7月のはじめくらいから、胸焼けが続いています。続いているといっても、休みなしでずっと胸焼けがあるわけではなく、1日の間で何度か起き、短いときは10分くらい、長くても2時間程度で症状自体は治まります。食べ過ぎや飲みすぎが原因だろうと考えてアルコールも食事も減らしましたが、変わらないペースで胸焼けが続いています。我慢できないほどではなく、強弱の波があって強くなったときに少し我慢すればその後は治まっていくので、医者にかかるほどではないと思っています。8月のはじめに強い胃痛があって、それも我慢できないほどではなかったのですが、朝痛みはじめてから夜まで10時間くらい痛みが続きました。強い胃痛はその一度だけだったので、やはり病院に行くほどではありません。
胸焼けが起きたときは症状が弱ければそのまま我慢しますが、症状が強いと胃がキリキリと痛むので何か水分を胃に入れないと我慢できません。最初は水を飲んでいましたが、水よりも牛乳を飲むと割と早く胸焼けが治まるので、最近では胸焼けの症状が出たら牛乳を飲むことにしています。昼間の仕事中に起こる胸焼けはあまりたいしたことがなく、ひどいのはやはり寝ているときに起こる胸焼けです。文字通り胸が焼けるように痛むので、飛び起きて牛乳を飲みます。一度牛乳を切らしていたことがあって代りに麦茶を飲んだら余計にひどくなったことがあり、そのときは真夜中にコンビニに走って牛乳を買いました。以来、冷蔵庫には必ず2本以上の明治のおいしい牛乳を常備しています。
横になって寝ているときに起こるということは、胃酸が食道に逆流しているということなのでしょう。それは胃の入口にある噴門の括約筋が衰えてきたということです。要するに歳を取ってあちこちにガタが来ているそのひとつが胸焼けの症状なのです。脊椎の椎間板が歳を取って衰えてつぶれてしまうように胃も若さを失って衰えていくのですね。
そうやって肉体が衰えていくときに、できれば怒りや悲しみの感情も一緒に衰えてくれればありがたいのですが、そううまくはいかないようです。敗戦の日に靖国神社に参拝する人々を見ると、戦争が国家による人殺しなのであるという認識が未だに行き渡らないレベルの低さに、腹立ちを禁じえません。
たとえば人を殺した青年がいて、その親に話を聞くと、大抵は罪を犯した自分の息子について「何かの間違いです。人殺しをするような、そんな子ではありません」と言います。それを聞いた私たちは、どう思うでしょうか。親はそういう風に思うものだ、しかしこの親にもおそらく問題があり、だからああいう息子になってしまったのだ、と思うはずです。親だからといって息子をかばうことは許されず、やったことはやったこととして認めなければなりません。決して正当化してはいけないのです。
日中戦争で中国人を殺した日本人兵士は、どんな理由をつけても人殺しに間違いありません。自分の先祖だからといってかばうことは許されず、人殺しは人殺しとして認めなければなりません。たとえ本人が戦死したとしても、戦死する前にやったことは強姦であり、略奪であり、破壊であり、殺人です。それが戦争というものです。戦争というものだからこそ、どこまでも個人の責任を認めなければならない。大学の先輩に命じられて万引きをした下級生は、力関係からいって仕方がなかったと無罪になるでしょうか。主犯ではないものの、実行犯として必ず罰せられます。二等兵が上等兵の命令で中国人女性の乳房を切り落としたとき、上等兵だけに罪があるのではなく、実際に切り落とした二等兵にも罪があるのです。戦争だから仕方がないという言い訳は通用しません。
利権争いをする権力者に命じられて略奪し強姦し破壊し殺すのが戦争です。現場は理不尽の極みで精神状態もまともではありません。だからといって責任を国家に帰すのでは、「何かの間違いです。うちの息子はそんな子ではありません」と弁明する母親と同じ幼児レベルの理屈になってしまいます。戦争に行った兵士は全員が人殺しなのです。決して祀り上げる存在ではありません。
8月15日の敗戦の日は、むしろ祖先が犯した罪を思い出し、個人の責任として二度と戦争を起こさない国家作りをする覚悟を国民全員がしなければならない日なのです。
靖国神社にいるのは人殺しと強姦魔と強盗と放火犯です。もちろんそうなりたくてなったのではない場合もあったでしょう。戦争という非日常が精神を異化して理性の鎖を断ち切ったのは誰でも知っています。知っているけれども、先輩に命じられて万引きをした後輩にもやはり罪があるように、彼らにも罪がある。そんな罪人たちを一生懸命にお祈りすることが靖国に行くということです。
政治家が行くのは圧力団体との関係で当然です。彼らは自分の利益しか考えていないから行くのです。しかし一般の国民が靖国に行くのはとても考えられません。
女性を強姦し子供を殺し家を焼き払ってその後自殺した息子を神社に祀る親がいるでしょうか。どんな厚顔無恥な親でもそんな息子のことは一日でも早く忘れたいし、息子の犯した罪について自責の念がいつまでも消えないはずです。日本兵が中国や東南アジアで虐殺しまくったことを考えれば靖国神社に行くなんてとんでもなく、彼らが犯した罪を思い出して被害者の無念を思いやらねばなりません。そうしなければ8月15日は反戦の日ではなく、戦争礼賛の日になってしまいます。日本人全員が居直り強盗の殺人者と同レベルになってしまうのです。にもかかわらず、靖国神社に参拝する大勢の恥知らずな日本人がいるのをテレビで見ました。また北京オリンピックに浮かれるノータリンの応援団も数多く見ました。視聴率さえ上がればいいヤクザなテレビ局の姿勢をたしかに確認しました。
8月15日は、日本人のレベルを思い知らされた日でした。あまりにも腹が立って落ち着いて記事が書けずにいました。当分胸焼けは治りそうにありません。