰もが他人を殴る人ばかりだと共同体が安定しないために為政者が衣食を満足させることで共同体のルールを守らせたという歴史の中で、他人を殴らない部類の人間が増えてきました。豊かな国ほど他人を殴る人が少ないという訳です。
しかし衣食が足りても、共同体のルールに縛られない種類の人間がいます。平和などどうでもよく、自分の満足だけを追求する人間。そういう人間たちは牙を剥いて他人を脅し、社会の支配層になります。いまも昔も、世の中を支配しているのは人ばかりなのです。
そして衣食が足りないと礼節を忘れるのも道理で、あまりにも生活が貧しくなると共同体のルールに蹂躙されている自覚が生まれ、他人を殴らない部類だったはずの弱気な青年が、いつしか他人を殴るどころか理由もないのに殺してしまう人間になってしまいます。そういう人間たちが集まって、都会ではスラムが形成されるでしょう。

支配層は生まれ持っての人たち、最下層は虐げられた末に魂を歪められた人々。中間には不安と恐怖に怯えながら毎日をやり過ごすヒツジたち。日本の社会はそういう構造です。